姉と妹と
5月7日。
シレジア王国と東大陸帝国両国の講和条約、通称「エーレスンド条約」が各国首席代表の署名により締結、今日をもって春戦争は正式に終戦となる。
主な内容は、
一、本条約の締結時より両国間の戦争は終結する
二、国境地帯に非武装緩衝地帯を設定する。条約締結時から20日間以内に、東大陸帝国軍は接するシレジア国境50km以内から撤収し、必要以上の駐屯を禁ずる。本項の変更は両国間の平和的交渉によってのみ可能。
三、非武装緩衝地帯に、シレジア王国軍の武官を駐在させることを東大陸帝国政府は認める。
四、両国が保有する捕虜に関してはその全てを解放する。捕虜解放にかかる費用は、全て東大陸帝国政府が負担する。費用の総計に関しては両国の交渉によって決定する。
五、東大陸帝国政府は、ラスキノ自由国が完全無欠の独立国であることを確認する。
とまぁ、こんな感じ。
非武装緩衝地帯の設定以外はほぼ草案通りだ。
堅苦しい署名式が終わったのは、太陽が沈みかけた頃。そして現在はカステレット砦内にて盛大な閉会式が執り行われている。これが正真正銘、カステレットにおける最後の外交だ。
エミリア殿下がマヤさんを引き連れ各国外交使節に挨拶、東大陸帝国宰相セルゲイ・ロマノフ殿も、降伏条約締結直後であるためか笑顔控えめで挨拶回りをしているようだ。内心はどう思っていることやら。
そして俺と言えば、
「…………」
「…………」
バルコニーみたいな――と言っても凄く広い――場所でサラと一緒に肩を並べ、なんとも言えない気まずい雰囲気の中にいる。理由は察してほしい。
彼此数十分この調子なのだ。
たまに向こうの様子を窺おうとチラっと見ると、なぜかサラもこっちを見て目が合って双方慌てて顔を背けるというのを繰り返している。5回くらい。
誰かこの状況をなんとかしてくれ!
という思いが通じたのかは定かではないが、状況が変わったのは6回目のチラ見の後のことである。
「いえーーーーい! ワーレッサちゃーーーーん!」
と言いながら突進して抱き着こうとしているクラウディアさんの目は猛獣だった。しかし動きは隣にいる猛獣の方が断然早かったので、来るとわかっていれば回避は余裕でした。身を右に数歩移動させただけで、クラウディアさんの攻撃は外れて空気を抱く。
ていうかなんだワレサちゃんって。
「…………」
「……?」
なぜかクラウディアさんは自分を抱くような姿勢をしたまま動かない。自分の腕を揉んで何か感触を確かめようとして……と思ったらあからさまにしょぼくれた顔をしてこっちを見る。
「なんで避けるの?」
「そりゃ避けますよ」
そしてなぜ涙目涙声なんだ。
「あんなに触れ合ったのに、ワレサちゃんはもう私を抱いてくれないのね……」
「誤解を招く言い方はやめてください。あなたが勝手に――」
そう言いかけた時、クラウディアさんが「隙あり!」と言って横っ飛びしてくる。当然俺の方に。そして彼女の言う通り隙だらけだった俺は、
「ぬわあああああああ!!」
やはりまたクラウディアさんに抱き着かれる羽目になるのである。あぁ、もうなんだか人生面倒臭くなってきた。はやくシレジアに帰りたいよお母さん。
だがそんな状況は思いの外すぐに好転した。
「お姉様!」
そう叫んだのは、クラウディアさんの妹さんのフィーネさん。
フィーネさんは俺とクラウディアさんの間に割って入って、どっかで見た事のある様な光景を繰り返している。まず最初に妹が姉を「空気読め」と言ってお説教し、その後姉が「いいじゃん最後くらい」と不貞腐れ、最終的に姉が妹の黒歴史をばらして試合終了。
とりあえずフィーネさんは幼い頃「おねえちゃんとけっこんしゅりゅ!」が口癖だったようです。どうしてこんな風に育ったんだろう。
黒歴史をばらされ魂が抜けているフィーネさんに対し、クラウディアさんはここぞとばかりに俺に抱き着いて養分を補給する。
