放浪息子の帰宅
時代や国家が違えど「男女間の問題」と言うものほど厄介な物はない。
古くは神話の時代から人類社会に深く関わるこの問題は、時に歴史を大きく動かしてしまい、国を滅ぼすこともある。あるいはそれを目的として敵国に美女を献上し、その美貌によって敵国の王がたぶらかされ、実際に国家が衰亡した例もあったのだ。
それだけにこの問題は根深く、そして一度こじれると非常に面倒になる。
さて、そんな厄介で面倒な問題を抱えてしまった男が、大陸暦638年3月20日のシレジア王国にいる。
彼が当時抱えていた問題はひとつではなかった。国家の存亡に関わる問題を大真面目に考えていた傍ら、それをも超える煩雑な難題を処理しようとしたのである。
それはある日、彼と最も長い付き合いの女性から言われた言葉が問題の発端である。だがそこまでだったら、大きな問題とはならなかったかもしれない。なぜなら、今となってはこの問題が複数の人間と国家を巻き込んだものとなってしまったからである。しかも、彼自身の失策によって。
彼、ユゼフ・ワレサはある女性に告白された。
「で、どう思います? フィーネさん」
そしてあろうことか、そのことを彼に思いを寄せている別の女性に相談してしまったのである。
そんなことをするから、話がややこしくなる。
「……はぁ」
彼女としては、そんな反応しかできなかった。
なぜこのような事態に陥ったことを理解するためには、暦を少し戻さねばならない。
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大陸暦638年3月11日10時40分。
カールスバート内戦への介入を終えた俺らエミリア師団はようやくクラクフに帰ってこれた。これでじっくり休め……るわけもないか。俺を待っているのは総督府軍事査閲官執務室に溜まった大量の書類だ。自然と、総督府へ向かう俺の足取りは鈍くなる。帰りたくない。
いや、それはまだ良い。書類仕事はちょっとずつ慣れてきたから。問題は……
『私、ユゼフのこと好きよ!』
……あ、やばい。ちょっと思い出してしまった。なんか恥ずかしい。たぶん今顔真っ赤になってる。だって仕方ないじゃない。ああいうこと言われるの16年と255ヶ月の人生で初めてなんだもの。恥ずかしさのあまり、もういっそ殺して欲しい。
その台詞を聞いた時は俺も結構狼狽えたが、サラさんも割と顔真っ赤にしてた。いやいつものことだけど。
『……えっ?』
『……あっ』
なんていうか「言ってしまった感」を彼女から感じた。言うつもりなかったのに勢いで言ってしまったという、彼女らしい部分を垣間見た。
まぁ、問題はその後の彼女の台詞でして。
『あ、あの、これは、その、親友としてよ! ユゼフと恋人になりたい奴なんているわけないじゃないの!!』
割と酷い言い種を聞いた気がするが、まぁそこで「そうか、そう言う意味なら安心だね!」とはならない。あそこまで言われて勘違いできるはずもなし……いや、案外その通りだったりするのかもしれないけど。だってサラさん割と挙動不審だし。
……うん。ダメだな。考えがまとまらない。敵が何を意図して兵を動かしているのかを考えるのは得意なんだけど、女子が告白したあとそれを慌てて訂正する意味に結論を見出せない。何、ツンデレなの? サラさんどちらかと言えばツンボコじゃない?
やっぱりここは専門家に聞くべきかな。婚約者がいるイケメンラデックとか、年長者のマヤさんとか。あ、でもラデックはリゼルさんという婚約者ができるまでは童貞だったんだっけ。ということは恋愛経験はそんなんでもないと。
やっぱり年長者ということでそういう経験も割とありそうなマヤさんが良いかな。いやしかしマヤさん男っ気全くないからなぁ。なんかもう「エミリア殿下の下に居るのが私の幸せ。男なんて要らん!」って風格だしね。公爵令嬢としては結婚した方がいいと思うけども。
「――さん? ユゼフさん?」
「……あ、はい。なんでしょうか、エミリア殿下」
いつの間にか近くに来て、ひょっこり覗き込んでくるエミリア殿下にようやく気付いた。
「考え事ですか?」
「えぇ、まぁ」
「顔を真っ赤にして?」
「……回答拒否で」
俺がそう言うと、エミリア殿下はクスクスと笑い始める。どうやらツボに入ったらしい。
「この場にはいない、オストマルクからの御令嬢に思いを馳せていたのですか?」
「いや、それはないです」
フィーネさんは今はこの場にはいない。帰路の途中で別れ、オストマルク帝国情報省に報告と『土産』を渡しに行っている。クラクフにすぐに戻ってくるとは言っていたが、あまり早く戻ってきてほしくないな。
それはともかく、今はエミリア殿下に適当な言い訳を言ってお茶を濁さないと、変に勘ぐられたら困る。殿下が変なことを言ったおかげか、割と素に戻れたし。主に顔が。
「東大陸帝国の動向が気になったんですよ。この間もご報告いたしましたが、今回の内戦であの国が介入してきたのは間違いないのですが……」
