ユゼフの答え、サラの答え
本会議で条約は無事承認され、後は各国首席代表の署名式を残すのみだが、その署名式の開催は5月7日の予定だという。サインをするだけなのになんでこんなに日程が延びてるのか。第五回本会議後すぐにやっても良いような気がするのだが、無論理由はある。
シレジア王国、東大陸帝国、シャウエンブルク公国、オストマルク帝国、カールスバート復古王国、リヴォニア貴族連合という大陸東部の主要国家が揃い踏みのこの講和会議、外交するにはもってこいだ。各国ともにこれに乗じて大なり小なりの外交を実施している。
すべてあげるときりがないので、シレジア王国に関係のあるものだけピックアップしよう。
まず1つ目、5月3日に行われた、シレジア王国第一王女エミリア・シレジア殿下と、オストマルク帝国第二皇子グレゴール・ライムント・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガー殿下の公式会談である。
今までシレジア王国とオストマルク帝国は水面下でいろいろ協力関係にあったが、考えてみればこういう政府高官レベルの公式会談は全然やっていなかった。
ラスキノに始まり、春戦争、カールスバート内戦と散々世話になったオストマルクとの友好関係がこの会談によってようやく大陸中に広まったことになる。
まぁ知っている人は知っているだろうから今更感はあるが、それでもこの大陸暦638年5月3日が、公式上シレジアとオストマルクの緊張緩和の始まりということになるのだ。感慨深いものがある。
ちなみにグレゴール殿下は御年19歳。
オストマルク帝国との関係を重視したいシレジア王国にとっては、外交以外でも関係を作りたい思うやつもいるだろう。今年17歳のエミリア殿下の内心はともかく、だけど。
2つ目、5月5日に行われた、東大陸帝国皇帝官房長官モデスト・ベンケンドルフ伯爵と、リヴォニア貴族連合外務省審議官にして元老院議長ザイフェルト公爵の甥であるゲアハルト・フォン・シュタインマイアー男爵の非公式会談。
……どうも妙な取り合わせである。
非公式ということで具体的な内容は不明。ベンケンドルフ伯爵がなぜ、シュタインマイアー男爵と会ったのか。ここのところを突き詰めると、リヴォニア貴族連合が何を考えているのかがわかるかもしれない。
とまぁ、こんな感じだ。
翌5月6日。
俺はホテルの自室で、各国外交使節の動向をフィーネさんが纏めた資料を眺めて色々考えている。各国がどういう関係を相手国に望んでいるのか、どういう展望を持っているのかというのは、結構複雑で頭が痛くなる。
シレジア王国と東大陸帝国の関係だけでも、ややこしいのに。
そうやってウンウン唸っていたら、気づけば20時30分。考えるのに夢中になりすぎて、夕食を食べそこなってしまったのである。
どうしよう。今から街に出て適当な飯屋に入っても良いが、ちょっと面倒……。
そう思っていた時、ドアがノックされた。
「誰?」
「私よ」
サラの声だ。久しぶりに聞く気がする。
「入っても大丈夫だよ。鍵かけてないから」
「なにそれ、不用心過ぎない?」
ごもっとも。
でもホテル自体はシャウエンブルク公国軍が厳重な警戒を張っているから鍵をかけたところでセキュリティ云々は変わらない気がする。ホテルに侵入してくる強者がいたら、鍵程度じゃどうにもならない。
「でもちょっと開けてくれないかしら、今手が塞がってるのよ」
……なんだろう。扉開けた瞬間鳩尾ストレートパンチが繰り出されるんじゃないかと不安になる。いや、それは流石にないか。ないよね?
