妹の答え
クラウディアさんが去った後、それなりに広いバルコニーに取り残されたのは俺とサラとフィーネさんのみ。そんな取り残された俺たちに構わず、閉会式は粛々と続いている。
「……」
そしてフィーネさんは姉を追い出して暫く経っても、無言のまま。
サラも俺も、あんなクラウディアさんの行動を見せられてしまってはどう言葉をかけても良いかわからず、ただ時間だけが過ぎていく。
このままだと気まずいどころではない。とりあえずなんでもいいから話しかけてみよう。
「あのー、フィーネさん?」
「…………」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
そんなに黒歴史公開されたことがショックだったのか。いや俺も黒歴史ばらされたらあんな風になると思うけど。近所のおばさんの動向を克明に記した危険人物秘密報告書なんかは思い出したくもない。近所のおばさん、名前知らないけどホントごめん。
それはさておき。
「フィーネさん、若い頃はみんなそんなもんなんです。だから忘れましょう、ね?」
「いや、フィーネってユゼフとほとんど年変わらないじゃないの……」
それもそうでした。てへ。
「……はぁ」
ようやく、フィーネさんが動いた。溜め息だったけど。彼女は頭を掻きながらこちらに向き直る。
「ユゼフ少佐、2つ程お伝えすることがありますが、よろしいですか?」
「……あまり聞きたくないんですけど」
フィーネさんがこういう前ふりをするときは大抵はよからぬことだと相場が決まっている。良い事だったらわざわざ前置きはしない。
「聞いておいた方が身の為だと思います。まず1つ」
そう言って、彼女は数歩俺に近づいて許可なく喋り出す。てか近い近い。
「女性と大事な話をするときは、声量を抑えていた方が身のためですよ」
「……はい?」
急に何の話だ。
「いくらホテルの質が良いからと言って、扉の防音性能には限界があります。多少なら許されるでしょうけど、あの声量では意味がありません」
「……あー」
はい、昨日の話ですね。
……え、てかフィーネさんいたの。あの会話聞いてたの。なにそれ恥ずかしい。
でもあれは殆どサラのせいだ。そう思ってサラの方を見ると、彼女はそっぽを向いて素知らぬ顔を決め込んでいる様子。う、裏切ったな……!
「ま、仲が良いのは基本的には好ましい事、羨ましい限りです」
と、真顔でそんな皮肉を言うフィーネさん。目が怖い。
「忘れてください。昨日のあれは、うん、まぁ、その、思い出すと恥ずかしくなるので」
「無理な相談です。あんなことがあっては、私としては忘れることができません」
そう言ってから、フィーネさんは半歩ほど身を寄せてきた。息がかかりそうなくらいの距離に、今彼女の顔がある。恥ずかしくなって、思わず俺は顔を背ける。けど彼女の吐息が耳にかかって、少しこそばゆい。
「人と話をするときは顔を背けてはなりませんよ、少佐」
「じゃあ少しは離れてくれませんか。話しにくいので」
「これは失敬」
彼女はクスクスと笑いながら、半歩身を引く。まだちょっと近い気もするが、これくらいならギリギリなんとか正面向いて会話を出来るくらいの距離にはなった。
そんな妙な空気を感じ取ったのか、サラが俺とフィーネさんの間に割り込む。
「ちょ、ちょっとユゼフ! なにやってんのよ!」
「俺は何もしてないんだけど……」
やってきたのはフィーネさんのはずだ。そのはずだ。
「コホン。それはさておいてフィーネさん、残りの1つはなんなんですか?」
「……あぁ、そうでした。これが1番重要でしたね」
フィーネさんはそう言うと、数秒間を空けた。そしてサラを押し退けて、どんどん近づいてくる。息がかかるほどの距離まで詰めて。
だから俺は再び、顔を背けるしかなかった。
「ユゼフ少佐、顔を背けてはなりませんよ」
「……フィーネさんが離れてくれたら考えます」
再び、このやりとり。
そしてまた、フィーネさんは後ろ手を組みながら半歩下がった。
ふぅ。なんなんだろう、今日のフィーネさん。ちょっと変じゃないかしら。問い詰めようとして、フィーネさんを見て、
「まったく、どうしたんで――――」
でも、そこから先の言葉は、発することができなかった。
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姉の事は、少し苦手です。
昔から姉には敵いませんでした。
何もかも、見透かされていました。
でも嫌っているわけではないのです。