どうも戦場に居ると、そういう国際情勢に疎くなる。シレジア王国に情報機関がない、少なくとも王女派に帝国との独自のコネがない以上、基本的に彼の国の情報はオストマルク帝国経由となる。でも全ての情報を開示してくれるはずもないし、見返りも勿論払わなければならない。情報が正しいかの判断も出来ない。
「そう言えば、気になる情報が入りました。外務省からです」
恐らく大公派である外務尚書からの情報というのは半ば信じられなかったが、その情報の内容的には嘘はないのではないか、とエミリア殿下が言っていたので俺も信じることにする。
「東大陸帝国皇帝イヴァン・ロマノフⅦ世の命により、新たにセルゲイ・ロマノフが帝国宰相の職に就いたと」
「……いつですか?」
「昨年の10月31日です」
随分前だ。内戦が起きた時に、帝国では政争にひとつの区切りがついたということか。
内戦勃発前後に既に権力を握っていたとすると、内戦の直接の原因となったカールスバート大統領府放火事件はセルゲイ・ロマノフによる指示と言う可能性が高い。
「セルゲイは既にいくつかの新政策の発表を済ませていますね」
「彼の国の思惑が大陸の統一ならば、その政策は全て大陸統一のための事前準備ということでしょうね。内容については?」
「ただ表題が発表されただけで、子細は不明です。主に3つの政策、具体的には農奴解放、外交政策の見直し、そして軍縮です」
「……軍縮?」
「えぇ。軍縮です。大陸統一のためには軍事力はいくらあっても足りないはずですが、軍縮をするとは意外です。財政支出の圧縮をして、ひとまずは内政に力を入れるのではないかと思いますが……」
「外交政策の見直し……というのは反シレジア同盟の枠組みやキリス第二帝国との紛争をどうにかするということですかね。それによって安全保障上の危機を乗り越えるつもりなのかもしれません」
と、言っても自信はない。
軍縮すると見せかけて、実は軍拡してましたというオチかもしれない。そこら辺は生の情報を手に入れないと判断のしようがないだろう。
こういう時フィーネさんがいてくれれば色々相談できるのだが。
「あらユゼフさん。また例の人について考えているんですか?」
目敏い殿下が俺の表情がちょっと変わったことに気付いたらしい。ちょっとニヤニヤしてるのはご愛嬌。
「別にフィーネさんのことは考えていませんが」
「あらあら。私は『フィーネさん』とは言っていませんよ?」
「あっ」
……しまった。こんな単純な罠に引っ掛かるなんて。
罠を引っ掛けた方の殿下と言えば、再びクスクスと笑っいつつ少し諭すように怒っているように見えた。
「全く。女性と話しているときに他の女性の事を思うなんて、嫌われますよ」
「申し訳ありません」
口調は冗談っぽかったが目がマジだった。怖い。
「まぁユゼフさんのポカはともかく、確かにフィーネさん……と言うより、オストマルクからの情報支援が欲しいのは確かです。我々も早急に情報網の構築をせねばなりませんが、いい方法はないものですかね……」
情報は力だ。戦場でも政治でも何でも、情報と言うものがなければ不利どころか土俵に立つことすら許されない。諜報員を敵国に送るのが単純な手だが、それだと国家の中枢部に手が届くまでに時間がかかる。既に国家の中枢にいる人間、あるいは中枢に行きそうな人間を寝返らせるのが効率の良いやり方だ。
まぁ、問題はそんな人間はホイホイいないってことだが。しかも東大陸帝国皇帝派の力が弱まったために、皇太大甥派に刃向おうとする人間は減っているはずだ。
「……そう言えば殿下。講和条約の締結に関して、何か具体的な話はないのでしょうか?」
「講和ですか?」
昨年の春戦争の正式な講和条約はまだ結ばれていない。「ギニエ休戦協定」という仮の協定があるだけで、正式にはシレジアと東大陸帝国は戦争中なのだ。故に両国の動員はまだ完全に解除されていないし、捕虜も解放されていない。
現在、皇太大甥セルゲイ・ロマノフが帝国宰相となっている。帝国としては、政治情勢が安定し始めたこの時機に講和を結びたいと考えるのではなかろうか。
であれば、シレジアも準備をした方が良い。
「その講和条約を結ぶ際にあたって、帝国の要人に接触して情報収集をしたり、あるいは条約の内容に罠を仕掛けて情報網を構築したりする、というのを考えたのですが」
すると、エミリア殿下は深く何度も頷いた。
誰と接触するかとか、具体的にどういう条文にするかだとかを思いついたわけじゃないが、そういう外交の場での情報収集も良いのではないだろうか。
それに講和条約の内容は恐らくシレジアに有利な条文になる。いくらでも罠は張れそうだし、帝国の外交官や大臣級の人間をシレジアに呼ぶことも出来る、かも。
「なるほど。確かにそれは有効そうですね。至急、外務省に問い合わせてみます」
殿下がそう言うと、小走りで俺の下から去り、マヤさんと合流して総督府へ向かう。エミリア殿下自身、あるいは総督たるマヤさんのお兄さん経由で問い合わせるのだろう。
ま、王都からクラクフまでの距離を考えると返事が来るのは来週とかになる。それまでにエミリア師団の残務処理、総督閣下からの事務引き継ぎを済ませるとしますかな。




