工場
3月15日。
もうすぐ完成すると言うグリルパルツァー商会の工場を見学、もとい監査をすることにした。名目的には公爵領の法に抵触していないかを確認するのだが、それをするのは文官か軍法務士官である。今回は、公爵領民政局の局員の付き添いという形だ。
と言っても早速はぐれたけどね! まぁ局員だけでも大丈夫だと思うよ、うん。
今回訪れる工場の正式名称は「グリルパルツァー商会クラクフ紡績工場1号棟」と言う。つまりは綿を糸に変えるための工場。
工場が建っているのはクラクフ中心部から東に少し外れた場所にあるウェンクという場所。周囲には特に何もない、つまりは土地が安いと言う意味。しかし不便というわけでもなく、むしろクラクフの中心部を流れる川に接しているため交通の便は良い。たぶんこの川を利用して原材料の輸送を行うつもりだろう。
……にしても、工場の規模が想像より大きかった。産業革命が起きていないこの大陸、きっと工場の規模は小さいに違いないと思っていたのだが。
工場は煉瓦造りで、高さは目算で30メートル。そして川と接する部分には原材料の積み込みを行う簡易埠頭と水車がある。
とりあえず外から工場を眺めていた時、聞き覚えのある声が工場の方からした。
「予想より工期が遅れています。このままでは来週の落成式に間に合いませんよ」
「申し訳ありません。ただ人員が不足しておりまして……」
「それはあなたの労働管理体制がなっていないからです。少し拝見しましたが、この遊んでいる工員はなんですか?」
「いえ、それは……」
「こんな管理体制では、工場が稼働した時どうなることやら」
リゼルさんである。
どうやら彼女も工場の様子を見ているらしい。そしてリゼルさんと比べて30以上は年上っぽい人に指示をしている。割と手厳しい。
「捗ってますね、リゼルさん」
「……あらユゼフさん。いらしてたんですか?」
「えぇ。工場の監査をしに」
「監査? ……あぁ、そう言えば総督府の方が先ほど来ていましたね。付き添わなくていいんですか?」
「いいんですよ。うちの総督府の職員はみんな優秀なんで、お飾りの付添人はいなくても困らないんです」
実際工場の体制がどうのこうのというのは俺にはわからないし、専門家に任せた方が良いのは自明の理。いてもいなくても一緒なのは最初からわかってる。
問題は迷子になっても探しに来てくれるわけじゃないってところかな……。ちょっと寂しい。
「ところでリゼルさん、妊婦なのに仕事なんてして良いんですか? あまり負担をかけると……」
「大丈夫ですよ。仕事と言っても軽いものだけです。それに近侍もついてきていますから」
と言って、彼女は後ろを振り向いた。そこには、工場建設現場で汗だくで働くオッサンの群れの中に一際浮いているメイド服姿のメイドさんがいる。場違いってレベルじゃない。
一方、リゼルさんは気にしていないのか「ロミーは働き者ねー」と言ってるだけである。ロミーと言うのがあのメイドさんの名前なのだろう。見た目年齢はリゼルさんよりは上……たぶんアラサーという感じだろう。
「まぁ、そういうわけなのでお気遣いは必要ありませんよ」
「そうですか。でも、無理しないでくださいね。じゃないとラデックが泣きます」
「ふふ。泣いているラデックさんというのも見てみたいですが、ほどほどにしておきます」
そう言うと、彼女は近くにいた1号棟の主任となる予定の人に業務を引き継いだ。
「リゼルさんのここでの職責というのはどういう感じなんですか?」
「あぁ、そういえば言っていませんでしたね。私の今の役職は『グリルパルツァー商会シレジア支社長』です」
予想外に高位の職だった。支社長とは恐れ入る。
「驚くことはありませんよ。恐らくラデックさんも軍に居なければ、今頃は高級幹部の職に就いていたでしょう。局長とか、取締役とか」
「そうなんですか……」
まぁ確かにラデックは仕事は早いし、それくらいできてもおかしくはないか。それに今のラデックの職はクラクフ駐屯地補給参謀補。これもなかなかの地位だしね。
「あと、ユゼフさんも人の事言えないですよ?」
「え?」
「だって、クラクフ総督府軍事部門の次席なのでしょう?」
そう言えばそうだった。エミリア殿下が色々凄すぎて忘れてたけど、この歳で少佐は異例だ。うーん、そんなに変なことしたっけな……。まぁいいや。反論しても墓穴を掘りそうだし、話題を変えよう。
「にしても、意外に大きい工場ですね。しかもこの規模の工場があと2棟は立つのでしょう?」
「はい。今はこの紡績工場だけですけど、すぐ近くに被服工場を建てます。計画通りに行けば、我が商会最大の工場となるはずです」
「そりゃすごい」
その後もリゼルさんから工場のスペックについて聞いた。