ちなみにこれを行っている間のサラはもじもじしながら頬を赤らめているだけで助けてくれない模様。うん、まぁ、なんだ、なにを思っているのかだいたいわかる気がする。恥ずかしいから言わないけど。
「あー、君は本当に抱き枕にピッタリね……」
「いや、そういう感想貰っても嬉しくないんで」
だから離して。サラが大人しい間に。
「ふふん、私たちリンツ家の人間は欲しいものは何が何でも奪い取るのよ」
「なにそれ凄い怖い上になんか納得しちゃうんですが……」
俺にもそういうことをしそうな人物というのに心当たりがある。リンツ伯とかリンツ伯とかリンツ伯とかリンツ伯とか。
「人間、何かをするときは躊躇っちゃダメよね」
「クラウディアさんの場合は少しは躊躇いを覚えてください」
「え、いいじゃんいいじゃん。世の中には躊躇いとか遠回しとかが通じない男の子がいっぱいいるんだから、たまには直球勝負もいいものよ」
……まぁ、それは反論しにくいというかなんというか。つい昨日あったばかりだし。うん。
「あれ、急に大人しくなっちゃって。もしかして惚れたの?」
「んなわけあるかです。いいから離れてくださいッ!」
「えー……」
結局、クラウディアさんは魂を取り戻したらしいフィーネさんの2度目の介入があるまで俺を離さなかった。暫くフィーネさんから説教を受けたクラウディアさんは妹に軽くハグした後、「補給したから仕事に戻る」と言って盛宴の中に戻って行くのである。
……疲れた。
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クラウディア・フォン・リンツは実の妹とユゼフと遊んだ後、未だ盛宴が続いている会場にいる、彼女の上司であり祖父でもあるオストマルク帝国外務大臣レオポルド・ヨアヒム・フォン・クーデンホーフ侯爵の下へ赴いた。
「相変わらずだな、クラウディア」
「あらお祖父さん。何の話です?」
と、クラウディアはすっ呆けて見せた。無論、隠し通そうとする意図ではなく、仲の良い祖父と孫娘の間におけるひとつの会話である。
「なにを呆けているんだ。フィーネのことだ」
「あら、見てたんですか」
「開会式のときからずっとな」
「やだ。お祖父さんってば孫のこと好きすぎじゃないかしら?」
「孫が嫌いな祖父さんというのは聞いたことないな」
「そうね」
そう言って、クラウディアは給仕が運んできた白ワインを貴族令嬢らしく丁寧に、かつ行儀正しく味わう。ワイングラスに残る口紅を見ながら、彼女は呟く。
「あの子、優秀よね」
「……それはどっちのことだ? フィーネか? それともあのワレサ少佐か?」
「両方よ。そして、ダメな部分もある。これも両方」
「ダメな部分?」
「えぇ。お父さんの些細な野望に関すること、かな? お父さんはこのことに関してはフィーネの自由にさせてるみたいだけど、私としては背中を押したくなるのよね」
なにせ私と結婚したいって何度も言ってくれた可愛い妹だからね、と、クラウディアは呟いた。
クーデンホーフ侯爵も、このフィーネが忘れたいであろう彼女の幼い頃の言動を覚えている。クーデンホーフ侯爵はその光景を思い出して静かに笑みを漏らした後、クラウディアに事の結果の報告を求める。
「して、そのダメな部分とやらは改善できたかね?」
「ワレサ少佐については、昨日と今日じゃ別人みたい。たぶん、隣に立ってた赤い髪の子と何かあったんでしょうね。問題はフィーネだけど……」
「進展なしか?」
クーデンホーフ侯爵は、心配そうにそう質問する。
これに対してクラウディアは、何も答えなかった。彼女はグラスに残っていた白ワイン越しに妹たちの姿を見て、数十秒たった後に祖父の問いに答える代わりのように、
「…………ふふっ」
そう静かに微笑んだだけだった。




