結婚
現状。
応接室のソファで項垂れるラデック。その対面に座るにこやかな顔をしたリゼルさん。困惑する俺。
そして応接室に入ってきたマヤさんは、この惨状に目を白黒させていた。
「……どうした。ラデックくんは戦争に負けたのか?」
「いえ、どちらかと言えばリゼルさんが勝利したという感じでしょうか」
とりあえずマヤさんに事情を説明。マヤさんの顔も困惑と驚愕と喜びを混ぜたような顔をしている。その気持ちはわからんでもない。俺もたぶん似たような顔をしてたと思うし。
恐らく、内戦勃発前のリゼルさんとラデックのデートの時にヤちゃったんだろうな。リゼルさんも虎視眈々と狙ってたし、だとすると妊娠5ヶ月。そろそろお腹の膨らみが目立つ頃だろうが、彼女の服装がその膨らみを隠しているようだ。
えーっと。前回会ったのが確か10月中旬のことだから、予定日はたぶん7月の頭くらいになる。
「何にしてもめでたい事じゃないか」
「男か女か、両親のどちらに似るのか今から楽しみですね」
「そうだな。どちらにしても顔立ちも頭脳も良い子が生まれることだろう。羨ましい事だ」
一方、当人たちの様子は相変わらずである。
リゼルさんは「うーん、男の子がいいかも……」とやや妄想の領域に達しており、なんかちょっと危ない雰囲気を醸し出している。
そしてラデックはと言えば
「お前らうるせぇ。殺すぞ」
俺らを睨みつけつつドスの効いた声でそう言った。超こえぇ。歴戦の戦士たるマヤさんもちょっと怖気づくほどの迫力だった。
その言葉の直後に、ラデックは長く深い、深ーい溜め息を吐いた後、頭をガシガシと掻いた。うん、これは見た事がある。事務処理が溜まってどうしようもなくなった時のラデックだ。
「はぁ……ちょっと2人きりにしてほしい」
まぁ、積もる話もあるだろう。
俺とマヤさんは、暫くは外で待っていることにしよう。
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数分後。
ラデックとリゼルさんの密談は思いの外早く終わった。会話を盗み聞きしようとドアに張り付いて耳をくっつけていたのだが、そんなに大声で話していなかったので内容はわからなかった。
が、部屋から出てきたリゼルさんが満面の笑みをしていたので悪い話ではなかった模様。とりあえず中絶だの認知しないだのと言う話はないのは確かだな。
ただ問題はリゼルさんの意識がここではないどこかに完全に昇天してるので、話しかけても全く反応がないことだ。たぶんこのままだと階段を踏み外して流産とかいう笑えないオチが待っているだろうから、とりあえずマヤさんを付き添わせることにした。
じゃ、俺はラデックに付き添うかね。
「おーい、ラデック。生きて……ないな」
死んでた。執務室の扉を開けると、そこにはラデックの死体があった。正確に言えば息はあるし瞳孔も正常だし脈もある。ないのは魂だけだ。
「まぁ、なんだ。俺でよければ相談に乗るよ?」
「断る」
ようやく口を開いたと思ったらこれである。悲しい。
が、彼は頭をボリボリと掻いた後に、まるで犯罪者が自供するかのように事の次第を話してくれた。
「……初めてだったんだよなぁ」
「何が?」
「子作り」
急に生々しい話が飛び出してきたな、オイ。
にしても、童貞卒業日が父親になった日に変わったのか。確かに同情の余地はある。まぁなんだ、1発だけなら誤射かもしれない。
「できちゃったもんは仕方ないだろ。まさか流産させるわけにもいかんだろうし」
第一、相手は婚約者だから「望まない妊娠」というわけでもない。むしろリゼルさんは大喜びでもある。それはラデックも承知しているので「まぁな」と言ってまたポリポリと頭を掻く。
「問題は、結婚の方なんだよな」
「あ、結婚する気あるのね」
「たりめーだろ。結婚する気ない奴と子作りはしない」
いやどうだろう。結構そう言う人は多い気が……まぁいいや。本人が良いって言ってるんだし。
