ヴィクトルⅡ世
エレナ皇女によれば、事の発端は5月28日22時頃のことだという。
この日付と時間を聞いて、すぐにピンと来た。
東大陸帝国内務大臣ユスポフ子爵邸で火災が起きた日時。オストマルク帝国情報省第四部部長ヴェルスバッハ(某国の元中将さん)の指示によって行われた事件。
「あの火災は自然的なものであると帝国政府は発表しましたが、そうでないことを私は知っているんです!」
やや妄執に囚われたかのような物言いと表情で、皇女は必死に説明した。
帝国内務大臣ユスポフ子爵は、公金横領や情報漏洩の罪で罰せられることがほぼ確定していた。皇帝官房治安維持局という帝国の秘密警察が証拠を掴んでおり、いつでも逮捕できる状況であった。
だが逮捕しようにも逮捕できない状況があった。エレナ皇女の祖父、即ち現皇帝イヴァンⅦ世の存在だ。
帝国宰相となったセルゲイには、大臣の任用権がない。皇帝イヴァンⅦ世が思いの外頑固で長生きなものだから、新しい内務大臣に代替わりさせることができない。
セルゲイは一応行政府の長として国政のあらゆる部分において口出しできる立場にあるが、それでもあらゆる改革に没頭し邁進する中で、今後仕事が激増するであろう内務大臣職を兼任することなど不可能だし効率が悪い。
だから内務大臣を殺したのだという。
内務大臣を殺せば、後任が決まらない間は自然と次官職に就いている者が仕事を引き継ぐ。事実、現在内務省を取り仕切っているのは皇太大甥派の内務次官ナザロフ子爵であるという。
ナザロフ子爵を事実上の内務大臣にするために、セルゲイはユスポフ子爵謀殺を決めた。
しかし別の問題がある。皇帝派貴族だ。彼らに反セルゲイの旗を掲げる大義名分を与えることはあってはならない。国内の部局を動かせば足が出る。
オストマルクの手によって、ユスポフ子爵を謀殺する。そうすれば東大陸帝国側に証拠は残らない。
……と言うことを、滑舌悪く、長ったらしく、そして途中から半狂乱状態になりながら、エレナ皇女は説明した。
あまりにも支離滅裂な部分が多くて、それを翻訳するのにヘンリクさんも俺も手間取ってしまったが。
「あの男は悪魔なんです! 邪魔になる者を徹底的に排除しする、非情な男、人間の皮をかぶった悪魔です! そして彼奴の牙は、きっと私たちにも向けられるはずなんです!」
彼女は号泣した。立ち上がり、机を叩き、ヘンリクさんや俺に怒鳴り散らしながら泣いた。今度は自分の番だ、そうに決まっている。と。
でもその狂乱はあまり長く続かなかった。エレナ皇女の背後で、赤ん坊の泣き声が聞こえたからだ。
ヴィクトル・ロマノフⅡ世、彼女の息子の声。
近侍が泣き止むよう、必死に子供をあやす。でも泣き止んだのはエレナ皇女の方で、俺たちに構わず子供を抱きあげた。お母さんが悪かったから、大丈夫だから、と。
……普通の母親と子供にしか見えなかった。
ヴィクトルⅡ世が泣き止んだ後、か細い声でエレナ皇女は言った。
「……私はどうなっても良い。でも、この子だけは助けたいんです」
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エレナ皇女ら亡命者一行への尋問を終え、客室で休ませる。その間に、残ったシレジア側の人間で話し合った。
「ヘンリクさんはどう思いました? エレナ皇女殿下の仰る事を」
エレナ皇女の言葉は、真実味に欠ける。何ら証拠があったわけではなく「いつ自分や子供が処刑されるかわからない」という恐怖が、そうさせたのだろう。
「俺の経験から言って……恐らく、エレナ皇女は嘘は言っていない。彼女はアレを真実だと思っているのだろうと思う」
ヘンリクさんは俯き、眉間に皺を寄せて答えた。
警務官として感情を表に出すことの少ないヘンリクさんだが、この時の表情が何を意味するかは容易に読み取れた。
同情している、あるいは憐れんでいる。エレナ皇女を敵国の皇族ではなく、単なる政治亡命者と見ている。
その気持ちは、たぶんこの場にいる全員が思っていたことだろうと思う。アレを見せられたら、ちょっとね。
「ユゼフさんはエレナ皇女の証言、『オストマルクが皇太大甥派と手を組もうとしている』という言葉、どこまで真実だと思いますか?」
「……真偽の割合は1:9程かと」
無論、1の方が真だ。
「理由は?」
「オストマルク帝国が、現状東大陸帝国と手を結ぶ理由が思いつかないのです」
皇太大甥セルゲイの最終目的は全大陸の統一。そしてオストマルク帝国の目的はあくまで周辺情勢の安定化である。両者の考えは水と油、融合しようもない。
それに、俺はユスポフ子爵邸火災事件の真相を知っている。
「ユスポフ子爵邸火災事件の犯人はオストマルク帝国情報省第四部である、ということを私はフィーネさんから聞いています。もしオストマルク帝国がシレジア王国を見捨て皇太大甥と手を組むことを選んだとしたら、この事を教える必要はありません」
教えてくれなかったら、さっきの真偽の割合は3:7くらいにはなっていたかもしれない。
「……真が1である理由は?」
「それは――私の想像、というより妄想の域に達していますが――オストマルク帝国全体の意思ではない可能性、つまりセルゲイに同調する派閥がオストマルク帝国内に存在し手を組んでいる可能性です」
これはエレナ皇女の妄執から離れる、てか全然関係ないレベルの話だ。
オストマルク帝国非主流派がオストマルク帝国主流派とシレジア王国の関係を悪化させたいがために謀略を張り巡らせた……と考えたのだが、自分で言っといてなんだけど時系列がグチャグチャだし矛盾点が多すぎる。
でも、オストマルク非主流派の存在の有無、いたとしたら何をして何を企んでいるのか。その辺を確かめることが必要なのではないか。
「ユゼフさんの疑惑の真偽がどうであれ、この場で決めるべきはエレナ皇女の今後の処遇についてです。そのことについてはまた改めてということで……」
エミリア殿下はそう言って締めに入ろうとしたが、俺の思考は止まらなかった。むしろ加速させた感じもある。
「殿下、エレナ皇女の亡命は受け入れられません。大公派、皇太大甥派がどう動くかがわからない以上、亡命受け入れは相当の危険を背負うことになります」
と、内務省の人が述べた。確かにその通り、シレジア王国はエレナ皇女を受け入れられない。純政治的に。彼はそのまま言葉を続ける。
「私としましては、東大陸帝国に送還するべきかと考えます。確かに1歳の子供を死地に追いやることになるやもしれませんが、それでも『1歳の子供を救うためにシレジア王国に住む多くの臣民を犠牲にすべき』などと言うことはできませんから」
彼の言い分を聞いて、ヘンリクさんも首を縦に振った。治安関係者2人の意見が揃った形となる。
エミリア殿下はそれを見て、そしてやや暗い顔をした。先ほどのやり取りを思い出しているのだろうか。
「ユゼフさんも、同意見でしょうか?」
殿下は俺も賛同するに違いないという思い込みで、そう言ってきた。確かに純政治的には本国送還一択だろう。皇太大甥派にわざわざ大義名分を作らせてやることはない。
だけど、俺は別の意見をエミリア殿下に表明した。クラクフスキ公爵領民政局統計部特別参与としての俺が、そうさせたのだ。
……また、と言っては若干変だし自分で言って傷ついた。
つまり「人道的にこれはどうなのだろう」という提案である。
 




