策謀の地
13時10分。
「肩書きの長さの割には、お前暇そうだな?」
俺にあてがわれたこじんまりとした執務室にやってきたラデックは、開口一番そんな失礼なことを言う。……まぁ実際、書類仕事が少ないのは確かだ。俺の為に用意された執務机の上には資料は少なく、あるのは従卒のサヴィツキくんが入れてくれた珈琲と、手を付けていない軽食だけ。
「今の俺の上司、即ち統計部長は事務処理が得意な人間でね。お飾りの特別参与は暇なのさ」
「仕事しろ少佐」
「軍人に仕事がないことは良い事だよラデック」
「軍人は戦うことだけが仕事じゃないぞユゼフ」
ごもっとも。ラデックのそれが良き例である。
ラデックは、やや乱暴に俺の机に資料をいくつか置いた。体裁は整っているし字も綺麗で読みやすく、彼の性格がよく表れている。
「それでよユゼフ、聞きたいことがあるんだが」
俺が資料の中身をザッと確認している最中、ラデックがそう聞いてきた。
「なんだ?」
「お前の……えーっと、何だっけ? 統計部特別参与ってのは、結局何するのが仕事なんだ?」
「…………言ってなかったっけ?」
「少なくとも俺は聞いてない」
マジか。
あぁでも、この職の詳細を知っているのは人事局に根回ししたエミリア殿下とマヤさんだけなんだっけ。あとは例の策を知っているサラとフィーネさんくらいで……。
「ごめん。ラデックの事忘れてた」
端的に言うとそういうことだ。
俺の答えを聞いたラデックは、左手で頭を抱えた。
「理由がひでぇなオイ。……まぁいい、さっさと教えろ」
「切り替え早いな」
「まぁな。もう慣れた」
凄い悲しいことをサラっと言った気がするけど、深く追及するのはやめておこう。でもこいつには綺麗な嫁さんがいるし可愛い子供も生まれる予定なので、その代償と思えば罪悪感は薄れる。爆発しろ。
「さて、と。どっから説明すべきかな……」
「最初からで頼む」
「はいはい、最初から……というと、やっぱり例の捕虜の件か」
そういうわけで、俺は大公派どころか味方であるはずの法務省に知られたらまずいだろう、最高軍事機密が書かれている資料を渡す。この策略を知っているのは、俺らや内務省治安警察局などの王女派の人間だけで、中立派の軍務尚書すら知らない話。
どこからこういう情報が漏れるかわからないからね。本当に最低限の人間にしか知らせていない。
資料の中身を見て、それを理解したらしいラデックは絶句していた。俺と資料を交互に見ているが、信じられないと言った風だ。
「まぁ、そういうことだ。あ、その資料は極めて重要なものだから返して」
「あ、あぁ……でもユゼフ。これは危険な手じゃないか? もし帝国政府にばれたりしたら」
「危険は承知しているさ。でも失敗したところで彼らは今何もできないよ。国内改革中で外征する余裕がないからね」
「だが、改革が安定したら?」
「改革が安定すれば、セルゲイの考えていることから考えてシレジア王国に再戦を挑むことは疑いようもない。どのみち戦争になるのなら、いっそ悪辣な事をしてしまえってね」
無論、だからと言って無策なわけではない。
バレない様な工作はしているし、エミリア殿下が政治的に不利に立たされないよう細心の注意を払っている。
「そろそろ、その策が効果を発揮するころかな……」
俺がそう言った瞬間、執務室の扉がノックされた。俺が「どうぞ」と言うと、入ってきたのはクラクフスキ公爵領総督の妹、つまりマヤさんが入室してきた。彼女が来たということは、結果が出たということだろうな。
「例の件について、帝国領ベルスの駐在武官から報告が上がってきているよ」
誰かが裏で台本を書いているんじゃないかと疑ってしまうくらいに、絶妙なタイミングだった。
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遡って、大陸暦638年6月23日。
