あの日
それはエミリア師団がオルミュッツ要塞を陥落させたばかりの頃、大陸暦637年12月5日のことである。
その日、サラ・マリノフスカは要塞の監視塔を目指し歩いていた。
別にその場所に用があったわけではない。その場所に居るはずの、オストマルクからやってきたある女性士官と話をするためである。
何を話すのかと言えば、やはり他愛もないもの。外交官としてオストマルクへ赴任した友人が、当地でどのようなことをしたのか、どう活躍したのか、そしてどういう関係になったのかを根掘り葉掘り聞くためである。別に対抗心とかそういうものではない。とりあえず彼女の中ではそうなっていた。
だが、その監視塔には先客がいた。エミリア師団作戦参謀、彼女と同期の士官であるユゼフ・ワレサだった。
彼女は声を掛けようか、それとも見なかったことにしてその場を去ろうか判断に迷い、そして下した決断は「2人がどんな会話をしているのだろうか」という意地の悪いもの。
でもそれは、彼女にとっては誤った決断であろう。
会話の中で、ユゼフはこう言ったのだ。
「まぁ、そういうところは好きですけどね」
と。
無論それは、彼の脇に立つフィーネ・フォン・リンツに向けられた言葉である。
「……」
その後、2人は無言であった。当然サラも無言だった。だが、フィーネとユゼフの無言と、サラの無言ではその種類が違っていたのである。
その違いを、具体的にどう違うのかを見出すことを、サラはその時はできなかった。
「……サラさん」
不意に、そう呼ばれた。
サラが声のする方を見れば、それは彼女の親友であるエミリアだった。
「どうしたの、エミリア」
サラは監視塔に居るユゼフらに気付かれないよう、声量を出来る限り抑えて話しかけた。エミリアの方も、静かにサラに歩み寄る。
「お話をしましょう。少しだけ」
エミリアのその言葉に、サラは静かに頷いてそれに従った。ユゼフらに気付かれることなく、監視塔から離れる。
ある程度距離を取った後、エミリアは廊下を歩きながら、共に歩くサラに話しかけた。
その会話の内容は、サラも良く知っている話。
なぜエミリアが、士官学校に入ったのか。士官学校でどう生活し、何を得たのか。
初の実戦であるラスキノ戦争で、何を見たのか。
王国総合作戦本部で、何を感じていたのか。
初めて立案した作戦で、帝国とどう戦ったのか。
そんなこと、サラは良く知っていた。
知ってはいたが、エミリアの言葉を遮ることなく楽しそうに話す親友の相手をしていた。
だが次第に、会話の内容が少しずつ変化していった。
「ユゼフさんは凄いです。私と同い年なのに、オストマルクでは大活躍だったらしいんですから」
「でもフィーネさんと仲良くしているのはちょっと戴けません。私としては、ユゼフさんを最初に貴族に叙するのは私でありたいのです」
「そうそう、フラニッツェでのユゼフさんの顔は良かったです。士官学校やラスキノで何度か見た事がある、頼りがいのある顔でした。マヤやラデックさんは『そうでもない』って言ってましたけどね」
徐々に、会話の内容はエミリアの話ではなくユゼフの話になっていた。
エミリアは、変わらず笑顔でサラに話しかけている。一方のサラと言えば、ユゼフの話題になった途端に不機嫌になっていた。いや、不機嫌であることに気付いたのである。
その不機嫌さの理由は、言うまでもない。
嫉妬しているのだ。
だからつい、言ってしまった。
「エミリアとユゼフが結婚したら、良い夫婦になるんじゃない?」
それはどうにも抽象的な言葉ではあったが、サラはその夫婦を容易に想像できた。
夫婦ともに博識であり、政戦両略に長けている。エミリアが王となれば、ユゼフはさしずめ宰相か軍務尚書あたりか。当たり前のように、そうなるのだと確信できる組み合わせでもあった。
だが、エミリアからの返答はサラにとっては意外なものであった。
「それはありえませんね」
エミリアは、先ほどとは打って変わって暗い顔となった。
「……王族と言うものは、平民にとっては確かに憧れの舞台でしょう。でも、実態はそうではありません。王族は特権を持っている代わりに、あらゆる行動に制限がかかります。私がこの要塞にいることでさえ、本来ではあり得ぬことなのです」
