思わぬ再会
4月19日。
昨日の内に手に入れることができた情報は多かった。例のバナントカのセクハラ事件と、別のお店でも似たようなことがあったからだ。と言ってもバナントカの情報の量と質が良かったから、情報は玉石混交と言ったところ。
しかしそんな雑多な情報を纏めることができる専門家が今回同行してきている。何も問題はない。
問題があるとすれば、例の「王笏座」で出会った「ミハイル・クロイツァー」なる男をどうもフィーネさんが気にし過ぎていることだ。
まぁ、なんだ。
恋に落ちた衝撃ってのもあるだろう。そのまま婚約云々もその衝撃で壊れて欲しいのだが。
ともあれ、今日は特に何もすることはない。公都観光と行こうかなと。1人で行くのもなんなので誰かを誘って……と思ったのだが、エミリア殿下は立場と仕事があるので無理、殿下に付き従うマヤさんも当然不可能。フィーネさんは先述の情報を纏める作業があるので同行できない……とすると選択肢はサラさんくらいしかいないのだが、
「え、っと……ごめん、ちょっと考え事あるから」
とのことである。考え事とはらしくもないが、そう言われてしまってはこっちとしては何も言えない。
……つまり今日はぼっちで1人酒。とてもつらい。畜生余り飲めないけど飲んでやる! と言いたいがそういうわけにもいかない。なんてったってアイド……じゃなくて、翌20日から講和会議本番だ。エミリア殿下に付き添うんだから飲んで2日酔いするわけにはいかないだろう。
だからこうして今俺は、歓楽街から離れ、かつ落ち着いた雰囲気を醸し出している喫茶店「マルグレーテ」で呑気に珈琲を飲んでいる。あぁ、やっぱりこういうお店は良い。心が穏やかになるし何より仕事から解放され……されないかも。
なぜか「情報収集」という単語が頭に浮かぶんだ。
でもこのお店の焼き菓子は「百合座」と違う美味しさがある。甘さ控えめでしかも価格設定は良心的。佐官に昇進したから給料も良いけど、やっぱりまだこういう値段は気になる。
「癒されるなぁ」
つい、そんなことを口に出してしまうくらいには癒されていた。そう言えば1人でゆっくり喫茶店に入るなんてこと最近あっただろうか。たまには1人もいいかもね。
「はぁ……」
と、割と近くから物凄い陰鬱な溜め息が聞こえた。
おい誰だ。俺の優雅なひと時(公国銀貨1枚分)を味わっていたのに邪魔しおって……と文句を言おうと思い、溜め息のした方向を見やると、そこに居たのは黒髪のイケメンだった。
……というか、例のミハイル・クロイツァーとかいうイケメンだった。
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「まぁそいつも一応上司だから仕方なく言うこと聞いて休暇を貰ったけど、そいつはどうも挙動不審というかなんというかで……」
「あー、わかりますわかります。目を離すと変な事やり出すんですよね。私も上司じゃないですけど、そういう友人がいるんでよくわかりますよ」
「わかってくれるか……嬉しいね。君とはもっと前から友人でいたかったよ」
「奇遇ですね。私も同感です」
目と目があった瞬間、互いに互いを認識して「どうも」と挨拶してしまったのが運の尽き……と思ったらこのイケメン、もといクロイツァーさんは苦労性だった。
曰く「親友が上司なんだけど割と奔放な人間でしばしば常識から外れる行動を突然やるもんだからついていくのが大変。でも事業は成功しているから文句言えなくて余計目が回る」とのこと。
見た目年齢的には俺より年上……たぶん20歳前後と言ったところだ。俺が言える話でもないが、若い割に苦労しているようだ。でも事業成功だの親友が上司だのと言っているからたぶん勝ち組なんだろう。
忙しくはあるけど楽しくもある。そんな感じの人生を送ってます! というのが言葉の端々から聞こえてくる。
昨日の件も合わせるとクロイツァーさんは運動神経抜群で尚且つ友人思いの優しいイケメンということになる。
女には困らないだろうが、たぶん彼の性格上女性をとっかえひっかえみたいなことはしないだろう。そこがまた結婚相手を幸せにできる要素だな。クロイツァーさんを夫にしただけで奥さんの方は勝ち組確定です。
「あ、そう言えば君の名前は聞いてなかったな」
「……そうでしたね」
どうしよう。たぶん二度と会うことはないだろうから本名でも良いと思うけど……でも念には念を入れるか。
確か「クロイツァー」はリヴォニア系の姓だったはず。クロイツァーなる人物がオストマルク、あるいはリヴォニアの外交使節団の中にはいないのは確認はしているが、使節団のメンバーと知り合い、もしくは下っ端の下っ端という可能性もあるにはあるし。
よし、偽名を……えーっと、偽名何にしよう。考える時間が長いと不審に思われるだろうし……いいや、某作品のキャラクターの名前を合体させるくらいでいいか、と思ったんだけど、
「メイトリックスです。ジョセフ・メイトリックス」
名乗った瞬間後悔したのは言うまでもない。せめてクルーガーの方にしておけばよかったかしら。
「メイトリックスくんか、わかった。既に知っているだろうけど、私の名前はミハイル・クロイツァーだ。よろしくな」
そう言って、彼は右手を俺に差しだしてきた。これが何を意味するのかは明瞭、俺も彼に倣って右手を出してその手を握り返した。
「よろしくお願いします。と言っても、また会う機会があるとは思えませんけど」
「どうかな? 君はどう見てもこの国の人間じゃないし、私もそうだ。でもこうして2度も会ってる。『2度あることは』なんとやらと昔からよく言うだろう?」
「そうですかね?」
どう見ても、というのは俺の顔を見ているのだろう。確かに俺はシャウエンブルクの人間とは違う顔をしている。「ジョセフ」はアルビオン連合王国に多い名前だし、つまるところ彼は俺を「シレジア系アルビオン人がシャウエンブルクに来ている」とでも思っているのかもしれない。
その後暫く愚痴ったり話したり飲んだりしていた(勿論ノンアルコールだ)が、クロイツァーさんは仕事があるというので日が暮れる前には「また会おう、メイトリックスくん」と言って店を出た。
ついでに俺の分の支払いもしてくれたが、俺はクロイツァーさんのその台詞でそれどころじゃなかったよ。「もう会うことはない」って言った方がよかったかしら。
2巻書籍化作業の為、更新が滞るかもしれません。更新速度が取り柄なのに、申し訳ないです。




