彼の答え、彼女の答え
「突然お邪魔した私のような不遜な者に対し寛大なる接遇でもって出迎えてくれたエミリア殿下に、重ね重ね感謝を申し上げると共に、度々のご無礼をお許しいただきたい」
「お気になさらないでください。むしろこのような場しか用意できず、申し訳なく思っています」
「いえ。そんなことはありません。それに会議の場で急に求婚するなど、今思えば無礼極まる行為。許してください」
まったくだ。非公式の場とはいえ真面目な外交会議の最中いきなり求婚して、しかも急に殿下の宿泊先であるホテルを訪問するなんて非常識だ。せめて1週間くらい前に予告してくれないかな準備できないから! 立場考えろ立場を!
「私は予てより高名にして聡明なるエミリア殿下と、ゆっくり話をしたいと思っていたのです。そして今それが叶った。今日は本当によき日となることでしょう」
「いえいえ。私も噂に聞く銀の貴公子とお会いしたいと思っていたところですから」
というやり取りで、エミリア殿下と東大陸帝国宰相セルゲイ・ロマノフ閣下の会談が始まった。まぁ会談と言っても個人的な席だから、そんなに政治的な要素はないはず。
……ていうか、エミリア殿下の声のトーンがいつもよりちょっと高い気がする。例えるなら……そうだな、電話に出るときのかーちゃんみたいに。要は接待用ボイス。
とりあえず言いたいことは1つ。もげろ。シレジア王国と俺の心の安泰と平穏のためにもげろ。
「メイトリックスくん、顔が怖いです。もう少し落ち着いたらどうですか?」
「……」
俺の隣に座る、セルゲイ閣下の補佐役であるミハイル・クロイツァー少将がそう言った。おかげで正気を取り戻すことはできたが、それでもやるせない気分は変わらない。
現在の状況、ホテルの地階にあるバー的な部屋のテーブル席でエミリア殿下とセルゲイが歓談し、そこからほど近いカウンター席に俺とクロイツァーさんが座って護衛と監視をしている。他の客はいないため、殿下らの会話はよく聞こえる。
勿論逆もまた然りなので、クロイツァーさんは極力声を抑えた。何度か聞いた、優しげな声で。
「まぁ、メイトリックスくんが警戒する理由は理解しているつもりです。仮想敵国の皇子が、自分の主君に求婚してきた。警戒するな、という方が無理です。私だって同じことをされたら、やはりメイトリックスくんのことを睨んだと思いますよ」
……睨んでたのか俺。どうやら無意識にやってたらしい。
いやそれよりも前に、
「クロイツァー少将」
「なにかな、メイトリックスくん」
「その『メイトリックスくん』というのはやめて欲しいです。私は王国軍少佐ユゼフ・ワレサと申します」
「なぜ? 私も閣……じゃない、殿下も『メイトリックス』という姓を気に入っているんですよ?」
なにそれ怖い。メイトリックス姓を気に入るとか港湾労働者組合加入者なのだろうか。彼の映画は異世界でも人気のようです。当たり前だがこの大陸に映画はない。カメラすらないのに動画はさすがに無理。
「まぁ、それはさておきワレサ少佐。一応言い訳させてくれないかな」
「何がです?」
「君が警戒する理由です。君がセルゲイ殿下を警戒する理由も謂れもない。今のところは、ですがね」
「最後の語句が些か気になるのですが」
「永遠に警戒するな、と言っても無駄ですよね?」
「……」
どうも距離感がつかみにくい人だ。言葉遣いは丁寧で優しく接してくる。社交的ということだろうけど、精神的距離は一定のまま。なんというか、うん、会話しにくい。
まぁいい、どうせ敵国の人。会う機会なんて早々ない。恐らくこの講和会議が最後なんじゃないかと思う。……こういうこと言うと大抵のマンガじゃまたひょんなところで再会するんだろうがここは現実、そんなことは起こらない。はず。
「まぁ、このまま見ていればわかりますよ」
そう言って、クロイツァーさんは手元にある珈琲に手をつけた。
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「軍に志願する、あるいは士官となる王侯貴族というのは珍しくない。ですが王女で、しかも10歳という若さで士官学校入学を自らの意思で決めたというのは、寡聞にして聞いたことはありませんな」
「色々あったのですよ」
「色々ですか」
「えぇ」
エミリアは、目の前に座っている東大陸帝国宰相にして帝位継承権第一位のセルゲイ・ロマノフを観察している。観察と言うとやや無礼なことであるが、しかし彼女のしている行動はまさしく観察だった。
