船旅
青い空、白い雲。眼下に広がるは青く輝くバルト海。
現在エミリア殿下一行は、シレジア王国軍が保有する28門級小型巡防艦2番艦「ゲネラウ・エウスタヒ・ハウケ」に乗艦しバルト海を疾走している。と言ってもこのゲネラウ以下略は帆船なので、蒸気スクリュー船のようにスピードは出ないのだが。
バルト海は周りを陸で囲まれている地中海である関係上、風向きが複雑に変わる。そのため帆を動かす水兵はとても忙しい。あまりにも忙しいので「いっそ帆船やめて櫂船に戻した方がなんじゃないか」とか言われているらしい。
……まぁ、櫂船の方がコスパ悪いんだけどね。
それはさておき。そんなことは今は重要じゃないのだ。今現在、最も火急的に速やかに解決すべく問題を俺は抱えている。この問題を解決しなければ、もしかすると俺は死ぬかもしれない。というか死ぬ、死にそう。いやもっと正確に言えば、
「吐きそう」
「…………ユゼフってこんなにか弱かったっけ?」
現在大陸暦638年4月8日の正午。我、グダニスク沖バルト海海上にて船酔い。
上述のように、バルト海は陸に囲まれている。だから風向きはよく変わっても波はそんなに荒くならない。まるで湖の上にいるような錯覚を覚えることもある。実際、航海初日は「本当に船に乗ってるのか」と思ったくらいには波は穏やかのだった……のだが、この日は大荒れである。たぶん低気圧がいるのだろう。新鮮な空気を吸おうと甲板上に出たら風が強くて飛ばされそうになったし。
「あー、無理吐きそう」
「吐いちゃえば? 魚にはいい餌になると思うけど?」
「いや、なんか吐いたら負けな気がする」
「吐き気を催してる時点で完敗だと思うんだけど」
今俺は、船の艦尾にある士官用の船室で吐き気と戦っている。そしてそんな状態の俺を心配したらしいサラさんが船室にやってきて、先ほどから俺の背中をさすりながら時々デコピンをくれる。けどデコピンが来るたびに吐き気がなぜか若干和らぐので「もっとデコピンしてくれ」と言ったらドン引きされてデコピンが来なくなった。
「こんなんだったら俺だけでも陸路で行けばよかった」
「陸路って言っても、エーレスンドは島だからどうせ船は乗らなきゃいけないのよ?」
「そうだった……。にしても、サラとか殿下は大丈夫なの?」
「大丈夫に決まってるじゃないの。どっかの誰かと違って柔な体してないから」
「そうなのか……」
エミリア殿下は見た目儚そうな感じだから、もしかしたら船に弱いかもと思ったのだが。そこはやはり剣兵科三席ってことなのかな。
「艦長が言ってたけど、船酔いは暫くすれば慣れて自然に治るって。だからそれまでは我慢しなさい」
「あい……」
にしてもつらい。馬車だの馬だのじゃ全然酔わなかったのに船には酔うのは可笑しいじゃないか。馬車の方が全然揺れるのに。
「……はぁ、とりあず寝てなんとかする。起きたら波が穏やかになることを信じて」
「ん、ゆっくり寝なさいな。あんたが寝てる間に吐かないように、ここで見守ってるから」
「いやそこまでしなくても……」
「もしユゼフが寝てる間に吐いたら寝具が勿体ないわ」
あぁ、そういう……。
確かに俺なんかより寝具の方がこの際貴重だよね。海の上ではなんだって貴重だ。水は無制限に出せるけど。
「まぁいいや。とにかく寝るから」
そう言って頑張って寝る努力はしてみたものの、やはり吐き気がするのと近くに年頃の女子がいる状況だとなかなか寝付けないな……。
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ユゼフが寝た。眉間に皺を寄せながら、という言葉が文頭に来るけど、ユゼフはこの荒波の中寝ることができたようだ。
にしても、本当につらそうだ。さっきから寝苦しそうに唸っている。私やエミリアはこの程度の波はなんてことないし、マヤも「船は初めてじゃない」と言ってたからたぶん大丈夫。大丈夫じゃないのは、この険しい表情をしたユゼフだけ。
こうやって改めてみると、年相応の顔だ。普段のユゼフはエミリア以上に思慮深い。考えてる時の彼の顔は結構……まぁ、その、好きだけど、でも無防備な時の彼の顔は普段のそれとの差があって、不思議な感覚を覚える。
……てか、ユゼフって案外可愛い顔してるわよね。女装させてみたら面白そう。似合うかはどうかは別としてだけど。
ちょっと試しに頬を突いてみると、ユゼフは右手でそれを払い除けようとした。起こしたかも、と思ったけど無意識だったようで、すぐに右腕は倒れた。その反応が少し面白くて、何度も突いてみる。するとやっぱり、同じような反応が返ってきた。クセになりそうだ。
……私、こいつより年上なのよね。
私は今年で19歳で、そろそろ結婚を考える年齢。でも婚約者はいない。いや正確に言えば父親が連れてきた奴がいるけど、あれはダメ。顔は好みじゃないし、性格も悪いし、たぶん能力もない。あるのは家柄だけのクズみたいな男だ。そんな奴と結婚するくらいなら、一生独身の方がマシだ。
でも、できればユゼフと……。
って、いやいやいやいや。何考えてるの私。第一、ユゼフが私を好いてくれてるかどうかもわからない。それにユゼフは私みたいなバカな女の子じゃなくて、もっと知識がある……そう、フィーネとかいうあのオストマルクの伯爵令嬢が良いに決まってる。あるいは、エミリアとか。エミリアは王族ってことで遠慮してるみたいだけど、でも私的にはありだと思う。
……はぁ。何考えてるんだろ、本当。
「これもあれも全部、あんたのせいなんだからね」
私は寝ているユゼフに、ちょっと毒吐いた。本当にもう、あんたと会ってからと言うものの……、
「えーっと、なにか俺悪いことした?」
「…………いつから起きてたの?」
「そもそも寝てない、です」
………………。
ユゼフを久々に本気で殴ってしまったのは、そのすぐ後の事だった。
11月14日発売の書籍版「大陸英雄戦記1」の特典情報公開の許可が下りたので活動報告に纏めました。
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