「普通に結婚すりゃいいじゃん。婚約者だろ?」
「そうだな。相手が勅許会社の社長令嬢かつ異国人でなければな」
「あー……。となると、ラデックの親父さん? に相談しないとダメか」
グリルパルツァー商会とノヴァク商会がなんらかの業務提携をする。そのための政略結婚というのが根本的にあるのだ。この2人は。たぶん商会の規模から言って、ノヴァク商会がグリルパルツァー商会に吸収される形となるだろうが。
「そうだな。まぁたぶん大丈夫だと思うが、勝手に決めるわけにもいかない。だからリゼルには『ちょっと待ってほしい』って言ったんだ」
どちらも結婚する気満々なわけか。なるほどね。だから退室した時のリゼルさんがあんなにウキウキだったのか。
「オストマルクの要人と結婚するという事に関しても、軍務省に判断を仰がなきゃならんかもしれん。一応、旧反シレジア同盟加盟国だ。間諜か何かと誤解されたら面白くない。近日中に王都に行くことになるだろうな」
「……そこまで考えてたのか」
「当たり前だ」
相談とか安易に言ってごめんなさい。私が子供でした。
ラデックの方は、俺と話しているうちに顔に生気が戻りつつあった。平常心を取り戻せてはいるようだな。うん。よかったよかった。
「俺の事なんてどうでもいい。お前はどうなんだ?」
よくなかった。どうした急に。
「いつぞやも言ったけどよ、今すぐにとは言わんが結婚について真剣に考えた方が良い」
「……はぁ」
結婚ねぇ……。まぁ、とある人から告白されたり、とある人から娘の婚約を迫られてはいるけど。
……あ、やばい。また恥ずかしくなってきた。落ち着け俺、こんなところで顔を赤くしたらラデックに勘繰られ
「どうしたお前、急に顔赤くして。……まさか」
勘繰られたああああああ! よし、とりあえず応接室の花瓶でラデックの頭を思い切り殴って記憶喪失させよう。あ、でもそれだとリゼルさんとの子供の記憶も忘れてしまう。それはダメだ。畜生なんでお前子供作ったし!
……ふぅ。クールになろう。深呼吸深呼吸。ひっ、ひっ、ふぅ。
「で、誰だ? リンツ伯の娘さんか? マリノフスカ嬢か? それとも……」
「おいラデック、そろそろやめないとあそこの花瓶がお前目がけて飛ぶことになるぞ」
「お、おう」
そう言うと、ラデックは大人しく引き下がってくれた。危ない危ない。ありがとう花瓶。ちなみにあれはカールスバート製です。
「まぁ、花瓶の飛行実験はともかく。俺は具体的に誰と結婚するとかは考えてない」
「その心は?」
「相手を幸せにできる自信がない」
「はぁ」
結婚したら2人とも不幸になりましたじゃあ報われない。俺に甲斐性はないし。第一、身体年齢は一緒でも精神年齢に違いがありすぎる。
そりゃね、いい女性だと思うよ? だから俺なんかよりもっといい男探して幸せになってくださいと思う。家も顔も良いんだから引っ張りだこだろうに。
と言うのを、精神年齢の部分を差っ引いてラデックに説明したが、どうも彼は納得できないようである。
「その理屈はわかったけどよ。お前の純粋な気持ちはどうなんだよ」
「俺の?」
「そう。相手の幸せだの、そういうのを無視してな」
「……」
純粋な俺の気持ちね……。よくわからん。16年と250ヶ月生きて、こう言う機会はなかった。
好意を抱かれるのは素直に嬉しい。でも、俺が彼女らに向けている気持ちが、こちらに送られてくる気持ちと同価値なのかは判断がつかない。
「よくわからない、というのが本音かな。親友として好きかと言われれば、確かにそうなんだけど」
「男女間に友情はない、とも言うぞ?」
「俺はあると思ってる。男女間にあるのが劣情だけなんて、ちょっと嫌だ」
ちょっとどころじゃないけど。
「まぁ、なんにせよ結婚する気はないな。相手の未来のことを考えると、どうもね」
「……はぁ」
ラデックの本日何度目かの溜め息。
「お前は真面目なのか、そうじゃないのか判断がつかないな」
「ほっとけ」