王族には制限がかかる。そしてその制限の代表が結婚なのだ、とエミリアは言う。
王族の伴侶となるのは、大抵の場合大貴族である。それは身分が確かに保証されているという安心感と、政治的な繋がりを得たいと言う王族・貴族両者の思惑からなる。場合によっては、他国の王族や貴族が伴侶となる。
そしてそこには、当事者の意思などは入り込む余地はない。
「それにユゼフさんは貴族社会があまり好きではないでしょう。もしも無理矢理私の伴侶とするようなことがあれば、彼は貴族社会の荒波に揉まれてしまいます。それは少し、嫌です」
だから、彼との結婚はあり得ない。彼女はそう突っぱねた。だがその言葉の裏にあるものを、サラは予想してしまった。
エミリアの表情と、その言葉の選び方を見て、予想してしまったのである。
「サラさんは、王族ではないですよね?」
「……そうね」
「なら、そういう自由はあるはずです。なのにどうしてサラさんは、自分で自分を縛るのでしょうか」
エミリアは、微笑みながらサラにその言葉を伝える。
その言葉の意味、その微笑みの意味を、サラは正確に予測できた。
だがその前に、彼女は確認しなければならなかった。
「ねぇ、エミリアって……その、ユゼフの事、どう思ってる?」
サラは、そう聞いた。
そしてエミリアも、単純明快な答えを出した。
「決まってるじゃないですか。私は――」
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「――? ――さーん? おーい、返事しろーい。目を開けたまま死んでるのかサラさーん?」
深く考え込んでいたサラを現実世界に引きずり戻したのは、彼女の目の前で手を振っているユゼフだった。彼は珍獣を見るような目で、サラを観察しているのが見て取れた。
とりあえずサラは「そんなわけないじゃないの! あとさん付け禁止!」と叱りつつ、彼に思い切りデコピンした。ユゼフはやや過剰な反応をすると、立ち直って用件を伝える。
「サラ、たぶん明後日くらいには公爵領につくと思う。公爵領についたらとりあえずは駐屯地に寄って、そこで下級兵たちを開放してそこで師団を解散させる。だからその後のエミリア殿下の護衛は少数で良いってミーゼル大佐に伝えてほしいんだ」
「わかったわ」
「ん、頼むよ」
ユゼフは用件を済ませると、やることがあるからとサラの下から立ち去ろうとした。だがその前に、サラはユゼフの腕を掴んだ。
「……どうした?」
「いや、あの……」
サラは慌てて腕を離したが、ユゼフの方は離れなかった。むしろ体調が悪いではと勘繰って心配そうに見つめている。その彼の仕草で、サラは余計に挙動不審となってしまう。
だから、彼女は意を決して彼に言葉をぶつけた。
「ねぇユゼフ。あんたって、私の事どう思ってるのよ」
「……はぁ!?」
質問を聞いたユゼフは、真っ赤になって両手をぶんぶん回していた。誰の目に見ても、それは慌てている人物の動作であった。
それを見たサラは可笑しくてたまらず、つい噴き出してしまった。
笑いだすサラを見たユゼフと言えば
「変な質問したと思えば、途端に笑い出すのか……」
とやや呆れていた。
「仕方ないじゃないの、ユゼフの動きがあまりにも変なんだもの!」
「それは、サラが変な質問するから……」
質問の内容を思い出した彼の顔は、またしても赤く染めあがっている。そんな彼の姿を見たサラは、あの日のエミリアの言葉を思い出した。
あの日のエミリアは、物怖じも何もしていない。年下なのに、こういうことに関してはまるでダメだ。だからあの日以降、サラはそのことでエミリアに相談したことがあった。そしてエミリアは、それを嫌がりもせず、相談に乗ってくれる。
そしてサラは、今言葉を紡いでいる。
あの日、要塞でエミリアが自分に対して言った言葉。それを自分なりの言葉で、彼に伝えようと。
「ねぇ、ユゼフ」
「……何?」
サラは、彼女が実行できる限りの笑顔で、その思いを伝えた。
「私、ユゼフのこと好きよ!」
これにて「大陸英雄戦記 共和国炎上編」は終了となります。
次章はこの内戦において暗躍していた東大陸帝国にスポットを当ててみたいと思います。よって少し時間軸が前後する予定です




