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大陸英雄戦記  作者: 悪一
第60代皇帝
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大陸史 その6

 東大陸帝国の正式な国名は、未だ「大陸帝国」である。

 自らが正統な大陸帝国の継承国なのだと称するのだから、これは当然な話。だがこの自称大陸帝国と同じく、大陸帝国の正統なる継承国だと主張する国家が大陸西端に存在する。

 そのため両国を東大陸帝国、西大陸帝国と呼び分けることが通例となっており、バカ正直に「大陸帝国」と名乗るのは一部の愛国者と公文書のみとされている。


 そんな東大陸帝国には大陸暦637年までに59人の皇帝がいる。大陸暦元年が第20代皇帝の時なので、637年の間に39人の皇帝が生まれたことになる。即ち1代当たりの平均在位期間は16年強となるわけであるが、それを長いと見るか短いと見るかは後世の歴史家の評価次第である。


 と言うのは、平均在位期間16年強というのは王朝と言うものにあってはごく普通の数字だからである。

 だが第20代皇帝から大陸帝国分裂の契機となった第32代皇帝崩御までは299年間であることを考慮すればこの限りではない。第20代から第32代皇帝までの平均在位期間は25年弱であったのに対し、大陸帝国分裂後の第33代から第59代皇帝までの平均在位期間13年となるのである。

 これは大陸帝国分裂後の東大陸帝国の内情が不安定となり、それに伴い宮廷内闘争による皇帝・皇族の謀殺事件の続発に伴うロマノフ皇帝家の威信の低下、貴族の独断専行等の社会不安と不況が巻き起こって皇帝の代替えが頻発したためである。そう考えれば、よく13年で済んだものである。


 このような事態が解決したのは、大陸暦555年に即位した第55代皇帝パーヴェルⅢ世の功績が大きい。パーヴェルⅢ世は内政改革と外交政策の転換によって帝国の内情を安定させることに成功した。彼の功績の中で最も大きい政策は大陸暦559年の「反シレジア同盟」の成立である。シレジア王国と言う共通の敵によって結託した各国は経済と政治の交流を活発化させることができ、かつシレジア王国に奪われた領土を奪還することによって皇帝の威信を回復させることができた。

 その結果として第55代皇帝パーヴェルⅢ世から第59代皇帝イヴァンⅦ世までの平均在位期間が20年程となっていることを見ても、帝国社会の内情が安定していることがわかるだろう。


 さて、大陸暦637年時点での皇帝は前述の通りイヴァン・ロマノフⅦ世であるが、そのイヴァンⅦ世の評価は芳しくない。


「控えめに言って凡君、正直言って暗君」


 と言うのは、後世の歴史家の評である。


 東大陸帝国の沈滞期にあって、彼は特別何か改革を行おうとはしなかった。前代の皇帝が行った良き政策も悪しき政策もすべて受け継ぎ、それを次代の皇帝に渡すだけだった。彼の統治の間は改革もなく、結果的に東大陸帝国は時代に取り残されてしまった。

 だがこれだけならばまだ良かった。彼を暗君たらしめたのは間違いなく春戦争である。


 内政改革を放って、領土的野心に目覚めたイヴァンⅦ世は隣国シレジア王国へ侵略を開始する。皇太大甥セルゲイ・ロマノフの即位阻止という目的だけを持って侵略をするなど愚の極みだが、両国の戦力差から言えば東大陸帝国の圧勝となると思われた。


 だがこの時、シレジア王国ではマレク・シレジアの再来と称される稀代の軍事的天才が現れていた。

 シレジア王国第一王女エミリア・シレジアである。


 彼女は開戦当時15歳で少佐の身分であった。15歳で少佐というのは王族だからこその措置だったが、彼女の軍事的才覚はそれ以上だった。

 エミリア・シレジアの立てた作戦とシレジア王国軍の良将達の活躍により、東大陸帝国軍シレジア征伐部隊は壊滅。逆に領土を奪われる羽目になり、イヴァンⅦ世の権威は一気に失墜することになる。


 東大陸帝国軍敗北の報を聞いたイヴァンⅦ世は、病床に伏すようになった。それでも彼は政務を怠ることはなかったと言う。最も、もともとイヴァンⅦ世はそれほど政務に熱心だったわけではないので、これが称賛に値する事象なのかは評価に窮する。

 彼がその頃になって急に労働意欲に目覚めたのは、なんとしてもセルゲイに帝位を受け渡したくないと言う思いと、生まれたばかりの曾孫ヴィクトルⅡ世への情愛だったのではないかと言われている。だが彼自身が、春戦争以降セルゲイやヴィクトルⅡ世に関して特に何も感想を言うことはなかったため、事の真実は不明である。


 大陸暦637年10月30日になると、イヴァンⅦ世の病状は益々悪化したため政務の続行が困難となっていた。そのため彼は、セルゲイに皇帝の代理としての権限を与えるしかなくなり、セルゲイは翌10月31日に帝国宰相の地位を獲得した。


 だが以上の事があっても、イヴァンⅦ世の評価が変わったと言うわけもない。彼は東大陸帝国最大の敗者、内政を軽んじる暗君として歴史に名を残し、エミリア・シレジアを主役とする歴史小説において「絶対悪の敵役」としての地位を獲得したのである。


 彼を最も好意的に評価した言葉は、


「第60代皇帝セルゲイ・ロマノフの先帝」


 である。

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