小さな王女の大きな悩み 後篇
エミリア様を医務室に運んでから数分後、ラデックは教官に報告するために医務室を出た。
そして問題のエミリア様の具合だが……、医務室にいた軍医さん曰く「頭にこぶが出来たくらいで、大したことはない」そうだ。
軽い応急治癒魔術を施すだけであとは大人しくしていれば大丈夫だろう、とのことである。
そして一連の治療が終わって暫くした後、エミリア様は目を覚ました。
「ご気分は如何ですか、エミリア様」
「……ユゼフさん。あの、ここは?」
「医務室ですよ」
「あぁ……そう言えばあの時、私は倒れてしまったのですね」
その時、ちょっと違和感を覚えた。彼女は今「倒れてしまった」と言った。でもあの時は男に「倒された」ように見えたのだ。
その違和感を解決するために、彼女に聞かなくてはならない。
「エミリア様、いったい何が……」
でもそれは、豪快に開け放たれた医務室の扉によって阻まれてしまった。俺とエミリア様と軍医さんがびっくりして入り口を見ると、そこには若干息を切らしているサラさんがいた。
「エミリア! 大丈夫!?」
彼女はそう叫びながらエミリア様に駆け寄る。軍医さんの「静かに」という命令も聞こえていないのか、サラは大きな声でエミリア様の躰をあちこち触っている。
「大丈夫? ケガない?」
「大丈夫ですよ。それと、声を抑えてくれると助かります」
「あ、ごめん」
サラがようやく落ち着きを取り戻すと、ようやく俺と目を合わせてくれた。
「って、ユゼフいつからそこにいたのよ!?」
「最初からだよ」
というか気付いてなかったんですか。いつもなら出会い頭に右ストレートを飛ばしてくるくせに。
「まったく、影が薄いのね!」
「……それは否定はしないけどさ」
でもそれは周囲の影が濃すぎて俺が相対的に薄くならざるを得ない、と言った方が適確だろう。
まぁ、それを突っ込む気にはなれない。さすがに軍医さんの前でサラの格闘術をお披露目するわけにはいかないからな。
「それで、エミリアってばどうしたの?」
「え、えぇ。実は、倒れてしまって……」
「それはわかってるわ。外からエミリアが急に倒れて、それで運ばれるの見たもの」
マジか。
もしかしてあの窓から見た練兵場で訓練でもしてたのかな。よく見てなかったから気づかなかったけど。
「そうなのですか? もしかして運んだのはユゼフさん……?」
「いや、運んだのはラデックですよ。私はご存じの通り非力なので」
「ユゼフはもっと鍛えなさいよ」
ラデックだけでなくサラにまで怒られた。本当ごめんなさい。今度から気を付けます。
「まぁ、ラデックがエミリアをお姫様抱っこしたのは見えたから、私も医務室まで急いで来たってわけ。入り口探すのに少し手間取ったから遅れちゃったけど」
「お姫様抱っこ……少し恥ずかしいですね……」
そう言うエミリア様は本当に恥ずかしがっているようだ。なんとなく頬を赤らめている。本物の御姫様なのに。
まぁでもわからんでもない。校内で一、二を争うイケメンにお姫様抱っこされるなんて乙女ゲームのイベントか何かって話である。ラデックもげろ。
「で、何で倒れたの?」
「え、えーっと……あの……」
エミリア様はなかなか切り出さなかった。そしてなぜか顔を赤くしたまま俺の顔をチラチラ見ている。な、何? 俺の顔に何かついてる? それとも社会の窓が全開だったりするの?
