第七次戦争
「というわけで殿下、オストマルク帝国とキリス第二帝国は戦争状態に突入した模様です」
「……ユゼフさん、ひとつ良いですか?」
「はい」
「……7回目なんですか?」
「はい。大小含めて、ですが」
オストマルクとキリスは不倶戴天である。
8月10日。
軍事査閲官執務室、つまりエミリア殿下の執務室で俺はエミリア殿下に、フィーネさんとの面会で得た情報を報告している。
フィーネさん曰く、オストマルク国内事情に大きな変化はないようだが、対外情勢は完全に燃え上がったようである。つまり第七次オストマルク=キリス戦争の勃発だ。
飽きもせず7回も戦争できるとは、大したものである。
「しかしシレジアも人の事言えませんよ。シレジア独立戦争に始まり、いったいシレジア王国は何回東大陸帝国と戦ったのでしょうか」
「…………」
エミリア殿下が天井を仰ぎ見ながら指折り数えていたようだが、小指を折ったあたりで諦めた様子。戦争は大陸の風土病である、って誰かが言ってたし。
「でも今回の場合、ユゼフさんが嗾けたのではありませんでしたか?」
「いやまぁ、そうなんですが……。しかしこれはオストマルクの利益にも繋がる話ですので、大目に見ていただければ幸いです」
オストマルク帝国の国益とは、東大陸帝国が肥大化することを防ぐことである。彼の国が肥大化すると「大陸の再統一」という大戦争が起きる可能性があるから。
そうならなくとも、シレジア完全分割後に共通の敵を失った東大陸帝国、リヴォニア貴族連合、オストマルク帝国が覇を競い合う可能性が高い。何処が勝っても国力が疲弊するし、そして国力が疲弊し経済が低迷すれば、多民族国家であるオストマルクにとっては叛乱を生み出す母体となる。
だからオストマルクはシレジアを緩衝地帯として生き残らせ、長期的に帝国を安定化させる外交政策を取ったのだ。
しかし帝国宰相セルゲイ・ロマノフは名君だった。俺やエミリア殿下と2つしか年齢が変わらないにも拘わらず、東大陸帝国を急速に若返らせている。彼の国はまだ再建の途中だが、その効果は明らかだ。軍や治安機構を完全に掌握しているために暗殺という手段を取れない。彼が帝位に就くのは確実。
「あんな偉大な人間であるとわかっていたら、早期に暗殺をしていたでしょう」
と、フィーネさんが前に言っていた。彼が有能であるとわかった時には、彼は既に権力者だった。
つまり東大陸帝国の国力が肥大化することは確定されたようなものだ。この状況に至ってオストマルクが打てる手は、シレジアを裏切って東大陸帝国側に立つか、シレジア以外の国も巻き込んで反東大陸帝国同盟を成立させるかである。無論、オストマルク主導で。
オストマルク外務省、つまりフィーネさんの祖父であるクーデンホーフ侯爵は後者を選んだ。理由はいろいろあるだろうが、東大陸帝国の最終目標が大陸の再統一である以上、オストマルク帝国の自主独立を守るためにはそれしか方法がないというのが一番の理由だと思う。
前置きが長くなったが、反東大陸帝国同盟の成立に至って障害となるものがある。それが、今回問題となるキリス第二帝国だ。
「帝国宰相セルゲイ・ロマノフの外交政策の見直しによって、東大陸帝国とキリス第二帝国の仲は修繕されつつありました。それはオストマルクにとって厄介です」
「そうですね。しかもカステレットでユゼフさんが変なことをしたせいで、変に疑われているようですから」
エミリア殿下はそう言ってクスクスと笑ってみせた。
「それについてはご勘弁を」
軽い気持ちで出した提案がここまで国際情勢を動かすとは思ってもいなかったんで。
「ふふっ、構いませんよ。情勢がこうなることを予測できなかったのは私も同様なので、お互い様です」
「ありがとうございます」
まぁ過ぎた話は脇に置いておこう。
「話を戻しますと、キリスにはオストマルク主導の反東大陸帝国同盟に入ってもらいたい。ですがキリスはオストマルクが信じられない。キリスは東大陸帝国と一定の距離感を保ちつつオストマルクと剣を交えることを選んだのだと思います」