あのでかい水車を使った水力式大型自動紡績機が既に工場の中にあるそうだ。その紡績機の性能は、従来の人力紡績機の30倍の生産力を誇ると言う。技術革新は偉大だな。
「グリルパルツァー商会が考えたんですか?」
「そうです、と言いたいところですが違います。発明したのはアルビオン連合王国の発明家ですよ。私たちは、その図面を買い取っただけです。高かったんですからね!」
高かったから儲けさせてくださいね! という意味だろうか。わかってますよ。儲けてくれないと公爵領としても困るからね。
ちなみにアルビオン連合王国とは大陸西北部の離島、つまり前世でブリテン島と呼ばれた場所にある国家だ。
にしても、高額な機械を導入して多くの工場を建てるのか。コスト大丈夫だろうか。
「これ、投資回収できるんですか?」
「既に顧客は確保していますよ。工場3棟分ですが」
なるほど。需要の成長具合を見て順次拡張すると言うわけか。
「これ以上の拡張は、確実な顧客確保が必要です。建てたは良いけど稼働率3割以下、なんて事態はごめんです。今はエスターブルクや周辺都市での営業をさせていますが、どうも我が商会の営業部は余り優秀ではないようで……」
「ダメなんですか?」
「ダメ、というより輸送費用の問題ですね。高級被服なら問題ありませんが、中所得者向けの衣服だと価格に直撃しますから……」
「あー……」
なんか前世のニュースで度々聞いたことのある言葉だ。ガソリン価格がどうの、人件費がどうので輸送コストが跳ね上がって商品価格が上がる。そしてよくわからない町のおばちゃんが「高い」って言うまでテンプレ。
まさかその現場を聞くことになるとは思いもしなかったが、確かに経営者としては頭の痛い問題か。
「オストマルク以外の販路は?」
「……カールスバートがあります。復興需要ですね」
「他には?」
「いえ、まだ……」
リゼルさんはションボリと俯いた。いかんいかん。お母さんがそんな顔見せたら子供の教育に悪いよ。
要は中所得者向け被服工場をここに建てたいのだ。クラクフを拠点として、多くの販路を持ちたい。工場を分散化させることは、軍隊で言えば「戦力集中の原則」を破ることにある。たぶん。
「じゃあ、シレジア向け商品でも作りませんか?」
「シレジアですか?」
「えぇ。いい機会です。現地生産現地消費ですよ」
「はぁ……。しかし具体的にはどこに?」
「そうですね……この工場の脇にある川、ヴィストゥラ川と言うんですが……」
ヴィストゥラ。
エミリア殿下の士官学校時代の偽名、取り潰しになったヴィストゥラ公爵家の名前の由来となった川だ。クラクフは上流にあるからまだ川幅は狭いが、流れは比較的穏やかで下流に行けば川幅は広くなる。
「このヴィストゥラ川、下流に行くとシレジア東部最大都市ヴィラヌフに繋がっているんですよ」
「下流に……」
「えぇ。下流に」
この大陸の輸送手段は、多くは馬車に頼っている。当然だ。鉄道がないんだから。だけど馬車には欠点がある。大規模かつ長距離の輸送に限界があるということ。
そしてそれを可能にできるのが、水運。川に船を浮かべて下流に商品を運ぶこと。船は馬車なんかより大量輸送に向いているし、河川交通は大陸では非常に重要な交通手段だ。
「オストマルク向けということで割り切って当初は考慮に入れてませんでしたが、なるほど下流に大都市があるのであれば好機ですね」
「はい。ただ問題がありますが」
「問題?」
「ヴィストゥラ川流域の各貴族領が通行関税を要求する可能性があることです。王女派貴族領ならまだなんとかなりますが、それ以外はちょっとね」
事前にわかっていれば、まだなんとか交渉の余地はあっただろうけど。
「解決法は?」
「ひとつひとつの貴族領と交渉するか、あるいは王都で交渉か、ですね」
前者は論外だろう。非効率的すぎる。だから後者、国に頼むのが一番だろう。
産業省か、あるいは国王陛下と交渉して特権商人となる。そうすれば、各貴族領の通行関税の減免が通るし、なにより今後クラクフ以外での商売もしやすいだろう。
無論、普通にやるとなると時間はかかる。友好国とはいえ外国企業を特権商人にするのは、慎重にならざるを得ない。
でも、もしここにやんごとなき身分の方の紹介状、あるいは推薦状があれば。
まぁいつぞやの情報のお返しに「王家のコネ」を約束したし、グリルパルツァー商会にはクラクフに資本を投下してほしいし。
それを察したのか、リゼルさんションボリ顔から商売人の顔に戻り、俺に向き直った。
「ユゼフさん」
「なんでしょう、リゼルさん」
「エミリア殿下に、よろしくお伝えしてください」
「えぇ。喜んで」
その答えを聞いたリゼルさんは笑顔で立ち去り、メイドのロミーさんと何か相談を始めた。
よしよし。ついでにリゼルさんと一緒にラデックを付けて、王都で結婚の話でもしてきてくださいな。