「どうしたの?」
「い、いえ、あの、ユゼフさんの前では……その、言いにくくて」
……えーっと、俺が邪魔ってことかな。信頼してないし友人でもない農民出身で戦術の教官気取りの俺には話したくないってことだろうか。やめて泣いちゃう。いやエミリア様に限ってそんな選民意識は……あー、でも初めてエミリア様に会ったときはそんな感じだったっけ……。
俺が根拠のない妄想によって自分を卑下している一方で、サラには心当たりがあったようだ。
「ユゼフには言えない……って、あ、まさかエミリア。この間の事?」
「……はい」
どうやらサラの心当たりは正解だったようだ。さすが親友同士、以心伝心ってことだろうか。
……そうか、陰で俺の悪口言ってたのか。へこむ。
まぁ冗談(?)はさておき。
「サラ。『この間の事』って何?」
俺はそう聞くと、サラは少し悩んだ。
俺に言うべきか、言わざるべきかという感じだ。一方の当事者であるエミリア様はサラを凝視している。こっちは「言うなよ! 絶対に言うなよ! フリじゃないからな!」って目だな。
さて、サラはどうするだろうか。俺だったら某倶楽部を思い出して言っちゃうけど、サラにとってエミリア様は親友だし、言わないだろうな……。
「ユゼフなら信頼できるわね。教えるわ」
サラも某倶楽部のメンバーだったことが発覚した。いやそういうのではないだろうけど。そしてエミリア様はちょっとガックリしてた。これもある意味当然の反応か。
一方、そんなエミリア様の心情を知ってか知らずか、サラは『この間の事』とやらを話しはじめる。もしかすると彼女の口からは凄惨ないじめについての内容が語られるかもしれない。落書きが酷い机を窓から投げ捨てられ「おめぇの席ねーから!」と罵られ、ロッカーに赤紙が貼られたことを契機に集団いじめが勃発してるのかもしれない。
俺は、緊張で顔を強張らせながらサラの言葉を待った。
「エミリアってば、体重気にしてるらしいのよ」
「……へ?」
ずっこけそうになった。俺の緊張と不安を返せ。
そしてエミリア様の方は、
「サラさんのバカぁ……」
と若干涙声で膝に顔を埋めていた。ちょっと可愛い。
「えーっと……サラさん、詳しく」
「わかってる。あとさん付け禁止」
そう言うとサラは、軍医さんが近くにいる手前俺の頭を軽く叩いた。軽いと言っても叩き方が上手いせいか地味に痛い。
「まぁ、エミリアが体重気にし始めたのってほとんど私のせいなのよ」
「そうなの?」
「うん。私がエミリアに軽い気持ちで『最近太ったんじゃないの?』って言っちゃったから……」
「あー……」
そりゃ駄目だよ。女子は体重とか体型に命を燃やしてるから、そんなことを言ったらダメでしょうよ。しかも同性からの指摘というのが色々辛い。
サラもその点は反省というか後悔してるようで、目を逸らしながら「あの、ごめんなさい」と小さな声で呟いていた。
「もしかして今回倒れたのって……」
「たぶん、そのせい」
無理な減量をしようとして食事を制限したのかな。厳しく激しい訓練が続く士官学校剣兵科において食事制限によるダイエットなんて危険極まる。
そして先ほどそれが限界にきてぶっ倒れてしまったということなのだろう。つまり栄養不足による低血糖、低血圧による失神というわけだ。
あぁ、そう考えるといろいろ思い当たる点が確かにあったな……。
俺とラデックがエミリア様の姿を学食で見かけた時、彼女は全然食が進んでいなかった。あれは減量の一環だったのだろう。悩みがあってそれで食べなかったわけじゃない。食事自体が悩みだったのだ。
そしてヴァルタさんと一緒にストー……じゃない、追跡してた時、彼女は不意に窓を眺めた。たぶんあれは窓の外を見てたんじゃなくて、窓に映る自分の姿を確認していたのだろう。夕方で、窓は東向き、外はだいぶ暗かったため、窓ガラスが鏡の役割を果たしたことになる。
もしかしたらトイレに寄ったのも無理な減量が原因かもしれない。空腹の時間が長いと吐き気を催すときがあるし、それを感じたエミリア様がトイレに、というのも考えられる。いや普通に大なり小なりを出していた可能性もあるけど。