昨日、エミリアは彼、セルゲイに求婚された。
父親である国王フランツ・シレジアから縁談を持ち込まれてから日も経たぬうちから、今度は直接求婚しに来た。それも仮想敵国の、事実上頂点に立つ男が。
非公式とはいえ外交会談の席で求婚してきたということを除けば、その行動は男らしく称賛に値するものだが、エミリアから見れば正直言って「礼節を弁えない行動」であり、俗的な言い方をすれば「ドン引き」である。
だがそのせいか、エミリアはセルゲイが何を考えて求婚してきたのかを推察することができなかった。故に彼女は求婚してきたこの男を観察し、その真意を見極めようとしているのである。
「……そのような目もするのですね、殿下は」
「あ、いえ、その、失礼しました……」
「構いません。そのような行動を取ることはむしろ当然の事。しかしそのような目をする女性というのは初めて見たもので……やはりあなたは凡百な人間とは違うのだと確信しましたよ」
そう言って、彼は笑顔で手元の珈琲を飲む。ミルクも角砂糖も何も入れていない、ブラック珈琲である。
「貴女がそのような目で私を見る理由は簡単。私を警戒している。最大の仮想敵国の宰相が何を意図して求婚しているのか、それを見極めようとしている。そうでありましょう?」
「…………」
無論、エミリアはそれに答えることはできなかった。だがその長い沈黙こそが「正答」であるということの証左であり、セルゲイもそう捉えた。しかしセルゲイはそれをあげつらって糾弾するようなことはせず、会話の合間の単なる雑談としか考えていなかったようである。
「私が貴女に求婚した理由は他でもありません。私が貴女、エミリア・シレジアという1人の女性に惚れてしまったからであり、他意はないのですよ」
「………」
エミリアは再び沈黙せざるを得なかった。だが今度の沈黙は先程とは違い、どう返せばわからないという意味である。ここまで直球に好意を示されたのは、この時が初めてであったこともその理由の1つである。
「意外ですかな?」
「…………正直に言えば、意外でした。私のような未熟な人間に惚れる方がいるのか、と思いまして」
「随分ご自分を卑下するお方だ。貴女は、そんな人間ではないでしょう?」
そう言って、セルゲイは説明する。
10歳で士官学校に自らの意思で入学した事に始まり、ラスキノ独立戦争、春戦争、カールスバート内戦に従軍。そして戦場に立ち、友軍の後ろに隠れることはせず率先して最前線に立った。敵兵と切り結び、血を浴び、そして時に負傷もしただろう、と。このようなことは、大陸に数多いる有象無象の王侯貴族と一線を画すことだろうと、彼は語った。
「それだけでなく、貴女は、カステレット砦という外交の、大陸政治の最前線に立っている。そして会談に出席し、さらには我々に対して条約改訂案を提出した」
「いえ、それは……」
エミリアはすぐに反論しようとするも、セルゲイはそれを手で制した。
「確かに、エミリア殿下が提案したものではないとは聞いています。ですが部下からの、突飛な提案とも言える改訂案をすぐに了承し、かつその案を磨き上げることができるというのは、並大抵の人間にはできぬこと。つまり殿下、貴女という女性は軍・民どちらにおいても類稀なる才能を持っている人物だということです」
「…………」
「これが、私が貴女に惚れた理由です」
淡々と、彼はそう告げた。
自分がどういった理由で彼に好まれているのか、というのを長々と説明されたエミリアであったが、だからと言ってそれを肯定的に受け止めるということはなかったし、セルゲイに惚れるということもなかった。彼女の中で生まれた感情は、もっと別のものだ。
「……残念ながら、私はセルゲイ殿下が考えている程の人間ではございません」
そう言って、エミリアは視線を横に移す。その瞳に映るのは、護衛役として連れてきた彼、ユゼフ・ワレサの背中だった。
「私はただの我が儘な王女でした。それを変えてくれたのが友人であり、仲間であり、大切な人たちです。自らの才能ではなく、友人たちから与えられたものを、利用しているだけの存在にすぎませんので」
これは謙遜でもなんでもなく、エミリアの本心だった。
自分は無知無才の人間で、単に教えてくれる人間の能力がたまたま優れていただけ。それなのに自分の評価と能力が無闇矢鱈と上がっていってしまっただけ。彼女は心からそう思っていたのである。
