クレタ沖海戦 ‐海の老兵は沈まず‐
艦隊戦においては舷側を見せた方が圧倒的に有利である。そのことを体感できる光景が、そこにはあった。
陸戦では考えられない数千発の上級魔術が自分に目がけて飛んで来るのは、たとえ当たらなくても恐怖に値する。
無論、最大射程で攻撃してきたこと、こちらが敵艦隊に対して正面を向いていることから被弾のリスクは相当低いのは確かだ。
だからと言って恐怖心が拭えるというわけではない。
海戦用上級魔術「海神貫徹弾」の群れは、その殆どが命中コースになかった。魔術同士が互いに干渉し合って目標を逸れたりもした。
しかし、いやだからこそ、海戦の恐ろしさというのを体験できた。
海戦用上級魔術は、上空から斜めに落とすように軌道する陸戦用上級魔術と違って、単純に水平に飛ぶ。障害物の無い海で使用するため、そのような違いが出る。
そんな特性を持つ敵の魔術が、音と衝撃と風を伴って目と鼻の先を高速で通過したのだから怖いものだ。
多くの魔術が近くに着弾し巨大な水柱を上げ、二等戦列艦「ブレンハイム」の船体を大きく揺さぶり、甲板と俺を含めた船上の乗組員をびしょ濡れにする。
敵の第一斉射を受けて、各部署から報告が上がる。
「フォアマストに被弾。ですが損傷は軽微、航行に支障はありません」
「上、中、下甲板の各士官より報告。被弾、損傷共になし!」
「艦長! 上甲板に居た者が1名、魔術によって海に突き飛ばされました!」
それらの報告は「ブレンハイム」艦長ライザー大佐らにもたらされる。損傷軽微、被害軽微、人的被害も少ない。最大射程での攻撃だからこその被害の少なさだが、俺らの艦隊は風上にいて全速力で敵艦隊に接近している。距離が縮まればそれだけ被害も増える。
ここが正念場なのだ。
……怖いけど、出来れば船から降りたいけど。
完全に縮み上がっている俺に対してサラは、
「面白くなってきたわね!」
臆するどころか荒れる南海にも、敵の攻撃で揺れる船の上でも微動だにせず、激戦を前にして高揚していた。よく訓練されたオストマルク軍海兵もサラに釣られて自らの士気を鼓舞させている。これが海の男か。
一方フィーネさんは、
「…………」
サラとは別の意味で微動だにしていなかった。
「あの、フィーネさん? やっぱり陸で待っていた方がよかったのでは……」
「い、いえ、平気です。大丈夫です。何も問題はないです」
早口でそう捲し立てる彼女はどう見ても大丈夫ではない。
俺はまだ陸戦での実戦経験があるし、ラスキノ独立戦争では上級魔術を食らって瓦礫に生き埋めにされた経験もある。だから多少は冷静でいられた。
だがフィーネさんはそうではない。カールスバート内戦時に司令部要員として同行したことはあったが、最前列には立たなかった。
「フィーネさん、初めての最前線の最前列ですからね。無理からぬことですが」
「だから大丈夫だと言っています!」
「……じゃあ、ひとりで大丈夫ですよね? 私はライザー艦長殿に相談が」
「私も行きます」
食い気味でフィーネさんが答えた。やはり怖いらしい。表情はいつも通りだから一見すると本当に大丈夫そうに見えるが、声は少し震えているのがわかった。
……敵艦隊の魔術攻勢がもっと激烈なものとなったら、これがどうなることやら。
「艦長、敵艦隊から再び魔術発動光確認!」
敵の第二斉射攻撃が行われたのは、その報告のすぐ後だった。第一斉射と同じく数千発の魔術が襲ってきた。それでも俺らの艦隊は怯まず、確実に敵艦隊との距離を詰める。
敵艦隊との距離は約2300。
「そろそろ頃合いか……いや、でももう少し距離を詰めるか……。サラ、質問いい?」
「何?」
「アレを発動させるのは今が良い? それともまだ?」
自分でもどうかと思う文章だが、サラはすぐに把握してくれたらしく即答した。
