ひと時の安寧
大陸暦638年5月7日に締結されたエーレスンド条約と、その講和会議の場における様々な外交によって、大陸情勢は大きく変化を遂げたと言って良い。
大陸暦559年から続いていた反シレジア同盟の事実上の崩壊、オストマルク帝国とシレジア王国の接近、東大陸帝国とシレジア王国の融和の兆し。大陸史において重要な事項として後世の歴史教科書に掲載され、そして多くの受験生を苦しませた問題の誕生だった。
この条約によって多くの捕虜が解放されたことも、情勢変化に一役買っている。
1つ、シレジア王国は捕らえていた数万人の捕虜を解放したことによって、ある程度財政が健全化した事。地味だがとても重要なことだった。
クラクフスキ公爵領私設刑務所であるツェリニ刑務所を例にとれば、定員1200名の所に2000名の捕虜と一般刑事犯を詰め込んでいた。捕虜が政治的に役立つために無碍な扱いも出来ず、当然それだけ経費は積み重なるし、その分公爵領の財政に重く圧し掛かる。これがシレジア各地で起きていた。
それが解消される。「ここは豊かだから」という理由で多くの捕虜を抱えることとなってしまったクラクフスキ公爵領では、特にそうだろう。
2つ、東大陸帝国内の情勢安定に寄与したこと。
周知の通り、帝国は皇太大甥セルゲイ・ロマノフ派貴族と、皇帝イヴァンⅦ世派貴族の対立がある。
春戦争によって皇帝派貴族の子弟が戦死ないし捕虜になったことは、皇太大甥派貴族にとってはまさに僥倖であった。これを機に皇帝官房長官モデスト・ベンケンドルフ伯爵を中心とした工作と政争によって、春戦争に参加しなかった皇帝派貴族の権威を失墜させたのだが、まだ不十分だった。
皇太大甥派にとって邪魔な、皇帝派貴族の大多数をこちら側に取り込む。そのための材料が、シャウエンブルク条約によって解放された捕虜だった。この時セルゲイは、捕虜となっていた皇帝派貴族子弟の生殺与奪を手に入れたのである。
「死んだ息子に会うのと、余の軍門に下りて武勲を立てて生還した息子に会う。卿はどちらを選ぶか?」
セルゲイは皇帝派貴族に対して、そう言ったそうだ。無論全ての貴族に対して言ったのではなく、当代、あるいは捕虜となっていた子弟が有能で有用だと判断した者のみにである。
皇帝派貴族の殆どは、セルゲイの下につくことを選んだ。彼らの矜持はそれを許さなかったが、自分の代で家を取り潰されることと引き換えにするほど、肝も据わっていなかった。
「私が皇帝になれたのは、4割程はシレジアのおかげだろうな」
と、後に第60代皇帝に即位したセルゲイ・ロマノフはそう述べた。
そして3つ目。これが今回最も重要な事である。
シャウエンブルク条約によって全ての捕虜は解放された、と公式ではそうなっている。だがこの文章を正確に直すと「殆どの捕虜は解放された」となる。
それは、シレジア王国のある士官による策略だった。
この策略は、シャウエンブルク条約最大の特徴、非武装緩衝地帯の設定と相まって、絶大な効果をもたらすこととなる。
士官の名は、ユゼフ・ワレサ。
彼は大陸暦638年6月1日、クラクフスキ公爵領総督府に新設された「公爵領民政局統計部」の初代特別参与に着任した。
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大陸暦638年7月7日。
条約締結から丁度2ヶ月が経ち、王国内の内情は極めて安定していると言って良い。
春戦争の正式な終戦を迎えたため、準戦時体制は解除、平時体制に戻った。それを機に、軍ではいくつかの重大な人事異動があった。軽く纏めてみよう。
まずは王国軍総司令官ジミー・キシール元帥、王国総合作戦本部長モリス・ルービンシュタイン元帥の退役である。
キシール元帥もルービンシュタイン元帥も高齢で、退役待ったなしの状態が続いていたのだけど、春戦争のせいでそれが伸びていた。今回正式に終戦し、残務処理もほぼ終えたことから、名誉の退役となったわけだ。
春戦争の時に両元帥に大変お世話になったらしいエミリア殿下曰く、
「年齢を考えれば致し方ないのですが……それでも、少し寂しいですね。特にルービンシュタイン元帥には、本当にお世話になりましたし……」
とのことである。
当時少佐でしかなかったエミリア殿下の作戦案を承認し、かつ戦場で参謀としての権限まで与えてくれた。中立派と聞いていたが、もしかしたら王女派だったのか、と思ったのだが、マヤさん曰く、
「エミリア殿下がルービンシュタイン元帥の孫にそっくりだったから……という噂はあるがね。真実は闇の中さ」
……なんだろう。ルービンシュタイン元帥がただの人当たりの良い近所のお爺ちゃんにしか聞こえない。会ったことないけどさ。
閑話休題
次期総合作戦本部長には、総参謀長レオン・ウィロボルスキ大将が、次期王国軍総司令官には副司令官であったジグムント・ラクス大将が、それぞれ元帥に昇進の上その座についた。
ウィロボルスキ元帥は大公派、ラクス元帥は中立派らしく、どうやら人事異動に託けて軍部トップを大公派に染められてしまったのである。
これは地味に辛いかもしれない。
クラクフにいる俺らにも人事異動があった。
まずはエミリア殿下。
クラクフスキ公爵領軍事査閲官という地位職責は変わらないが、なんと准将に昇進した。17歳で准将というのは、例え王族だということを考慮しても結構早い。このまま行けば20歳になるころには元帥になっているんじゃないかとさえ思う。
ちなみにエミリア殿下のコメントは特になかった。軍務省で辞令を受け取った直後の殿下の顔はとても陰鬱なものであったが。
次にラデック。
階級は大尉のままだが、クラクフ駐屯地補給参謀補という地位から「補」の文字が消えた。なんでも前任の補給参謀が不祥事起こして不名誉除隊となったからだそう。
ちなみに彼はまだ結婚していない。リゼルさんが子供を産んだら結婚式を挙げるそうだ。
サラとマヤさんに関しては特に何もなし。サラは少佐で第3騎兵連隊第3科長、マヤさんは大尉で侍従武官のまま。
ただしサラ、ラデック、マヤさん(あとついでに俺)はカールスバート内戦による武功が認められ、王室から勲章を賜った。これで箔がついたし、次の人事異動じゃ昇進するかもしれない。
そして最後に俺。
昇進はしていないが、公爵領軍事参事官の職は解かれ、代わりに新設された公爵領民政局統計部特別参与とかいう、次席補佐官時代を彷彿とさせる長い職を任せられることになった。
あと、エミリア殿下から「騎士」の地位を戴きました。
貴族になりたくないという俺の思いは、無事打ち砕かれたのである。
……はぁ。
新章です。短く終わらせる予定です。なに、クリスマスまでには終わりますよ。




