カロヤノ騎兵戦 ‐前篇‐
8月18日の夜。
カロヤノ周辺に展開するキリス第二帝国中央軍騎兵部隊は、ティベリウス少将率いる師団配下の鐡甲重騎兵連隊ではなく、より機動力と軽快性に富み、通商破壊や偵察と言う任務に適している通常の軽騎兵であった。
その部隊の総数はユゼフの予想通り、数は1個大隊約1000程と少ない。これを率いるのは中央軍少佐コニアテスであった。
コニアテスは、ティベリウス少将よりカロヤノに駐屯するオストマルク軍敗残兵部隊の規模を調べ、可能であればその部隊の行動を妨害せよとの命令を受けていた。
よってコニアテスは通商破壊による補給路の寸断、および不定期の襲撃による威力偵察を試み、カロヤノ駐屯部隊をそこに閉じ込めることに成功した。
しかし、彼らがここに来てからまだ2日程しか経過していない。地理不案内の敵地の中、有効な偵察活動が行えたわけではなかった。
「……カロヤノに駐屯する部隊は5000から1万、か。かなり幅があるな」
コニアテスは威力偵察部隊からの報告に対して、些かの不満を持ち合わせていた。報告役の副官も、申し訳ないと思いつつもコニアテスの宥め始める。
「しかし少佐殿、まだ威力偵察は一度を行ったのみ。また敵部隊の士気は落ちており、仮に敵が1万の兵力を保持しているとしても、脅威とはならないでしょう」
副官の意見は間違ってはいない。むしろ一度の威力偵察でそこまでの情報を得たことを褒めるべきであろう所である。だがコニアテスが求めていたのは敵の情報ではなく、現在プロブディフにて包囲作戦中の、無防備となっているティベリウス師団及びテルメ旅団の安全である。
「敵の敗残兵部隊を確実にカロヤノに押し込めるのが我々の役目だ。……今展開している中隊は1個だけだったよな?」
「左様です、少佐殿」
「なら、今日から5個中隊を展開させゲリラ戦を行う。友軍部隊以外の全ての動く目標を攻撃せよ」
コニアテスの命令は、徹底したゲリラ戦によるオストマルク軍の兵站の破壊であった。
翌、8月19日10時30分。
編成された5個中隊はそれぞれが獲物を求めて野に放たれる。コニアテス自身も馬に跨り戦場を駆けた。
そしてそれから数時間もしないうちに、コニアテスが直接率いる中隊はオストマルク軍の輜重兵隊に遭遇した。
「少佐殿、この期に及んでオストマルク軍は油断しているようであります! 我らが行動する中で護衛も録につけず戦場を往来しようとは……」
副官は興奮した様子でオストマルク軍輜重兵隊を睨み、命令しなくともその興奮の勢いに乗って突撃しようとした。だがその副官の勇み足をコニアテスが引き止めた。
「だろうな。だからこれは罠だ」
「……罠?」
「そうだ。罠だ。理由は今貴官が言った通り、彼らは余りにも無防備すぎる。まるで『さぁ、私たちは無防備な輜重兵隊。どうぞ攻撃なさってください。それこそが私たちの望み』だとか言ってるようなもんじゃぁないか」
コニアテスは微妙に音程を変えながら冗談っぽく言ったのだが、彼の心の中は恐怖と警戒で満ちていた。もしこの輜重兵隊を攻撃したらどうなるか。調子に乗って輜重兵隊を蹂躙している最中、別の方面から敵が襲ってくるのではないか。
「今ここで我々が戦力を失えば、我が大隊は指揮官を失うことになる。そのリスクは背負えん。ここは黙って見守ることにしよう」
彼はそう言って、興奮する部下を諌めて突撃を命令せず、オストマルク輜重兵部隊がカロヤノに入場する様子を見守っていた。
そしてコニアテス麾下の中隊以外の中隊も、同様に無防備な敵輜重兵隊を発見した。しかし各中隊指揮官はコニアテス少佐と全く同じ理由でこれを無視し、輜重兵隊を見逃した。
それらの無防備な輜重兵隊を複数個所で確認した中央軍騎兵大隊士官は安堵する。よかった、やはりあれは罠だったのだと。攻撃しなくて良かったのだと。
しかしその一方で、彼らは無防備の輜重兵隊を襲わなかった関係上、この日は戦果0で陣地に帰還している。