「ちょっと?」
「あぁ、ごめん。今開けるから」
そう言って、俺は一応警戒しながらドアを開けた。
すると、なぜか美味しそうな匂いが漂ってきた。驚いて確認すると、サラはトレーを持ち、そしてその上には当然と言えば当然だが料理が乗っかっていた。しかも2人分。
「ユゼフ、夕飯まだでしょ? 持ってきたわ」
なんだ、救いの女神とはサラのことだったのか……。
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ユゼフと2人きりでご飯を食べるのは、いつぶりだろうか。なんにせよ、結構久しぶりなのは確かだ。なんだかんだ言って、ユリアやエミリアなんかが同席することが多い。
……でも、ご飯は単なる建前、好きな人に会うための口実。
私は彼に「好き」と言った。けど、すぐに恥ずかしくなって言い訳してしまった。
その後、ユゼフはちょっと余所余所しくなった。いや、これは私が勝手に思っているだけかもしれない。私の方も、ユゼフとの距離感を掴みかねてる。
あのオストマルクの貴族令嬢、フィーネ・フォン・リンツ。彼女が原因と言えば原因だ。別に彼女が悪いわけじゃない。私が醜い嫉妬をしているだけ。
だっていつも、ユゼフの話を理解しているのはあの人だから。
そしてユゼフも、フィーネの話をよく理解している。
政治とか、外交とか、そう言うことを考えているユゼフの顔は、表面的には悩んでいるようで、その実内側では楽しそうだ。そして、それはフィーネも同じ。
つまるところ、ユゼフとフィーネは相性がいい。
でも私は、ユゼフとそういうのはできない。何もしてやれない。私とユゼフは、全然違うのだ。
もしかしたらユゼフはフィーネのことが好きで、そして私の事は嫌っているのかもしれない。考えてみれば、私はユゼフに色々酷い事をしてきた。何回殴ったか忘れたし、それでも彼は私を何回も助けてくれたのに、殆ど恩返しはできていない。
エミリアに相談してみたけど、でも彼女は笑ってこう言う。
「サラさんはそのままで十分ですよ」
って。
年下なのに、気を遣わせてしまったとちょっと後悔した。
でも、嫌われていないことがわかったのは、この国に来てから。
私とフィーネと、そしてユゼフで、東大陸帝国外交使節に対する情報収集をしていた時。
ユゼフは、私に情報収集の仕事を与えてくれた。私でも、そういうことができるのだと、ちょっと嬉しかった。
だから精一杯、頑張った。
あの「王笏座」で変なオッサンに言い寄られた時も、我慢できた。情報も得た。何より、襲われそうになった時、ユゼフが助けようとしてくれた。結局私を助けたのは、東大陸帝国の人だったけど。
嫌われてないのがわかって、少し安心した。
でも、フィーネには勝てないと思った。
その気持ちが強くなったのは、会議開催前。クラウディアというフィーネの姉が来たとき。
彼女は言った。ユゼフとリンツ伯爵家の娘が繋がりを得ることは、政治的に得策であると。
そしてもうひとつ、ユゼフといちゃつくクラウディアを見た、フィーネの「ダメです」という言葉。
あぁ、フィーネはユゼフの事が本当に好きなんだなって。
あの子はたぶん、私と同じ。
そして私と違い、ユゼフに信用されて、そして役に立っている人。
でも、それがわかっても私は諦めきれない。
私は、なんだかんだで7年もユゼフのことを思ってきた。今更取られたくない。こんなところで、取られたくはない。だから、フィーネに追いつかなきゃいけない。
「ね、ねぇユゼフ。その資料、なに?」
「ん? あぁ、これは各国外交使節の動向を纏めたものだ。フィーネさんが作ってくれたんだ」
……やっぱり、フィーネはユゼフの役に立っている。私の知らないところで、ユゼフの支援をしている。こんな、夕飯を運ぶだけでその気になっている私とは違う。
私だって、ユゼフの役に立ちたい。
「ちょっと見せてみなさい」
「いいけど……わかるの?」
「わ、わかるわよ!」
わかる。私はユゼフより2歳も年上なのだから、これくらいできる。できる……やってみせる。でも、なぜだろう。その資料に、何が書いてあるのかわからない。
見たことも、聞いたこともない名前、なにを意味しているのかわからない単語。何がなんだか、全然わからない。
全然読めない。役に立てない。
だって、だんだん字が滲んできて……。
「ちょ、ちょっとサラ!? なんで泣いてるの!?」
「泣いてなんか、ない……わよ!」
