間話:ある婚約者の話 その3
3月22日。この日、王都シロンスクの中心に建つ王宮「賢人宮」で、感動の父娘の再会があった。
「エミリアああああああああ!!」
「な、なんですかお父様急に! あ、あの、ちょっと痛いです!」
シレジア王国国王フランツ・シレジアは、実の娘であり唯一の子供である第一王女エミリアを見つけるなり何も考えずに抱き着いた。そのあまりにも急な出来事にエミリアは珍しく狼狽したが、フランツはそれを気にすることなく叫び続ける。
「心配したのだぞ! 春戦争のときは最前線に行き、次の任地は安全なクラクフだと思ったら今度は隣国の内戦に介入してまた前線に立った! しかもそれに関して私に何も相談せずに行くとはどういうことなんだエミリア!」
「あの……その、説明する前にそろそろ離してくれると嬉しいのですが……」
エミリアの酷く困ったような顔と声を聞いたフランツは平静を取り戻すことに成功し、彼は何度か咳き込みつつ国王としての威厳と品格をもってエミリアに再び問うた。
「エミリア。お前が士官学校に行く条件として『卒業後の軍務をしっかりこなすこと』を課したのは、確かに他ならぬ私だ。だがねエミリア。お前は軍士官である前に王族なのだ。身の安全のことを、少しは考えて欲しい」
「……確かに、そのことは承知しています。ですがお父様、やはり私は王族として最前線に立つことを望んだのです。安全な後方に下がって、民や兵だけに危険を背負わせるわけにはいかないと」
そのエミリアの声色は、6年前フランツに自分の意を伝えた時と変わらず、いや6年前より強固なものとなっていた。彼女の信念は今なお確固たるものであり、そしてそれは今後も揺らぐことはないものだとフランツは理解できた。そんな娘を前にして、その信念を曲げられる程の力を持った言葉を準備できるほどにフランツは弁舌の才はなく、ただ短く「そうか」と言ったのみでそれ以上の追及はしなかった。
「それで、軍の仕事にはもう慣れたのかい?」
「えぇ。お陰様で事務仕事も実戦もだいぶ慣れました。友人たちにも恵まれて……あ、そうだ」
エミリアは「友人」という単語を口にした時、王都に寄ったついでの理由を思い出した。
「お父様、お願いがあります」
「ん? どうした?」
娘からお願いをされる、というのはフランツにとっては6年ぶりのことであった。久しぶりに聞く娘の声と相まって、彼は娘の言うことをなんでも聞くつもりであった。
だが彼女のお願いは1つではなく、複数あった。
1つは、春戦争における帝国との講和会議への出席要請。王国宰相カロル・シレジア大公が会議に出席すれば、会議の主導権を握られてしまう可能性がある。それを封じるためには国王たるフランツの会議出席が必要であることを伝えた。
これに関してはフランツは快諾した。彼自身、講和会議への出席について元々意欲的であったのでこれは娘からお願いされるまでもない話だったからである。
問題は2つ目の「お願い」だった。これは親バカのフランツでさえ――いや、親バカのフランツだったからこそ――考え込まざるを得ない案件だった。
「私の友人、ユゼフ・ワレサに『騎士』の爵位を与えて欲しいのです」
フランツはその名の人物を知っている。
ラスキノ戦争の後、エミリアの手によって「賢人宮」に上がった男。娘が最も信頼している人物の1人でもあり、フランツ自身も彼の手腕を期待して人事に介入したことはある。その人事は成功し功を上げたのも確かだし、それを報いるためにも確かに叙爵というのは有り得る話だった。
のだが、フランツはこの時叙爵を躊躇った。理由は明確で、「ユゼフ・ワレサ」の名を口にした時の娘の様子が気になったからである。エミリアもその時の父の動きを不審に思ったのか「どうしたんですか?」と問い質すと、フランツは悩みつつも娘の質問に答えた。
「……エミリア。エミリアにとって、ワレサという少年はどういう人間かね?」
「大切な友人……いえ、親友です」
「それだけかね?」
「それだけです」
エミリアはきっぱりと答えた。他に何もあるはずがないではないか、と殊更主張するような口調で。それだけで、フランツは察することができた。そして娘が、自身に課した義務と、自身の持つ感情の間に挟まれていることも理解できた。フランツとしては、娘がそのどちらを優先させるのかを確かめなければならない。