「まだね。個人的には1000かしら」
敵は西進しているため、北進する自艦隊との相対速度は自艦隊との速度に等しい。そして現在の自艦隊の速度は12ノット。つまりサラの言う「距離1000」にまで近づくためには3~4分かかる計算だ。しかも「距離1000」は海戦用上級魔術「海神貫徹弾」の有効射程でもある。
「4分間も敵の攻撃に晒されるのはちょっと辛いかな……」
「大丈夫よ」
大きく上下に揺れる艦上で、サラ自信満々に、毅然と答える。
「その心は?」
「この船の揺れよ」
「……ああ」
なるほど。理解できた。
艦は上下に揺れている。風速28ノットという強い南南東の風によって生み出された高波が、自艦隊、そして敵艦隊を揺さぶっているからだ。
不規則に揺れる艦上では、歴戦の魔術師といえども正確に目標を撃ち抜けるはずがない。余程距離を詰めなければ、それこそ敵艦の甲板上にいる人間を認識できるくらいの距離まで近づかないと当たらない、ということもあり得るのだ。
それに敵艦隊は東西に布陣し、南から押し寄せる波を腹から受けている。つまりそれは砲門が上下に動いているということ。そういう状況下で斉射すれば当然、魔術は目標の遥か上空、遥か手前に飛んでいく。
「なら、フィーネさんには悪いけど俺らは敵の必中距離ギリギリまで近づこう」
我ながら、サラといると強気に出てしまうな。自重するのが俺の仕事だが、今回はサラの武勇に乗っかろう。
「……ユゼフ少佐、その、必中距離というのはどれほどなのですか?」
と、飛んで来る数千発の魔術に内心怖がっているかもしれないフィーネさんが脇から聞いてきた。これを正直に答えたら怒られそうだが、かと言って嘘を言うのも意味はない。だから俺は正直に答えた。
「500メートル弱ですよ」
その答えを聞いたフィーネさんは、俺の予想通りの行動を起こした。
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激しく揺れる艦で、距離2000以上の魔術斉射は威嚇以上の効果を持たない。それを3度行ったキリス艦隊司令官テオドラキス大将は、全速で接近するオストマルク艦隊には威嚇が通じず、このままでは魔力の無駄遣いで終わることを悟り、長距離魔術戦を諦めた。
距離が縮まるにつれて、接近する艦隊の詳細もわかってくる。
オストマルク海軍の旧型二等戦列艦、巡防艦、合して6隻が単横陣を取る。そしてその後ろにティレニア艦隊が単縦陣で接近している。
「敵はどういうつもりなのだ……?」
この時に至ってもなお、テオドラキスは敵の丁字型の陣形の意図を掴めなかった。
そして両艦隊との距離が1200程にまで縮まった、1時20分。テオドラキスは4度目の魔術斉射を命じる。
「敵艦隊は奇妙な陣形をしているが、こちらは依然有利。であれば砲門数に任せて全力で射撃するのみだ。全艦隊、第四斉射用意!」
テオドラキスが叫び、艦隊に射撃命令を出す。数秒後、麾下の艦隊が雄叫びを挙げるかの如く数多の海戦用上級魔術「海神貫徹弾」を放った。
距離が縮まったことにより、多くの魔術がオストマルク艦に命中する。
「右舷中甲板に被弾! 砲門6ヶ所大破、使用不能!」
「上甲板にも着弾、死傷者多数! パトリッケン少佐戦死!!」
「戦列艦『スラティナ』も被弾! フォアマスト倒壊します!」
戦列艦「ブレンハイム」艦尾甲板のライザー大佐、そしてシレジア王国から派遣された軍事顧問達はその報告を前にしても臆せず、そのまま前進を命じた。
単縦陣で北進するティレニア艦隊と、前衛6隻で単横陣を組むオストマルク艦隊。艦首が敵艦隊を向いて剥いている以上反撃はほぼ不可能で、オストマルク艦隊はキリス艦隊から激しい攻撃を受ける。如何に
「これでは演習だな。あるいはそれが狙いなのか……?」
