宰相と内務大臣
ユゼフとフィーネらがシレジア王国王都シロンスクで情報交換をしている頃、東大陸帝国帝都ツァーリグラードでもほぼ同様の事が起きていた。
帝国宰相セルゲイ・ロマノフはその日、皇帝官房治安維持局長モデスト・ベンケンドルフ伯爵と面会していた。
「それで、調べはついたのか?」
「おおよそは」
そう言って、ベンケンドルフ伯は資料をセルゲイに手渡す。
資料の中身は多くの情報が記載されている。政敵の情報を筆頭に、周辺諸国の政治・経済・社会に関する情報、貴族同士のドロドロとした内紛など。しかしその中でセルゲイが重視した情報は2つ。1つは、
「あの内務大臣はやはりオストマルクと通じているようです。既に宰相閣下の政策について、子細な情報が洩れています」
「ふんっ、あの豚野郎が。こういうことには才能を発揮できる男とはな」
セルゲイは唾を吐き捨てながら、内務大臣に毒吐く。一応内務大臣は皇太大甥派であったが、それは私利私欲の為であり、公益のために身を捧げるなどという言葉から縁遠い男だった。それでも有能であれば、多少の目溢しはしただろう。
だが、内務大臣はどちらかと言えば有能ではなく有害であった。
「ベンケンドルフ伯」
「ハッ」
「あの豚はいざとなったらオストマルクへ亡命する気だ。自分の身の安全を保障しなければ情報を渡さない。それが条件だったのだろう。でなければあんなにベラベラ喋るはずもない」
「承知しました。……家族の方は、いかがなさいましょう?」
「家族?」
セルゲイは一瞬、顔を顰めた。幼い頃からロマノフ皇帝家の政治闘争の波に揉まれながら生きていた彼にとっては、家族と言うものがよくわからない。
「要職の地位にあるとはいえ、彼は帝国と殿下を裏切った大逆人です。然るべき処置をすべきかと存じますが」
「然るべき、ね。具体的には?」
「具体的には、名誉ある死を」
「ふーん……?」
内務大臣一家は、皇太大甥派でありながらセルゲイに不利益をもたらすものとなる。それがいつか大火にならぬよう先手を打つべきだと、セルゲイ自身の身の安全の為には、どれほどやってもし過ぎると言うことはない。見せしめのためにもそうすべきだと、彼は考えたからである。
だがセルゲイはその提案を拒否した。
「その必要はない。家族は監視をつけて、辺境に流刑。その程度で良いだろう」
その決断を告げた時、ベンケンドルフ伯はやや驚き、思わず「は?」と聞き返してしまった。
「不満か?」
「い、いえ。殿下がそうおっしゃるのであれば、異存はございません」
セルゲイがベンケンドルフ伯の提案を拒否したのは、無論理由はある。内務大臣の家族構成は妻と子供2人であり、その子供も1人は家督を継がない女性であり、もう1人は男ではあるがまだ10歳だった。これならば将来脅威とならないだろうと、セルゲイは考えたからである。
ベンケンドルフ伯にしてみればその子供が成長し、そして屈折した復讐心をセルゲイに向けてくるのではないかと考えたのだが、セルゲイは子供を害する事を躊躇ったということになる。
「ま、内務大臣自身の身についてはベンケンドルフ伯に任せよう」
「承知しました。……ところで」
「ん?」
「オストマルクについては、いかがなさいましょうか? 内務大臣の件を大義名分とし、彼の国に宣戦布告しますか?」
「いや、やめておこう。これについてはオストマルクについては見て見ぬふりをしよう。どうせ軍制改革中には戦争はできんし、国内の状況を見てからでないとな」
セルゲイは、珈琲を飲みながら「それに」と付け足す。
「あの国は我が国の計画に参加してもらわねばならない。ここで変に両国の仲を悪くする必要はないさ」
これ以降、セルゲイは内務大臣の内通事件について特に感想を述べることはなく、ベンケンドルフ伯自身も計画の内容を知っていたために再考を求めることもしなかった。
「……さて、と。後気になる件と言えばシレジア王国かな?」
「それについては、いくつか気になる情報が入っております」
「ほう? なにかな?」
「第一王女、エミリア・シレジアについてです」
「……エミリア? あぁ、あのシレジアの王女か」
「それなのですが殿下、どうやらあの王女はだたの箱入り娘ではございません」
ベンケンドルフ伯がそう言うと、もう一つの資料を見せた。先ほどセルゲイに手渡した資料とは違い、エミリア王女だけに焦点を絞った情報である。そしてそれは王国宰相と外務省が提供したと言うこともあってかなり正確だった。
だが正確だと分かっていても、セルゲイはそれらの情報をにわかには信じ難かった。
「春戦争、カールスバート内戦において武勲巨大なり、か。確かに彼女は軍事的才覚に恵まれているとは思ったが……それでも、この巨大さは信じられないな。彼女はまだ16歳だったはずだ」
「お気持ちはわかりますが殿下、その情報は極めて信憑性の高いものでございます。無視はできません」
「わかっている」
セルゲイはそう言って、宰相執務机の椅子に深くもたれる。その後彼は目を閉じてしばし考え事をしていた。どのような思考を巡らせているのかとベンケンドルフ伯は考えたが、セルゲイが次に発した言葉は彼にとって意外なものだった。
「これほどの才能を持つ王女か、興味があるよ。一度会ってみたいな伯爵。あのカロルとかいう野郎は王女を排除したがっているようだが、私は彼女を正妃として迎えたいよ」
「……は?」
「冗談さ」
自嘲気味に彼はそう言ったが、ベンケンドルフは――あるいはセルゲイ自身も――それが本当に冗談なのかは判断ができなかった。
会ってみたい、という気持ちは理解できなくもない。16歳にして軍事的才覚に溢れて既に武勲を立てている王女というのは、たとえ敵国であっても敬意の念を抱かずにはいられないだろう。だが正妃となると、話は別である。
もしかしたら、王女を自分の傍に置きたいがために戦争を吹っかけ始めるのではないか、という不安がベンケンドルフ伯の脳内をよぎった。だがそれは、彼の考えすぎかもしれない。セルゲイは平静を保ちながら、伯爵に話しかける。
「まぁ、そのことはどうでもいい。ベンケンドルフ伯、ひとつ質問がある」
「なんでしょうか、殿下」
「このエミリアとかいう王女、友人あるいは部下の武勲を横取りしているは可能性は?」
「……先のカールスバート内戦については不明です。しかし春戦争に限って言えば、大公派将官の証言と捕虜からの情報は一致しています。『エミリア王女自身が作戦を立案し、そして前線に立った』と」
「……わかった。ありがとう伯爵、今日はもう下がっていい」
「ハッ。では、失礼します」
そうして、ベンケンドルフ伯は宰相執務室より退室した。
それを確認し、そして部屋に1人となったセルゲイは立ち上がって執務室の窓に近づく。窓に映るのは、相変わらず雰囲気の暗い帝都の景色。
そんな帝都を眺めながら、彼は呟いた。
「我ながら、妙ことを言ったものだな」
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秋刀魚乱獲してる暇がないくらい多忙につき、更新が遅くなります。ごめんなさい
 