エミリアが視線を戻すと、セルゲイは目を見開いて固まっていた。
呆れているのか、絶望しているのか。だとしたらありがたい。このまま求婚の話は有耶無耶に終わるだろう。そう思ったのだが、
「……ふっ。ハハ、ハハハハハハ」
セルゲイは人目も憚らず――と言ってもこの場にはセルゲイ含め4人しかいなかったが――大声で笑った。ユゼフとクロイツァーが驚いて振り向き、エミリアも目の前に座る男の突然の笑い声に驚く以外の選択肢を持ち得なかった。
数秒してその笑いは収まり、セルゲイが話す。
「これは失礼。やはり貴女は別格の人間です」
「……?」
「普通の貴族の子女というものは、煽てるとその気になって自慢を始めるのですよ。そこまで行かなくとも、単に一言『そんなことはない』と言って、内心は喜んでいるものです。ですが貴女はそのどちらもせず、自分を否定している」
彼はそう説明し、珈琲を飲みつつ「それに」と続ける。
「自分を否定できる人間というのは、それ即ち何かしらの向上心を持つ人間ということ。向上心の大きさというのは人それぞれですが、沈滞し腐敗した特権社会に浸り続ける貴族には、殆どの場合それは持っていないのもの。持っていても、『名誉』という得体のしれないものに固執し続けることが多い」
だから貴女は別格だ、とセルゲイは説明した。それ故に、惚れ直しもしたと。
そう説明されたエミリアは、初めてそんなことを言われたことに困惑し、ただ単純に「ありがとうございます」と言うことしかできなかった。
ただそれでもなお、エミリアの気持ちは変わらない。
彼女は思いの外頑固な人間であり、そしてその頑固さは父親から縁談の話を持ちかけられた時から一定している。
それ故に、エミリアはセルゲイに問う。
「……では、もし私がセルゲイ殿下の求婚の申し出を断ったとしたら、どうするのです?」
こんなに惚れている人間に告白し、でも相手が納得せず断ったらどうするのか。政治的な意図などないと彼は今しがた言ったばかりだが「求婚を受け入れぬとあらば戦争」もしくは「条約締結拒否」という可能性もあった。それを確認するために問うた。
この問いをしただけでも、十分にエミリアの「拒否」の意思は伝わる。当然セルゲイにも伝わっていたが、だからと言って彼はそれについて追及することなく、エミリアの問いに答える。
「特に何もありませんよ。私が思いの外魅力のない人間だった。単にそれだけの話ですから」
「えっ……?」
セルゲイは潔く諦めた。
惚れているエミリアの「拒否」の意思を明確に悟っても、彼は動じずに諦めた。少しも悔しさの念を見せない彼の言動に、エミリアの方が動じた形となる。
「私は嫌がる女性と繋がりたいとは思いません。それに先ほど申し上げましたがこれは政治的な意図とは無縁の話。どうぞ理性を捨て、感情の面だけで答えを出してください。どのような答えを出しても、私はそれを受け止めます」
セルゲイは、ハッキリとそう答えた。
「……本当に、何もありませんか?」
「何もありません。1人の、平凡な若き青年の初恋が砕かれる。それだけの話です」
彼は笑みを崩さなかった。まだ明確な「拒否」の意思を伝えていないのにも拘わらず、そう言った。
そしてエミリアは、その答えを信用した。理性ではなく、単なる感情によるものであった。
「……セルゲイ殿下。申し訳ありませんが、今回の求婚の申し出、お断りします。私はまだ、誰かと結婚する意思はありませんので」
エミリアは、毅然とした態度でそう答えたのである。
そしてセルゲイは、
「そうですか」
と、言って、少し笑った。別に何ともない、予想していたことだと言わんばかりの笑いだった。
それから数分後、セルゲイは「今日は楽しかったです。また今度、お食事でも」というありきたりな社交辞令でもって退出の意を表明する。エミリアもその言葉の真意を理解していたため「是非」と短く答えただけだった。
セルゲイは、彼の護衛であるクロイツァーに声を掛け、席を立ち、そしてバーから出ようとした刹那、思い出したかのように、エミリアに向かってこう言ったのである。
「エミリア殿下。もうひとつ、聞きたいことがあったのを思い出しました」
「……なんでしょうか?」
エミリアの問いの後、彼は一呼吸置いて言った。
「『平和』というものは、実現できると思いますか?」
もうすぐこの章は終わり。




