間話:ある婚約者の話 その2
「で、結局親父さんはなんて言ったんだ?」
「……結婚については承知してくれたさ。軍務省についても大丈夫だろうけど、親父も手をまわしておくから安心しろってな」
「そらよかった。晴れて結婚となるわけだな」
翌3月21日の夕刻。前日に大きな仕事を終えたばかりのユゼフとラデックは、王都の大衆居酒屋で各々の仕事の成果を報告し合っていた。多少のアルコールも交えて。
ユゼフがグラスを掲げると、ラデックもそれに応じて自身のグラスをユゼフのそれに軽くぶつける。ガラス特有の音が反響したが、居酒屋の騒がしさの前にそれは儚く消えた。
「よく許可が下りたな。普通結婚してから子作りなのに、今回は子供作ってから結婚なんだろ? リゼルさんは貴族の令嬢だし、そこら辺の面子というかいざこざはなかったわけ?」
「ない、と言えば嘘になるな。お袋には小言を言われた……でも、元々結婚することは決まってたし、それに子供ができちゃったからこそ、俺も親父もお袋も結婚に踏み切れたということでもあるのさ」
「なるほどねぇ……」
そう言いながら、ユゼフはグラスに酒を補充する。彼の机の上には果実酒と炭酸水とオレンジジュースが並べられており、それを彼なりの配合で混ぜて飲むと言うやや変わった飲み方をしていた。
「まぁ、一番の決め手は『孫ができる』ってことだと思う」
「あー……わかる気がする。孫って存在はそれだけで両親を落ち着かせることができるよな」
「そういうことだ」
そう言って、ラデックは父親の態度と言葉を思い出し、そして少しおかしくなりながら麦酒を呷った。
ラデックが家に戻った時、玄関で父親が直接出迎えた。全ての事情を知っているのかと覚悟しつつ、ラデックは事の次第を全て喋ったのだが、父親はその時かなり狼狽えたのだ。
父親は、自分が帰ってくることは知っていたが自分の孫が出来たことは知らなかったらしい。そして孫がいることを二度三度確認した後、大いに喜び、そしてそれを母親が諌めた。そんな見た事もない夫婦劇を目の前に見せられては、笑ってしまうのは無理からぬことだった。
無論笑ってしまったことも含めて、母親に叱られたのだが。
「にしても、ラデックもリゼルさんも一目惚れとはね。運命の出会いってやつか?」
ユゼフは前後の脈絡を無視して話題を変える。
彼の顔は既に赤く、酔っていることラデックには十分に分かった。酒が苦手だと言っていたユゼフのために、そろそろ止めるべきかもしれないと一瞬思った。しかしユゼフを潰してやろうという邪悪な思いがそれを阻んでしまい、ラデックは友人の深酒を止めることはできなかった。
「そんなところだ。あまり詳しくは言えないけどな」
「なんで?」
「恥ずかしいからに決まってんだろ」
ラデックはそう言って頭を掻きつつ、頬を僅かに赤く染めていた。それが酒によるものなのか、あるいはそれ以外なのかは容易に見当がついた。
「んで、そんな運命の出会いを果たした夫婦の子供は、男女どっちだと思う?」
「お前って奴は……まぁいいか。……どっちでもいいけど、どっちがいいかと言われれば女の子だな」
「あ、やっぱり?」
「やっぱりってなんだ?」
「古今東西、どんな世界でも父親はまず娘が欲しいって思う。んで、2人くらい娘を儲けたら『そろそろ男の子も欲しい』とか言い出すんだよ」
「……そういうもんか」
「そういうもんだよ。一姫二太郎って言うだろ。父親はまず娘が欲しいって意味だ」
「いや、ちょっと違う気がするぞ?」
「そうだっけか?」
「あぁ。ありゃ確か、長女は母親の手伝いをしたがるから子育てしやすいって意味だった気がするぜ」
「さすが子作りの専門家だな、よく知ってるね」
「その言い方誤解招くからやめろ」
それでは誰彼構わず子作りをしているみたいではないか、と彼は怒りたかったが、さすがにそんな恥ずかしい事を居酒屋で声を大にして言う気にはなれなかった。
「それにユゼフ、お前は俺にどうこう言う前に既に娘いるだろ?」
「は? 俺はまだ独身、娘なんていない」
「いるだろ、ユリアちゃんが」
「……いや、あれはサラの子供。子供っていうか、養子か被保護者だな」
「マリノフスカ嬢は、お前の子でもあるとか言ってたけどな」
「まさか、血の繋がりも法律上の繋がりもない。ましてや育てているのは主にサラ、俺が親になるはずないさ」
「それもそうか」
「そそ。でも、ユリアのためにはやっぱり片親っていうのは辛いだろう。サラも軍務で忙しいし、幼いユリアを官舎に残すのは不安だ。さっさと結婚すりゃいいのに」
やや憮然としつつ、ユゼフはそんなことを言った。ラデックから見れば、それは少し異様な光景だった。
「じゃ、お前が貰ってやれよ」
「……いや、そのつもりはない。前にも言ったけどさ。それにサラは婚約者いるとか言ってたしね」
「え? マリノフスカ嬢もいるのか?」
「あ? 聞いてないの? ……んじゃ今の聞かなかったことにしろ、サラに殴られる」
「あ、あぁ……」
ラデックは、それ以上そのことについては追及はしなかった。気にならなかったわけではなく、ユゼフのその言葉と態度がどういう意味を持っているのか推測していたからである。
友人の子供について真剣に考えて、そして少し不機嫌な態度を取ってから「婚約者と結婚すればいい」と言うユゼフ。それを見たラデックは結論を見出して、そして自ら出したその結論におかしくなって笑ってしまった。
「ん、どうしたんだ急にニヤニヤして。きもいぞラデック」
「なんでもねーよ。ただ、お前が変人だってことがわかって、ちょっと笑ってただけだ」
「意味わからん……」
それから数時間後。ユゼフは完全に酔い潰れ、そしてテーブルに突っ伏し眠っている。いびきこそかいてはいないが、どう見ても熟睡である。そんな友人の寝顔を見ながら、ラデックはちびちびと残りの蒸留酒を飲み続け、そして考え続けていた。
この友人の未来というものがどのようになるのか、期待とアルコールとを交えて想像を膨らませていた。
だがその想像を彼が口に出すことはなく、代わりに出した言葉はこんなことである。
「……ま、見てる分には面白いから良いか」