オストマルク艦隊を壁として被害を集中させ、後続の無傷のティレニア艦隊が艦隊戦によって勝利するという算段かもしれないと。
「だとすると、尚の事オストマルク艦隊を早々に航行不能にせねばならん。必中距離までには何としてでも……。全艦隊第五斉射用意! 使用魔術を『海神榴弾』に変更。敵艦隊の継戦能力を奪うぞ!」
「ハッ! 全艦『海神榴弾』にて攻撃!」
海戦用火系上級魔術「海神榴弾」は、船体構造物の炎上・破損を目的とした魔術である。
火系魔術であるため、船を炎上させるためにある。しかし戦列艦のような軍艦には側面に延焼防止用の銅板が貼られている場合が多く、また位置の関係上、海水を浴びて消火されやすい。そのため船体側面を「海神榴弾」によって攻撃しても効果が薄い。
故に、目標は上部構造物の炎上・破損、具体的には帆やマストを使用不能にさせて航行不能にするのだ。
それは言いかえれば、どこに命中しても大なり小なり破損が期待できる水系魔術「海神貫徹弾」に比べて使い勝手が悪く、そして上部構造物を狙うという制約によって射程が制限されるという欠点もある。
ハッキリ言ってしまえば、テオドラキスが命令した距離1200という近距離でも「海神榴弾」は威力を発揮しづらいのである。
しかし部下たちは司令官の命令に異議を唱えることなく、粛々と準備を完了させる。
「全艦、攻撃準備完了」
「よろしい。全艦隊、攻撃開始。斉射後は各個、自由に照準・射撃せよ!」
「了解。……撃て!」
5回目の斉射、数千発の魔術がオストマルク艦隊を襲い、多くの魔術が艦に着弾する。しかし今度は火系魔術である。被害は先程とは種類が違った。
「フォアマストに着弾、『海神榴弾』です! フォースル炎上中!!」
「応急処置! なんとしてでも延焼を防ぐんだ!!」
一部で火災が発生し、乗組員が慌てて水系魔術で消火活動を始める。その最中にも「海神榴弾」が着弾しさらに火災が発生し、消火を始める……の繰り返しだった。
全乗組員は慌ただしく動いて、船をなんとしてでも守ろうとする。帆が燃え尽きれば船は動けないのだから。
特にオストマルク艦隊6隻の中で最も大きい艦である二等戦列艦「ブレンハイム」に攻撃が集中していた。艦長以下全ての者が、乗艦していた軍事顧問団も含めて、艦を守るために必死だった。
「ユゼフ少佐、そろそろ良いのでは!?」
「いやまだですよフィーネさん! まだ距離1100です、あと半分!!」
あと500メートル強。近いようで、遠い距離。1分強で到達する距離だが、その間にも艦隊は激烈な砲火の中を進むのだ。
そのユゼフの言葉を聞いて、「ブレンハイム」艦長ライザー大佐がユゼフの下に駆け寄る。
「ワレサ少佐殿、後続の教皇海軍の奴らが指示を待っているぞ。『作戦第三段階はまだか』とな」
「……そうですね。ベルミリオ大将閣下に『行動開始』と伝えてください!」
「それはいいが、この船もだいぶ被弾している。もう持たないぞ」
旧式の二等戦列艦「ブレンハイム」はボロボロだった。「海神貫徹弾」によって船体各所に穴が開き、「海神榴弾」によって最前部のマストはほぼ焼け落ち、各部で火災が発生して応急処置が間に合わない状況。
「しかし、ここで始めても失敗に終わる公算が高いです」
「だが……」
艦長のライザー大佐は渋り、作戦責任者のユゼフ少佐は怯まない。そんな中、誰よりも大きく、そして高く叫んだ者がいた。
「私はユゼフを信じる。だからこのまま行くわ!」
サラのその言葉に、その覇気に、ライザー大佐は押される。そして溜め息がちに答え、舵輪を握り締める。
「……どうなっても知らんぞ!」
1時21分。
引退寸前だったはずの旧式の二等戦列艦「ブレンハイム」はその時、誰よりも前に立ち、敵に向かって突き進んでいた。
そしてついに、ユゼフの作戦が発動する。
 