「ユゼフさんの言う通りだとは、私も思います」
「……妙に引っ掛かる言い方ですね」
「どうせユゼフさんのことですから、その後がもっと悪辣なのでしょう?」
違いますか? と言った感じで首を傾げて聞いてくる殿下。なぜだ。
「そんなことはありませんよ。ただこの戦争にオストマルクが勝つことが出来れば、キリスをこちら側の陣営に引き込むことができるかもしれない、と思っただけです」
「と言うと?」
簡単な話だ。
第七次戦争にオストマルクが勝てば、当然講和条約が結ばれる。その時に言ってやればいい。「領土割譲は求めない。その代わり反東大陸帝国同盟に参加しろ」とね。そこまで直球じゃなくても、東大陸帝国との交易停止、同盟の永久禁止、そしてオストマルクとの関係改善と交流を再開する事を約束させればいい。
キリスとの講和条約を土台にして、反東大陸帝国同盟を成す。これが基本構想だ。
無論これを実現させるためにはオストマルクが勝つ必要がある。それも辛勝ではなく、完勝に近い形で。それをどうやって実現させるかはオストマルク帝国軍の腕次第と言ったところか。とりあえずキリス第二帝国最大の都市ミクラガルドを陥落させればいいんじゃないかな。
「と、こんなところです」
「…………」
「あの、殿下?」
なぜか殿下が数分間何も言葉を発さず、少し溜め息をついてからやっと口を開いた。
「やはりユゼフさんは並々ならぬ人物だと思います」
お褒め戴いた。いや直前に吐いた溜め息の事を考えると絶対純粋な意味で褒めてないと思うけど。とりあえず俺は「ありがとうございます」と返答したが、それに対するエミリア殿下の反応はまたしても数分間の沈黙と軽い溜め息だった。
なんでだろう。ごく無難な政策だと思うのだが。
「……まぁ、ユゼフさんの才はともかくとして、ユゼフさんとサラさんは観戦武官として前線に赴くのですよね?」
「その予定です。フィーネさんも同行するかと」
たぶん途中で帝都エスターブルクに寄るだろうが、絶対にリンツ伯とは会いたくない。あの人に会うとよからぬことが起きるのではないかと不安なのだ。
……いや、それよりも前に不安なことがあるのだけど。
「あぁ、そうだ。思い出しました。忘れぬうちにユゼフさんにいくつか情報を渡しておきます」
「情報、ですか?」
「えぇ。王都からです。こちらの資料を」
そう言って殿下から手渡された資料はそれほど分厚くはない。作成したのは王国宰相府国家警務局所属のヘンリクさんである。
曰く、カロル大公派に近い人物が王都を発し、シレジア北部の港湾都市グダンスクへ向かったとのことである。そこから船を使って何処かへ、という動きはまだないそうだ。またそれ以外の人物にも活発な動きが見られるそうだ。
エミリア殿下が王都へ行くというこのタイミングで動き出すカロル大公派。嫌な予感がするのは臣下としては当然のことである。
「殿下、やはりマヤさんを王都に同行させるべきではないでしょうか? 特別参与職が一時的に空席となってしまいますが、それは王都から人を呼べれば……」
エミリア殿下は近日中に王都へ赴かれる。その際護衛としてシレジア王国軍最精鋭の近衛師団第3騎兵連隊が同行することになっている。
けど、やはり傍に誰かしら置いておくべきではないのかと思ったのだ。しかし殿下は、
「いえ、大丈夫ですよ。サラさんがいませんが3000名の護衛がいますし、それに王都には親衛隊も、そしてヘンリクさんやイリアさんもおります。私自身、これでも贅沢過ぎる護衛の量だと思うのですよ」
と言って頑として譲らなかった。
殿下がそう言ってしまうと、こちらとしてはそれ以上強く言えない。結局マヤさんの残留とサラさんのオストマルク行きはそのまま決定となった。
殿下はああ仰ったものの、不安が拭い切れるはずもない。
俺は万が一に備えて、王都にいるヘンリクさんとイリアさんに注意を促す手紙を送ろう。それとマヤさんと会って「想定外」なんてものが無いようにしなきゃな。
……過保護かな?