必死に拭っても、溢れてくるものは止まらない。
こんなこともわからない。こんなので、勝てるはずない。
なんで……こんなに……。
「ちょっと待って本当に何が起きた落ち着けって大丈夫とりあえずどういうことか説明しろ!」
ユゼフがそう言った瞬間、ぽこん、という情けない音がした。
非力なユゼフが私の頭を叩いたと気づいたのは、数秒経ってから。全然痛くはなかったし、彼も力を加減したのはわかる。でも、
「……なぁにするのよおおおおおおおお!」
気づけば、私は感情に任せてユゼフを殴って、そして押し倒していた。彼は「しまった!」とか何とか言ってるけど、手を出したのはコイツからだ。
「私が! 今! どういう気持ちなのかわかってるの!」
叫びながら、感情に身を任せる。馬乗りになりながら、拳を振り下ろす。でも、力が上手く入らない。空を切るような、そんな感覚になる。
「私だって、ユゼフの役に立ちたいのよ! でも、全然ダメなの! なにもわからないの! なにが書いてあるのか、わからないのよ!」
何度も、何度もユゼフの鳩尾あたりを殴った。力弱く、殴った。
あぁ、もうだめだ。バカみたいだ。感情の赴くままに人を殴りつけて、言いたいこと言って、自分が低能だと告白して、これで自分を好いてくれなどと思っているのだから。
「…………ごめん」
今更謝ったところで、どうしようもない。
これで、私とユゼフの仲もお終いだろう。こんな終わり方になったのも、全部自分がふがいないせいで……、
「ホワタァ!」
「いっ!?」
ユゼフが奇妙な掛け声をしながら、私の頭をチョップしてきた。しかも今度は本気を出したためか、少し痛かった。
「このアホ!」
「……はぁ!?」
しかも罵ってきた。しかも今私が凄い気にしていることを言ってきた。思わず殴ろうとしたが、ユゼフはその前に動いて、私の腕を掴んだ。
「なに情緒不安定になってるのか知らんけど、サラがまったくもってそう言う所で役に立たないのはみんな知ってるよ」
彼は躊躇うことなく、そう言いきった。
「……知ってるわよ。だから私は、役立たずで、でも、私はユゼフのことが好きだから。けど、こんなんじゃ全然ダメで……」
「あー……うん、そういうことね」
私の気持ちを、理解したのだろうか。
ユゼフはポリポリと頬を掻いて、居心地の悪そうな顔をしている。
「よし、サラ。まず1つ言っておく」
「……なに」
「俺はサラのそう言う所は嫌いじゃない。むしろ好感を持てる」
「…………はい?」
「それなのにサラはああだこうだ考えてらしくもなく大人しくしたり考えたり、かと思えば喚き散らして殴りつけてくる」
「……それはっ! それは、ユゼフがそういう人が好きだと思って……」
「……まぁ、色々やってくれるのはありがたいけど、でもダメだ。俺は考えなしに行動するサラの方が好きだからね」
ユゼフは真顔で、そんな台詞を恥ずかしげもなく言うのだ。
はぁ、なんていうか、いろいろ考えていたのがバカみたいだわ……。
「ねぇユゼフ」
「なんだいサラ」
「……私ね、ユゼフのこと好きよ」
すんなりと言えた。
二度目だからなのか、考えなしに行動するのが好きだと言われたからかはわからない。
「……あ、改めて正面から言われると結構恥ずかしいな」
「それは言わないでよ……。私だって、その、恥ずかしいんだから……。で、その、あの、ユゼフは、どうなの?」
「えーっと、うん、まぁ……」
「なによ、嫌いなら嫌いってハッキリ言いなさい」
「わかったから、わかったから肩に力入れるのやめて?」
しまった、ついいつもの癖で。
「サラ、正直に言おう」
「う、うん……」
「俺は……………………………………サッパリそういうのがわからん!」
………………。
「好きか嫌いかで言えば好きなのは間違いない。ただそれがサラと同じ気持ちなのかはわからない。これが俺の本音だ」
うん、とりあえず、1発殴ろう。
私は手加減して、ユゼフの鳩尾を殴った。短い悲鳴が下から聞こえる。
ったく、私1人が恥をかいただけじゃないの……もう。
……でも、彼らしくはある。
それに少し身軽になった気がする。嫌われてないとわかったし、もしかしたら可能性もあることもわかった。
考えるのはやめよう。
ユゼフはそれでいいと言ってくれた。
「ユゼフ」
「な、なんだいサラ」
殴られるのではないかと警戒しているユゼフに、私は拳じゃなくて、言葉で伝えることにする。
「私、あんたを落としてみせるわ」
もうちょっと続くんじゃ




