紛争の終わり
8月24日。
キリス中央軍はプロブディフの攻略を中止、包囲を解いて後退した。
それは単なる後退とか退却とかいうものではない。彼らは整然と、秩序をもって後退した。しかも反撃をする構えではなく、迎え撃つ構えとなっている。
そして中央軍がオストマルク軍を迎え撃つ場所として選んだのが、プロブディフから東に3日の距離にあるハルマンリと呼ばれる場所である。
そこはプロブディフのオストマルク軍を牽制でき、かつキリス本国から補給が十分に確保できる場所。厄介なことに、ハルマンリには河川が流れ、南北に緩やかな山脈を持つ。
緩やかな山脈、というのがミソだ。
中央軍が展開するには十分な空間的余裕がありつつ、しかし側面や後背を討つことは叶わない地形。すなわちハルマンリという都市は戦略的には重要で、戦術的には難所と言っても差し支えない場所なのである。
そんなところで防御陣地築かれてる。どう考えても突破困難だ。
「敵もなかなかやるなぁ……」
カロヤノ騎兵戦で獲得した中央軍の捕虜に対する尋問で、敵の指揮官の名前は判明していた。
キリス第二帝国中央軍中将エル・テルメ。
そして中央軍少将にしてキリス第二帝国皇帝バシレイオスⅣ世の甥、ティベリウス・アナトリコン。
どっちが指揮の主導権を握っているかはわからない。でもクライン大将がプロブディフに追い詰められた経緯や戦闘の詳細を調べるに、恐らくどちらも名将と呼ぶに相応しい人物であるようだ。
「感心してる場合ですか、少佐。これからどうするおつもりです?」
俺の独り言を聞いていたらしいフィーネさんが聞いてきた。
「……どうしましょうね」
「少佐が火をつけたのですから、消すのも少佐の仕事です。最早地域紛争で収まりません」
そう言って、フィーネさんがある書簡を俺に渡した。
その書簡はやけに高品質な紙を使い、豪華な紐によって纏められ、如何にも偉い人がしたためて送りましたという雰囲気を放っている。
「あのー、これなんです?」
「麗泉宮よりクライン大将への直々の書簡ですよ。責任持って大将閣下にお渡しください」
嫌な予感しかしなかった。
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マルク・フォン・クライン大将。
見た目年齢50そこそこ、騎士階級の出であり実力で大将になった人物。あの変態マテウス准将の上司であり、そして現在俺の上司でもある。
そんなクライン大将閣下は今、フィーネさん経由で麗泉宮から来た煌びやかな書簡の中身を読み上げている。
「『――今回の事態に至り、プロブディフの市民に重大な害が及んだことに対して強い責任を痛感している。キリス第二帝国なる侵略者を許さず、完膚なきまでに破滅させるまでこの戦争は終わらない。関係省庁にはより一層の努力を、そして軍には多大なる戦果を期待するものである。 オストマルク帝国皇帝 フェルディナント・ヴェンツェル・アルノルト・ロマノフ=ヘルメスベルガー』――だ、そうだ」
「……」
意訳:キリスマジぶっ殺す。
地域紛争が全面戦争に代わってしまった瞬間であった。
皇帝陛下から善処を期待された軍としては、中央軍をオストマルク領内から追い出しただけでは不足だろう。ここで慈悲を見せては弱腰との非難を受けること間違いなし。
まぁ、唯一の救いは今オストマルクの財政も経済も至って好調健全で多少の軍事費の増大は許容できるということであるのだが。
「とりあえず軍事顧問ワレサ少佐、我々はどうするべきかね?」
……全面戦争になってしまったのは俺の予測が甘かったということ。だとすれば、フィーネさんの言い種ではないが自分でつけた火は自分で始末するしかない。
「……小官としましては、ハルマンリに居座る不法入国者共を実力で排除する戦力をこの軍団は持ち合わせてはいません。ですので帝都に増援を求め、かつ軍団をこことハルマンリの中間に位置するディミトロフグラードに移動させ、牽制しつつ敵をハルマンリに束縛させるべきかと」
クライン軍団現有戦力は2万5000。ハルマンリの中央軍は1万4000。数的有利はクライン軍団にあるが、地形的有利は中央軍にあることを考慮すれば実力は五分だ。
それにクライン軍団はプロブディフの傷をまだ癒しきれていない。数通りに戦えるようにするためには時間が必要だ。
俺の意見を聞いたクライン大将は目を伏せつつ軽く首を縦に振る。
「ま、妥当なところだな。その上で麾下の軍団の再編成を施すとしようか。そこでだ、ワレサ少佐。貴官にお願いがある」
「なんでしょうか?」
「軍務省からは、君たち軍事顧問は私の軍団の司令部に配属されることになっているな?」
「はい、そうですが……」
なんだろう。再び嫌な予感しかしない。そして嫌な予感というのは大抵その通りになる。現にさっきそうなったし。
「あぁ、しかし我が軍団は大きく消耗したせいで各部隊の人員が足りない。それは司令部要員も同様でな」
「…………」
「そんなわけで、私の現場判断によって君ら軍事顧問を配置転換することになった」
「えーっと、どこの部隊に……」
「貴官の事だ。予想できるのではないかな?」
めっちゃ予想できる。
俺の予想した部隊は、先の戦いで司令部要員が根こそぎ戦死して機能不全に陥りかけていた。そこに外国から来た軍事顧問が作戦を立て代理の司令官を動かして包囲下にある友軍の窮地を救っている。
……そういう理由があるからその部隊に転属、ということではありませんようにと祈る意味を込めて俺の予想を口にした。
「……マテウス准将の司令部、ですか?」
「御名答。本日付でマテウスを私の権限で少将へ戦時昇進させ、師団の指揮を引き継がせる。同時に空いた司令部職に貴官ら軍事顧問団、具体的にはワレサ少佐、マリノフスカ少佐、そして連絡将校として派遣されたリンツ中尉を入れてマテウス師団を編成、戦列に参加してもらう。良いかな?」
悪いです。
そう言えるだけの状況じゃないのが、何とも悲しい所である。