翌8月20日。
コニアテスは前日と同じく騎兵隊を放ったが、彼らはまたしてもオストマルク輜重兵隊に遭遇した。今度は護衛を付けていたが、前日と全く同じ理由からこれを攻撃しなかった。
コニアテス曰く、
「オストマルク軍め、余程手がないらしい。同じ手を2日連続で仕掛けてくるとはな」
と。
だがその次の日、8月21日。事態は急変する。
2日連続で戦果0で終わったことに不満を抱いた一部の隊員が、オストマルク輜重兵部隊を攻撃。突撃した兵が少数であったため戦果は僅少であったが、予想されていたオストマルク軍の罠が発動しなかったのである。
このことは、騎兵部隊を困惑させ、かつ悩ませた。
僅少とは言え、命令違反とは言え戦果を挙げた部隊がいる。そして敵は罠など張っていなかった。もし19日、20日に攻撃を仕掛けていれば、もっと戦果が挙がっただろうという不満が、一部士官と下士官から上がったのである。
「少佐殿がみすみす敵を逃したせいで、カロヤノ駐屯の部隊は強化されようとしている! 如何に責任を取るおつもりか!」
そう声を荒げる士官も、前日まで攻撃を躊躇って命令しなかったのであるが、しかしそれをコニアテスの責任に転嫁して騒ぎ立てたのである。
これに同調した兵からの不満や怒りの声が相次ぎ、遂には副隊長にある人間でさえも、
「これ以上敵の輜重兵隊を見逃していては敵は増強され、ひいてはプロブディフにて展開中の友軍が危険に晒されます。敵が態勢を立て直す前に、攻撃の許可を!」
必死に訴える部下の説得に負けたのか、責任転嫁騒ぎが鬱陶しくなったのか、はたまた指揮官自身も戦果を挙げたくなったのかは定かではないが、ついにコニアテスは重い腰を上げる。
「わかった。これ以上の敵の蠢動を許すわけにはいかぬ。敵輜重兵隊を見つけた場合は直ちに攻撃、物資を強奪ないし破壊・焼却してカロヤノを封鎖する!」
8月22日、5個騎兵中隊が再び獲物を求めて駆けはじめた。
だがしかしコニアテスは、その決断を後悔することになった。大佐への二階級特進と言う形で、であるが。
13時30分。
コニアテス率いる騎兵中隊はオストマルク軍輜重兵隊を発見。罠であることを最早頭に入れていないコニアテスはすぐに突撃を下令、鬨の声を上げて疾走するキリス中央軍騎兵隊を前に、オストマルク軍輜重兵隊は為す術なく退散する――かに思われた。
しかし現実は違った。コニアテス騎兵中隊の突撃に対し、オストマルク軍輜重兵隊はその寸前になって整然とした槍衾を展開したのである。護衛のみならず、荷馬車からも兵が下り、そして何事もなかったかのように整列し、槍を構えた。
騎兵の突撃に際しては、遠距離からの攻撃、防御陣地による遅滞戦術、槍衾による防御という3つの戦法が特に有効である。だがそれらを実行するにはそれぞれ、強力な魔術兵の存在、陣地を構築する時間と敵を陣地に誘導する戦術、そして騎兵の突撃に際して怯まず槍を前に掲げる士気の強い兵が必要である。
騎兵隊を指揮するコニアテスもこのことは当然知っている。だからこそ彼はこの輜重兵隊が単なる補給部隊ではないことを理解した。
彼らは輜重兵隊ではなく、よく訓練されたオストマルク軍槍兵隊であると。
「突撃中止! 中止だ!」
コニアテスは馬を操り速度を落とし、必死に部下に命令する。だが戦場を駆け大地を激しく踏み鳴らす軍馬の足音を前にしては、その声は届きようもなかった。たとえ聞こえたとしても、速度が乗っている騎兵が急に止まれと言うのも無茶な話である。
その数分後、コニアテス麾下の騎兵中隊は突撃に失敗。コニアテス少佐以下67名が死傷し、中隊としての能力を奪われた。
そしてそれと同様の出来事が、カロヤノ周辺で他に4ヶ所で起きていたのである。
