対決
目と目が合う瞬間殺されると気づいた。
俺の背後にいてジャガイモを投げジャガイモを握り潰していたのは怒髪天を突いているサラさん。世が世なら神仏として讃えられていそうな、あるいは鬼として恐れられていそうな形相である。
「…………」
というか簡単に言えば本気で自分は死ぬんじゃなかろうかと思った。だが、救いの女神は彼女の割とすぐそばにいた。
サラさんの横に立ってサラさんの裾をくいくいと引っ張っているユリアである。
ユリアは、俺の下に怒りの衝動に任せて歩きだそうとしたサラをそれで引きとめ、何かに気づいたようにハッとする。
……大丈夫かな?
とりあえずフィーネさんも呆けているようなので腕を引っこ抜いて距離を保つ。あわよくば逃げたい。フィーネさんにムッとされたけど、あなたサラがいるとわかって行動したよね?
そうこうしているうちにサラが接近。怒りは抑えられているようだが顔はひきつっている。
「ひ、久しぶり。奇遇ねフィーネ」
「えぇ。お久しぶりですマリノフスカ少佐。本当に奇遇ですね」
と、ややぎこちなく会話を始める2人。ピリピリとした雰囲気が周囲に漂う。その緊張した空気は敏感な通行人たちも感じ取ったのか、なんだなんだと遠目から見ている人が現れた。
この状況。非常にまずい。7割6分5厘ほど自分のせいだが、一触即発、オストマルクとシレジアの士官がクラクフ市街で大乱闘ナントカシスターズでもされたら色々と不味い。政治的な意味でも風聞的な意味でも。
「ユゼフと、な、なにやってたのかしら?」
「いえ、別になんでもありませんよ」
「なんでもないわけ……」
「なんでもありませんよ。ユゼフ少佐の単なるご友人であるマリノフスカ少佐には関係のない話です」
「……っ!」
2人共喧嘩腰。気まずい。とりあえず本当に喧嘩にならないように……、
「ま、まぁ2人共、とりあえず落ち着いて……」
「「ユゼフ(少佐)は黙って(てください)!」」
あ、はいごめんなさい生まれてきてごめんなさい。来世ではもうちょっと誠実に生きます。
「マリノフスカ少佐はどうしたんですか? こんなところで」
「別に、夕食の買い出しよ。いつもこの時間に買い物するの」
そして俺を連れてきたのか。フィーネさんこわい。
「そんなことよりユゼフ!」
「え、はい!? なに?」
「フィーネと、なにやってたの?」
にじり寄るサラ。相変わらず顔が引きつっている。そこから必死さは伝わるが、どうか頑張ってほしい。こんな人目のあるところではまずい。
一方ユリアは表情を変えず「私何も知りませんよ」と言った風。さすがユリアだと言いたいがここではサラのブレーキ役になってほしい。
「べ、別に大したことはしてないよ。ただ一緒にそこの喫茶店で色々話してただけだし……」
「色々って?」
「仕事の話とか……」
これは本当だ。この状況で嘘言えるだけの度量はない。機密に触れる内容が多いからあまり相談云々はできなかったが。
それはさておき、サラの怒りの度合いは話しているうちに徐々に減っているのがわかった。先程の怒りは自分の勘違いなのかと思っているのだろうか。いずれにしても歓迎されるべきこと、このまま穏便に話を済ませ……られないのが世の中の辛い所。ここで状況を悪化させる言葉がフィーネさんの口から放たれる。
「マリノフスカ少佐、そろそろよろしいでしょうか?」
まだ自分は俺と大事な用があるのだという物言い。フィーネさん煽りよる。
当然、サラの怒りゲージも上がる。
「何よ。今こっちは……」
サラが何やら反論を仕掛けた時、フィーネさんが食い気味にそれを言った。
「いけませんね。マリノフスカ少佐には、婚約者がいるのでしょう? あまり余所の男性と話をしているとあらぬ誤解を受けますよ」
と。
……サラの婚約者? って、あぁ待ってね。そういえば随分昔にそんな話が……えーっと。
「まだ婚約してたんだ」
と、つい口にしてしまった。
いや、実のところは意外だったのだ。確かに婚約破棄をしたという話は聞かなかったけど、カステレットでのアレがあってから「もうしたのかな」と勝手に思ってしまっていた。
婚約破棄なんて簡単じゃないのはわかる。確か相手は子爵家次男。騎士階級の娘でしかないサラの独断で破棄はできない。けど、だからと言って「じゃあ結婚しちゃえよ」とは言えない。だって……ねぇ?
でも、俺の言葉はやはり軽率だったかもしれない。
俺の言葉を聞いたサラは、細かく震えていた。そして涙声で、
「何よ! ユゼフまで!」
と言われてしまったのである。俺の言葉には意味はなかったが、サラにはそう聞こえなかったのだと、後になってようやくわかった。
「……もういいわ。帰るから」
そう言ってサラは、俺を殴る蹴るということをすることもなく、フィーネさんに何かを言うこともなく、ユリアを連れて雑踏の中に消えて行った。
「……フィーネさん」
「はい」
「サラに婚約者がいるってこと、誰から聞いたんですか?」
あの話を知っているのは、当事者と、俺と、ポロッと言ってしまったラデックだけ。ほとんど内々で進んでいた話だから、このことを知っている人間はごくわずかのはずだ。
「お姉様からですよ」
「……クラウディアさんですか?」
「そうです。各国貴族の婚姻血縁関係は重要な情報だと、先のカロル大公結婚式の時に改めて認識しました。ですのでシレジア内務省に負けぬよう、私たちもそういう情報を集めたのです」
その過程でカリシュ子爵家次男のことを知ったのだ、とフィーネさんは続ける。
「マリノフスカ少佐は確かにユゼフ少佐と長い付き合いで、絆は強固たるものである。ですがマリノフスカ少佐には婚約者がいる。それは彼女にとっての弱点となるのではないか、ということ。実際はその通りみたいですね」
あぁ、まったくその通り。
またサラの泣くところを見てしまったのだから。
「少佐と彼女の絆を壊してしまえば私に勝機があるのではないか、と」
「それがフィーネさんの策ですか?」
「そうですね。正確に言えば姉の発案ですが、実行したのは私です。使わないに越したことはありませんでしたが……」
そう言った後、フィーネさんは一度言葉を止め、数秒逡巡したものの続きを言った。
「ユゼフ少佐が、そうさせたんです」
「…………」
「それでは、またお会いしましょう」
そう言って、フィーネさんは足早に離れていった。
一人取り残された俺と言えば、
「はぁ……情けねぇなぁ……」
本当に、自分の情けなさが嫌いになる。
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クラクフ商業区にて、そんな些細な波乱を一部始終見ていた一対の目があった。ユゼフどころかサラやフィーネにも気づかれずに済んだ人物。
「……さて、どうすべきかな」
ラスドワフ・ノヴァクは、そう1人呟いた。