そして医務室に来てからもそう。エミリア様が俺に対して供述を拒否したのは、体重なんてデリケートな話を異性の前でしたくなかったということ。
女の子って面倒だなぁ。
でも色々ヒントはあったわけだ。それに俺らが気付かなかっただけで。
「ユゼフさんにも変だと思われてます! サラさんのせいですぅ!」
「落ち着いてエミリア!」
そして空腹のせいかエミリア様はじたばたし始めた。彼女のキャラがちょっとおかしくなり始めてる。やばいなこれは。
「エミリア様」
俺がそう話しかけると、彼女の動きがピタリと止まった。そして少しずつ俺の方に向き直る。壊れたゼンマイ式の玩具みたいな動きでちょっと面白いと思ったのは内緒です。
「や、やっぱり私、太ってますか?」
うーん、ここで俺はなんて答えた方がいいのだろうか。「そのままの君が綺麗だよ。キラッ☆」なんて言ったらたぶんドン引きされるし俺自身が吐き気を催すだろうしたぶんサラに殴られる。
……でも何度もぶっ倒れても困る。ここはちょっと偉そうにお説教しよう。
「エミリア様、とりあえず寮に戻って夕飯食べましょう」
「で、でも、そんなことをしたら……」
「体重が増えそう?」
「はい……」
低血糖でぶっ倒れてもなお食事制限を続けようとする。ある意味ではエミリア様らしい頑固さだが、今はそれを褒める気にはなれない。
「ではエミリア様。人間は、食べるのをやめるとどうなりますか?」
「……えっと、『痩せる』?」
「はずれです。正解は『餓死』です」
俺が模範解答を出すと、エミリア様が呆けた顔になった。これはあれですね。栄養が頭にまわってないってことですね。そういうことにして。
「人間は食べるのをやめると死にます。当然のことです」
「それは、そうですけど、でも死なないくらいには食べますよ?」
「えぇ。みんなそう言うんですよ。『減らしただけ』だって」
ここからは前世知識だ。ダイエットネタなんて毎日毎日どこかのチャンネルで特集を組んでるくらいメジャーな話題だった。だから減量に興味なくてもある程度は知識が身についてしまう。朝バナナダイエットでもなんでも俺に任せろ。
「ですがねエミリア様。エミリア様の頭ではそう思っていても、体はそうは思ってないのですよ」
「体、ですか?」
「はい。いくらエミリア様が『大丈夫、まだ大丈夫だ』と思っていても体は正直なんです。生きるのに必死になるのですよ。すると……」
「……すると?」
「ちょっと食べただけでも、生を維持するために体は栄養を貯め込みます。つまり太ります」
俺がそう言うと、エミリア様だけでなくサラさんや軍医さんまでビックリした顔をしていた。そりゃそうだ。そんなに医学が発達してるわけじゃないしな。
「食べる量を減らして体重を減らす。すると体が勝手に太る。そしてエミリア様はそれを勘違いしてまた食べる量を減らします。するとまた体は貯め込もうとします。悪循環ですね」
そしてそのうち生理が止まるまで食べるのを減らして飢えて、そして餓死する。
食べるのに困らない王族が餓死って何の冗談だ。
「そ、それではどうしたら……」
どうやらエミリア様はまだ減らすのを諦めてない様子。
でも本当にそのままでいてほしい。減量する必要ないと思うよ? けどそう言っても女子には通じない。女子にとっては標準体重とデブは同義である。それが体重というものが持つ呪い。恐ろしい。そして激しく面倒臭い。
「何もしなくていいと思いますよ?」
「冗談はよしてください」
「いや、冗談じゃないですけど……。エミリア様、ここはどこですか?」
「はい? いえ、医務室ですよね?」
「うーん……もっと広く見てください」
「えっと、士官学校?」
「そうです。士官学校です」
士官学校と言うものは、世界最恐の体育会系学校だと思う。運動しなきゃ死ぬんだからそうなるのは当たり前だ。つまり、士官学校にいるだけで運動は死ぬ程やるのだ。俺ももう死にたい。体動かすのは武術の授業しかないけど。