東大陸帝国宰相府宰相執務室の主であるセルゲイ・ロマノフは、皇帝官房治安維持局長モデスト・ベンケンドルフ伯爵と会見していた。
彼らの顔に笑顔は一切なく、面持ちも謹厳たるものである。
セルゲイとベンケンドルフ伯がこうして会っているのは、ユゼフが仕掛けたある策の結果によるもの。つまり、シャウエンブルク条約によって解放された捕虜に関する調査である。
「それで、調べはついたのか?」
「はい。春戦争に参加した皇帝派貴族は多く、当然捕虜の数も膨大でした。故に、比例して策略の規模も非常に大きくなっております。それだけに、やや手間取ってしまいました。詳細はこちらの資料に」
そう言って、ベンケンドルフ伯はセルゲイに資料を手渡す。資料はとても分厚く、それだけで人を撲殺できそうなほどの厚みと重量があった。
その資料には、延々と人の名前が書かれている。
セルゲイが読む傍ら、ベンケンドルフ伯が要点を纏める。
「春戦争に参加した男爵以上の爵位を持つ皇帝派貴族子弟3840名の内、1105名は戦死もしくは行方不明、捕虜となった者は1255名。そして先の条約締結に際して帰還した1255名の内、768名に叛乱の兆しがございました。彼らは殿下に忠誠を誓うふりをして帝国内部で武装蜂起をするつもりだったのです。既にいくつかの証拠も掴んでおります」
セルゲイが資料を捲ると、その証拠の詳細も書かれている。
帰還後、彼らは親兄弟親戚を説得し、セルゲイから帝位継承権を剥奪させるために蜂起することを決め、武器や金銭を集める最中だった。その動きを、帝国唯一の秘密警察である皇帝官房治安維持局が掴んだのである。
ただし、政敵と言えど名だたる帝国貴族も蜂起に参加するつもりだったようで、その規模は大きく、皇帝官房治安維持局だけでは限界があった。皇太大甥派貴族や軍、内務省らと協力し、そして証拠を掴んで逮捕したのは、つい先日のことだったと、資料には書かれていた。
「……ご苦労だったな、ベンケンドルフ伯。卿の功績を大とする。引き続き軍と協力し、帝国の膿を掃除してほしい」
「畏まりました、殿下」
「うむ。……にしても、これを策謀したのはシレジア王国か?」
「状況から考えれば間違いありません。ですが残念ながら物的証拠は掴み損ないました。申し訳ありません」
「いや、大規模叛乱の芽を摘んだだけでも功績は大きい。それに物的証拠を得たとしても、まだ国内の体制が整い切っていない我が国には何もできんよ。だからこそ、こうして思い切った手を打ってきたのだろう。今後も、彼の国は警戒した方が良さそうだ」
セルゲイはそう感想を述べて、ベンケンドルフ伯を下がらせた。
広い執務室に1人取り残された彼は、このシレジア王国の策謀について暫し考え込む。
捕虜を使って、敵国内部に混乱をもたらす。これは権謀術数の初歩の手段であり、何ら驚くことではない、実際セルゲイ自身、規模はともかく起こり得る事態だと思いベンケンドルフ伯に警戒を促していた。
しかし、それはシレジア王国側も承知していることではないのか。
セルゲイは、そこに疑問を覚えた。
先に彼が言った通り、失敗してもシレジア王国は安泰である。また帝国を強く若返らせることに執心しているセルゲイにとって、皇帝派貴族を捕まえる大義名分を得ることができたのも僥倖だった。
だがそれでは、シレジア王国にとっては不利なのではないか。あの国にとってもっとも喜ぶべきことは、帝国内部で延々と皇帝派と皇太大甥派が足を引っ張り合って改革が遅々として進まないことであるはずだ。
にも関わらず、彼らは皇帝派貴族を差し出した。
その意図が、セルゲイは読めなかった。
彼がシレジアの、いやユゼフ・ワレサの真の目的に気付くことは、終ぞなかった。
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「ユゼフくんの予想通り、元捕虜の帝国貴族たちはセルゲイに捕まったよ」
 




