カロヤノ騎兵戦 ‐後篇‐
カロヤノから東南東に位置する放棄された農村。そこには現在オストマルクにとって招かれざる客であるキリス第二帝国中央軍騎兵隊約500が居座っている。
中央軍の急激なオストマルク侵攻は、オストマルク軍に焦土作戦を実行させるだけの時間的余裕を与えなかった。故に放棄された農村には軍馬の餌、そして軍馬に跨る人間の食糧が保管されたままになっており、即席の軍事拠点としては申し分なかった。
しかしそれも今は昔。
16時現在、この村にいる中央軍騎兵隊は決断を強いられている。
「……どの部隊も戻ってきていないのか」
村に残された士官は、何度聞いたかわからない質問を近くにいた部下に尋ねる。副隊長の顔はやつれ、そのせいで実年齢の倍以上に思わせる顔となっている。誰が見てもそれは、敗北を悟った哀れな敗残兵の顔であっただろう。
「はい。出撃した5個中隊、未だ所在不明です」
「…………」
部下の答えに対し士官の答えは、やはり今日何度目かの沈黙であった。
大隊長コニアテス少佐以下、この騎兵大隊の半数にあたる5個中隊全てが未帰還。さらに問題なのは、その未帰還の人間の中には大隊長、副大隊長がいるということである。
無防備な輜重兵隊を襲って武勲を立てることに大隊長も副隊長も執心したため、本来どちらかが拠点に残って残存部隊を率いなければならぬのに2名とも出撃したのだった。
そしてどちらも未帰還。
よってこの騎兵大隊の命運を決する羽目になったのは新任の大尉で、しかも彼は実戦部隊を率いた経験のない補給士官であった。
「……大尉殿、如何なさいますか?」
部下の1人、実戦部隊を率いる中尉が決断を迫った。しかしそう迫ったところで、補給士官である大尉がそう簡単に結論が出せるわけでもない。
現在、大尉の眼前には選択肢が2つ用意されている。
1つは哨戒部隊、あるいは増援部隊を編成して出撃部隊の生存を確認、合流する。2つ目はなりふり構わず撤退することである。
だが1つ目の案は、増援部隊までもが襲撃を受けてさらに被害が増大する可能性を捨てきれず、2つ目の案はもしかしたら生きているかもしれない出撃部隊を敵中に置き去りにしてしまう可能性があるのである。
どちらを取っても大尉にとって、いやこの騎兵大隊にとって重大な損失をもたらす。故に大尉は悩んでいたのである。
しかし悩んでいる時間もない。哨戒を出すにせよ撤退するにせよ、日没までの時間が差し迫っている以上はやめに決断しなければ何もできないで1日が終わるのだ。
「大尉殿」
それをわかっている中尉が再び催促する。時間がないと。
再びの沈黙の後、大尉は軍隊に入ってから初めて実戦部隊へ指示を飛ばすことになった。
「……情報が少ないと何もできない、か。中尉」
「ハッ、なんでしょう」
大尉は大きく息を吸って、重々しく答える。
「哨戒部隊を出して状況を確認したい。部隊を編成してくれないか」
「では、我が第7中隊でよろしいでしょうか?」
「…………任せる」
彼が初めて出した実戦部隊への指示は大雑把なものであり、責任大なるものでもあり、戦略的にも戦術的にも重要で、そして何より、手遅れであった。
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「……ビンゴ!」
オストマルク帝国軍軍事顧問として派遣されたサラ・マリノフスカ少佐は、茂みに隠れつつ単眼鏡でそれを見、そして小さな声で喜びを露わにした。
彼女が今いるのは放棄されたある農村近くの丘、そしてその農村こそが、中央軍騎兵隊が駐屯している場所であった。
「さすが『私の』ユゼフね」
街中であれば官憲に通報されてもおかしくない程にニヤニヤしながら、彼女は「私の」の部分を強調して呟いた。
彼女がここに至った経緯は単純であった。
今は亡きコニアテス少佐率いる騎兵5個中隊はこの4日間、あらゆる場所、あらゆる地点に出没し、そして遭遇したオストマルク輜重兵隊を見守っている間、オストマルク軍もまた彼らを見守っていたのである。
偵察部隊が得た中央軍騎兵隊の情報を下に、ユゼフは彼らが拠点としている農村の特定に挑んだのである。
もっともこれは本来、中央軍がユゼフの用意した罠に掛かるように輜重兵隊の輸送ルートを策定するために集めた情報であって、拠点襲撃まで考えたことではなかった。
しかし数日に亘ってコニアテス少佐が粘った結果膨大な量の情報が彼の下に送られてきた。こうなると話は別である。
「拠点となる農村の数は確かに多い。そして敵は頻繁に拠点を移動させるため特定は困難だった。でも敵の指揮官が慎重だったおかげで、彼らの部隊行動線から予想し、拠点の大まかな位置が予測できた」
ユゼフはそう言って、地図と偵察部隊の情報を合わせて分析し、そして結論を出した。
「カロヤノ周辺で敵拠点となりそうな農村は、ここから東にある4ヶ所だ。でも1日目で部隊の行動線が南に移っているから、北側の果てにある農村は除外できる。とすると残り3ヶ所だね」
だがその3ヶ所の内、どれが本当の拠点かは彼で以っても特定できなかった。その最後の詰めとなったのが、サラだったのである。
つまり彼女が持つ、戦場における抜群の嗅覚と女のカンで特定しようと言うわけである。ある意味ユゼフらしくない提案であったが、サラは彼の期待、あるいは賭けに乗った。
「わかった。騎兵を1000ばかし借りるわよ!」
軍事顧問の身である彼女が最前線に立って部隊を指揮するなど本来ならばあり得ないのだが、マテウス准将は「女神殿の仰せの通りに」と言ってその行動を許可した。
そしてサラはその賭けに勝利した。彼女は一発で敵騎兵隊の拠点を特定したのである。
しかしサラが単眼鏡で見る先にあったのは、忙しく動く中央軍の姿だった。それが出撃が間もなく行われるという証明であることは言うまでもない。
「時間がないわね。奴らが出撃する前に……あ、でも出撃直前で気合入れてる時襲った方が、あいつらも慌てるからそれがいいかしら……」
武人としての最高の能力を持つサラがユゼフの策略を模倣し出した時、それを止めることができるのは、この大陸に果たして何人いるだろうか。
それは少なくとも、この農村周辺にはいなかった。