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「――と、いうのが俺の提案でした。輜重兵隊は確かに罠だけど物資も満載、増援の兵も載せる。敵が罠だと思って過剰に警戒している間に戦力を増強させて、敵が痺れを切らしたら罠を発動させるのです」
俺の考えた、敵ゲリラの迎撃案は単純。餌で釣って騎兵の弱点を、文字通り『突く』。ただそれだけだった。それをどうやって敵に隠すか、あるいは考えさせないかに工夫を凝らした結果がこれ。
「通商破壊に出ている騎兵って言うのは、他の味方が戦果を挙げている中、二度も三度も目の前にちらつく戦果を見逃して冷静でいられる人間じゃないんですよ。鬼の規律を持っているか、あるいは末端の兵に至るまで戦術を理解しているとなると、この作戦は失敗したでしょうけど」
現在時刻、8月22日16時。俺はフィーネさんに対し作戦の概要を説明している。用兵理論をあまり理解していない彼女にわかりやすいよう心がけて。……なんだか士官学校時代を思い出す。
「ですが、4日もかかったのは些か問題では?」
「……いや、確かにプロブディフ解囲戦を考慮に入れるとそうなるかもしれません。ですが補給に3日費やせたことで兵の士気と量はだいぶ持ち直すことに成功しました。後は……マテウス准将の成果ですね」
「は? あの変――准将がですか?」
おい今なんて言おうとした。
「まぁ、麾下の将兵が大抵男で、そして矢鱈目鱈女性に手を出す准将ならではの士気回復演説と言いますかなんと言いますか」
「はぁ……」
フィーネさんはその場にいなかったため演説の内容は知らない。というか知らなくていい。あれは女性に聞かせたら、現代日本ならセクハラでネットやテレビで血祭に上げられたであろう内容である。
『いいかお前ら! ここで武勲を立てればモテるぞ! そしてプロブディフにいるクライン大将を助ければもう女に困る人生は終わりみたいなもんだ! 童貞なお前らも*****やら**********で*************を――』
詳しくは聞かないでほしい。とりあえず童貞の類の演説が始まったら麾下将兵が一部ドン引き、大多数が爆笑となったのは覚えている。
変態ってこういうことに使えるのかと感心したが、もっと感心なことがある。
「今回、5ヶ所でこの罠が成功しましたけど、実の所3ヶ所で成功すれば御の字だなって思ったんですよ」
「……どういうことですか?」
この作戦、5ヶ所でほぼ同じ時間帯で同じ罠を仕掛けていた。これが少しでもずれると、1ヶ所の敗退の報が各敵中隊に知られて撤退させられると思ったのだ。
まぁそれでも、今回はそれでよかった。5ヶ所中1ヶ所でも成功すれば、出撃兵力の2割が失われたことになる。敵中で無理な攻撃をする必要がない以上、普通ならここで撤退するだろうと、そう考えた。
だが現実は違った。この結果は予想外だった。
複数個所で、同じ時間帯で同じ罠を仕掛けてほぼ同時に成功させるというのは、並々ならぬ緻密さと連携を必要とする。
そんな緻密な作業はさすがに俺でもできない。そんなことをやって見せたのが、今執務室の天幕でオストマルク軍の女性補給士官を口説いているあの変態である。
勝って兜の緒を締めるどころか色々とゆるゆるになっているあの変態がやったのである。
「彼には戦術的独創性はないし、軍士官としての性格は最悪です。でも、こういうことに関してはもしかしたら、才能があるのかもしれませんね」
彼の上司であり俺の本来の配属先であるクライン大将は、そのことを見抜いていたのかもしれないなぁ……。
「…………ところで少佐、ひとつ質問よろしいですか?」
今にも溜め息を吐きそうな程ウンザリしている顔をしている彼女は、目頭を押さえつつそう聞いてきた。
「あ、はい? どうぞ?」
「マリノフスカ少佐の姿が見えないのですが……彼女は今どこに?」
あぁ、そのことか。それなら簡単だ。
「この作戦、まだ続きがあるんですよ」