むしろきょうだいの中では、好きな方。そうでなければ、幼い頃姉に求婚するわけはありません。
けど、苦手です。
会話をすれば、姉の方がだいたい主導権を握ります。私の秘密が暴露されることもあります。
姉の秘密を私が暴露しても、当の本人が秘密を秘密だと思っていないため、効果がないです。むしろそれを武器にするのだから、成す術がなくなります。
姉は優秀な人間です。
人をよく観察して、弱点を把握してから、近づきます。
今回の、講和会議の場でもそうでした。
対象は、ユゼフ少佐。
姉は少佐を観察し、抱き着いたりして、でも彼は靡きません。少佐の周りは女性ばかりでしたから、女性に弱いなどと考えたのかもしれません。
でも、違いました。
お祖父様、即ち外務大臣クーデンホーフ侯爵曰く、クラウディアお姉様はオストマルク=シレジア同盟懐疑派だったそう。お父様が押しているその同盟論が本当にオストマルクのためになるのかと、それを見計らうために、今回の会議に出席したようです。
そして彼の反応を見て、同盟論者の中心人物が信用に値するかどうか見極める。それが姉のしたことでした。問題は、それを確かめるために奇行をする場合が多い事ですが。
その後、会議が進むにつれて、クラウディアお姉様はユゼフ少佐を評価していきます。
決め手は、あの非武装緩衝地帯の設定などを盛り込んだ条約改訂案でしょう。全方面へ配慮し、なおかつ自分の派閥に対しても明確な利益を享受できる案。よくも考えたものだ、と姉は言いました。
このおかげで、姉は同盟懐疑派ではなくなったと思います。少なくとも、同盟を妨害するようなことはしないでしょう。
だからもう少佐に構うことはしないはず。そう思っていました。
けど、その想像は外れました。
閉会式の時、姉はユゼフ少佐に再び抱き着きました。
私は慌ててそれを止めに入りましたが、姉は私の思い出したくもない過去を晒して、奇行を続けます。近くにいるマリノフスカ少佐を無視して、そしてこんな会話を続けるのです。
「ふふん、私たちリンツ家の人間は欲しいものは何が何でも奪い取るのよ」
「なにそれ凄い怖い上になんか納得しちゃうんですが……」
えぇ、そうです。
クラウディアお姉様も、お父様も、他のきょうだいも、皆、そういう人間です。家族だから、よくわかります。
じゃあ、私は?
私は、違うのでしょうか。
そんなことは、ないでしょう。
昨日聞いた、マリノフスカ少佐とユゼフ少佐の会話。
そして、クラウディアお姉様の言葉。
あぁ、そうか。なんだ。
ここにきて、私はやっと納得できました。
ユゼフ少佐については、ついでだったのでしょう。
本当は、私が対象だったのでしょう。
「人間、何かをするときは躊躇っちゃダメよね」
えぇ、本当に、そう思います。
私は躊躇いし過ぎていました。
ユゼフ少佐にかつて私自身が言ったことですが、行動しないことが一番ダメだと。
その点で言えば、マリノフスカ少佐が上手です。
「え、いいじゃんいいじゃん。世の中には躊躇いとか遠回しとかが通じない男の子がいっぱいいるんだから、たまには直球勝負もいいものよ」
そうですね。
私も、たまには、そうしてみましょう。
ユゼフ少佐の相談に乗った甲斐がありました。
もしあの相談に乗っていなかったら、私は「彼はマリノフスカ少佐の事が大好きなのか」と勘違いして、行動できずにいたでしょう。
でも、その心配は半分なくなりました。
私にも可能性があると。
ユゼフ少佐は、私の事を知らないと。
ユゼフ少佐は、私の思いを知らないと。
彼は、私の初めての人です。
躊躇いもなく、何が何でも、奪ってしまいたい人です。
敵は、とても強い。でも、諦めません。
誰かの言葉ではありませんが、私は彼を落としてみせます。
だから私は、彼に伝えます。
1つはどうでもいいことですが、もう1つは大事なこと。
困惑するユゼフ少佐と、マリノフスカ少佐の隙をついて、私は伝えます。
「まったく、どうしたんで――――」
今日が5月7日だということを、そして私の思いと共に。
「――これが、私から少佐に贈る、誕生日の贈り物です」
私は、自分の唇に残る感触を何度も確認しながら、そう伝えたのです。
「第60代皇帝」編これにて終了です。
第60代皇帝とか言いつつセルゲイの出番少ないですね。
ちなみにこの展開は例のヒロイン投票のかなり前から考えていたので、あそこでサラさんが勝っても展開は変わりませんでした。
次回更新については未定です。年末年始は忙しいので、それ次第です。
今の所エタる予定はございませんので気長にお待ちください。