「実はなエミリア。お前に縁談の話がある」
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3月24日。クラクフスキ公爵領総督府総督執務室にて、ある2人の兄妹が雑談に興じていた。
「それで、マヤはいつ結婚するんだい?」
マヤの実兄、つまりクラクフスキ公爵領総督のヴィトルト・クラクフスキは、近侍が運んできた間食と珈琲を口にしながら唐突にそんなことを言った。当然、マヤは不思議に思い首を傾げながら逆に質問した。
「藪から棒にどうしたんだい兄さん」
「いやね、ふと思い出したのさ。マヤ、お前今年で何歳になる?」
「淑女に年齢を聞くものではないよ」
「……淑……女?」
「そこに疑問を持たないでくれるかな」
マヤはそう言って溜め息を吐きつつ、短く嘘偽りなく「24だ」と答えた。ヴィトルトもそれを聞いて思い出したかのように何度も頷き、そしてこう言う。
「出産適齢期は20代。で、お前は今24。ちょうどいいと思わないか?」
「40手前でも子は産める。オストマルク帝国現皇帝の弟の誰かは母親が39の時に産まれたそうだよ。さすがに40手前はないが、30そこそこで結婚でも血統の維持はできると思うよ」
「それは確かにそうだが……」
反論しようとするヴィトルトに対し、マヤは書類の束を執務机において執務の再開を促すと共に「それに」と付け加え、
「主君たるエミリア殿下は具体的な婚約の話すらない。それなのに臣下たる私が結婚云々することはできないよ」
と言って兄の口を封じようとした。だがその言葉は兄も予想済みだったのか、手早く間食を片付けた彼は書類に手を付けつつ反論を試みた。
「それについてなんだがなマヤ。まだ内々の話だが、エミリア殿下には縁談の話が来ているらしい」
マヤは思わず目を見開き、それなりに大きな声で「本当か」と叫んでしまった。
「落ち着け。まだ内々の話と言ったろう。これは宮内省にいる俺の貴族学校の同期から聞いた話だ。エミリア殿下にはオストマルクやシャウエンブルクの王侯貴族や、無論国内の貴族から縁談の話が持ち込まれていると言う話なのさ。まだ宮内省がその貴族の血統やら国王陛下の裁可を問う段階であるから、殿下の下にその話が持ち込まれるのはだいぶ先さ」
「…………」
ヴィトルトは、マヤを落ち着かせるつもりでそう言ったつもりであったのだが、彼女の混乱は余計に拍車がかかっていたようである。マヤは微動だにせず、まばたきひとつもせず、ただ兄の言葉を脳内で何度も反芻していた。
「マヤ?」
「……あ、あぁ。いや、なんでもないよ。兄さん」
「そうか? まぁいいさ。そういう話があるということだし、もう主君がどうのこうのを気にせずそろそろ結婚について真剣に考えてくれ。父も俺も、たぶん弟も、お前の気持ちを尊重するつもりだから、もし気になる男が居れば言ってくれ」
「……い、いや、今はいない」
マヤのこの言葉に、嘘偽りはなかった。だがエミリアの話が衝撃的すぎて上手く言葉が出てこなかった。そのしどろもどろの口調を聞いたヴィトルトは、やや見当違いな解釈をしてしまった。
「ふぅん? てっきり、あの若い軍事参事官の子が良いのかと思っていたが、違うのか」
あまりにもバカらしいその言葉に、マヤは落ち着くことができた。
「まさか。彼は良い友人であるが、それ以外の何物でもないよ。その前に兄さん、妹の結婚を考える前にまず自分の事を考えた方が良いんじゃないか? 兄さんは昔から女心がわからない人だったから、そういう人間いないだろう?」
「……まぁな。まぁ男の場合は40超えても大丈夫だから問題ないさ」
「そんなこと言ってると60になっても独身のままだぞ。なんなら私が見繕ってやろうか?」
「いらねーって」
そんな会話をしながら、次第にこの2人は本来の仕事を再開していった。経済成長の続く公爵領は、兄妹がゆっくり話す時間も、ましてや結婚する暇も与えなかった。
クラクフスキ公爵領軍事参事官ユゼフ・ワレサから「春戦争講和条約の捕虜交換に関する特記事項」なる文書が届いたのは、その日の夕方のことであった。
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