「エミリア様、運動すれば痩せます。そして士官学校は、ザックリ言ってしまえば運動する学校です。もし痩せたいのであれば、食事の量を減らすのではなく、運動、つまり自主訓練の量を増やしましょう。そうすれば痩せもするし、それに訓練のおかげで成績が上がります。一石二鳥です」
「そういうものですか?」
「そういうものですよ」
筋肉が増えれば基礎代謝も増える。基礎代謝が増えれば消費するカロリーも増えて、結果的にたくさん食べても問題ない。というか軍人はたくさん食べてかないと本当に死ぬ。ていうか死にそう。無理。助けて。
どこの誰か知らないけど、余計なことをボソッと言ったせいでエミリア様は士官学校で食事制限をしてしまったのだ。ここは本来の道に戻すべき。
「もしそれでも不安だというのなら、また私に言ってください。笑いもしませんし、痩せようと思うことは変とも思いませんから」
「……わかりました。ユゼフさんを信じます」
よし。これで王族が士官学校で餓死という珍事件に発展するのは回避できた。後は……。
「サラ」
「何?」
「反省しようか」
本当に、不用意な発言は慎んでもらいたい。危うく金髪ロリが金髪ガリになるところだったんだぞ。ひとつの萌えが消えそうになったんだぞ。
そんな俺の意思が伝わったのか、サラはばつの悪そうな顔をした後、素直に頭を下げた。
「エミリア、ごめん」
「大丈夫です。気にしてません」
いやまぁ、気にしてたから今回の事態に至ったんですけどね。まぁそれを突っ込むのは無粋というものだ。
とりあえず、これにて一件落着。後は寮に戻って夕飯を思う存分食うだけだ。
…………って、あれ? なんか忘れてる様な……って、あっ。思い出した。
「すみませんエミリア様。もうひとつだけ確認いいですか?」
「はい? なんでしょうか?」
「エミリア様が化粧室から出た後、誰かと会話していましたよね? アレはだれですか?」
「え? ユゼフさん見ていたんですか?」
「え、えぇ。たまたま偶然本当に通りすがったら見かけたんですよ」
ここで正直に「ストーカーしてました」と言えるはずもなく、俺は慌てて釈明した。それが功を奏したのか、エミリア様は特に疑問に思うことなく俺の質問に答えてくれた。
「輜重兵科2年のマズールさんですね。確かラデックさんの御友人で、何度か見かけたことがあります」
なるほど。それで俺にもなんとなく見覚えがあったってわけね。てか「何度か見かけたことがある」だけで名前まで憶えてるのか。凄いなエミリア様。
って、今はその話じゃない。問題なのは……。
「その人と何を話していたんですか?」
「え? えーっと、他愛もない話ですよ。あ、それと顔色が悪いと言われて、その後私がふらついて肩を抑えてくれてくれましたね。結局倒れてしまいましたが……」
「…………」
「ユゼフさん? どうかしました?」
「い、いえ。何もありませんよ。ささ、早く寮に戻って食事にした方がいいと思いますよ」
「? はぁ、わかりました。サラさん、一緒に来て下さいますか?」
「えぇ、良いわよ!」
「ありがとうございます。それではユゼフさん、またお会いしましょう」
「ユゼフ、また今度ね!」
サラとエミリア様は俺との挨拶もそこそこに医務室から出る。サラは元気そうだったが。エミリア様の足元は依然として覚束ない。でもサラさんがいるから大丈夫だろう。
一方、俺は医務室から出られないでいた。不審に思った軍医さんが話しかけてくる。
「どうしたんだい? 君も体調不良かな?」
「い、いえ。けど……」
「けど?」
「あの、もしかしたらこの後けが人が1人来るかもしれませんので、よろしくお願いします」
「は?」
そして俺は軍医さんから逃げるように、医務室から退室した。
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翌日、俺の男子寮で朝の点呼をしていた時。見覚えのある人物が視界の端に映った。
その人物の顔には、昨日までにはなかった大きな痣があった。
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