帰郷の途中
帰りたくない。なんでって、クラクフの総督府に戻ったら大量の予算請求書が俺を待ち受けているからだ。無論、俺の気持ちがどうであれ帰らないわけにもいかないのだが。
エミリア師団は勲章授与式から2日後の3月5日には首都ソコロフを発った。できるだけ人件費を抑えたいので強行軍で行くことにする。金は体力より尊いのだ。
そして3月7日。帰路の途中に寄ったヴラノフでフィーネさんと別れた。例の重要人物を帝国に持ち帰るためだ。
エミリア殿下らが一時的に俺から離れた時を見計らって、彼女が話しかけてきた。
「私は一度本国に戻ってお父様……いえ、情報大臣に報告せねばなりません。それが終わればまたクラクフの帝国領事館に戻りますので」
「そうですか、わかりました。初めての戦争と軍務と言うことあって疲れたでしょうから、ゆっくり帝都で休んできてくださいね」
フィーネさんは割とトラブルを持ってくる人だから、できるだけクラクフ到着を遅らせて欲しいという思いでそう言ったのだ……が、その思いは通じなかった。あるいは、通じてるかもしれないけど敢えて無視したのか。
「ありがとうございます。リンツ伯を説得して出来るだけ早く戻ってくるように致します」
そんな答えが返ってきた。彼女のことだ、どうせわかって言っているのだろう。
「あぁ、そう言えば言い忘れていたことが。ユゼフ少佐……いえ、ユゼフ卿と御呼びした方がいいですかね?」
ちょっと人を小馬鹿にするような笑顔で「ユゼフ卿」って言わないでくださいな。絶対自分でも「変な響だ」って思ってるでしょ!
「やめてください、なんかむずむずするので。なんですか?」
俺が問うと、彼女は途端に真面目な顔になった。情報を扱っているときの、仕事モードになっているときのフィーネさんの顔だ。
フィーネさんは声を絞って、そして顔を近づけて俺の耳元で用件を伝えた。あ、あのさ、情報漏洩を気にするのはいいんだけどさ、そこまで近づかなくてもよくない? ちょっと耳に息がかかってるんだけど。
「最近、東大陸帝国の皇太大甥セルゲイ・ロマノフ派閥周辺の動きが活発です。少佐も、シレジアに戻ったら注意してください。大公派が暗躍している可能性もあります」
やはりと言うか、エミリア殿下のいないシレジアのこの4ヶ月、何もないと考えるのは楽観的すぎる。とりあえずはイリアさんやヘンリクさん辺りから事情を聞いた方が良さそうだ。
「……情報ありがとうございます。何かあったらベルクソンを通じて伝えます」
「了解です」
その時、エミリア殿下やサラたちが戻ってきた。どうやらヴラノフ駐屯のカールスバート王国軍と何やら話いたようである。十中八九、例の情報網に関する事だろう。
フィーネさんはエミリア殿下を確認すると、やっと俺(の耳)から離れてくれた。危ない危ない。このまま息を掛けられたら変な性癖に目覚めてるところだったわ。
一方フィーネさんはと言うと、エミリア殿下の下に行き、仕事モードの顔のまま殿下に感謝の意を伝えていた。
「エミリア殿下。此度は我が国の作戦にご協力いただき、帝国政府に代わって御礼申し上げます。おかげで我が国は友好国と情報と、そして何より信頼できる方々と出会えました。本当にありがとうございます」
やや事務的な口調だったかもしれないが、言葉の端々に感情がこもっていた。内容も、恐らくは真実だろう。
礼を受け取ったエミリア殿下も、フィーネさんに返礼する。
「いえ、我が国も帝国に多大なる援助を戴き感謝に堪えません。帝国政府、そして皇帝陛下に『感謝します』と、そう伝えてください」
「はい。必ず」
その後、2人は固く握手をし、そして別れた。
フィーネさんは去り際に意味ありげな視線を俺に送ったが、もしかしてまだ婚約の話引き摺ってるのかしら……。
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3月9日。
オルミュッツ要塞陥落以降足を踏み入れていなかった、王権派の元拠点カルビナに到着した。強行軍とか言いつつ予定の行程より1日遅れているため、ちょっと焦ってます。こりゃクラクフに着くのは11日だな。
遅れるとわかっているのなら慌てて急ぐ必要もないかも。将兵をゆっくり休ませて、後は普通に歩くか。
そう思いながら撤退作戦の修正をしていた時、エミリア殿下が叫んだのである。その声には並々ならぬ決意が多分に含まれていた。
「決めました、やはりユゼフさんに爵位を与えます!」
……え、いらない。さすがに爵位はいらない。でも、殿下の暴走(?)は止まらないようで、その意見表明は長く続いた。
「カレル陛下が外国の英雄を讃えるのに、私が自国の英雄に対し何も与えないのでは面目が立ちません! カールスバートが『卿』の地位を与えたのであれば、私はユゼフさんに男爵位くらいはあたえねばなりませんよ!」
「いや、あの殿下、それは少し……」
どうしよう。面と向かって「いらない」とは言えないし、でも受け取ったら何かと面倒が起きそうだし。いや既に貴族社会の面倒事に俺は片足突っ込んでるけど。
そもそもエミリア殿下は、俺は貴族になるのは嫌だと言う意思をカレル陛下に伝えたんだよね? ならどうして卿の称号を俺は貰ったんだろう。そこら辺をエミリア殿下が強く言っておけばこうならなかったんじゃ……。
という疑問は、マヤさんの言葉で解決した。
「カレル陛下が『卿』の称号をユゼフくんに与えたのは私も驚いたよ。事前の打ち合わせじゃ『彼に貴族位を与える予定はない』と言っていたからね」
「そうなんですか」
ということは、どうやら陛下から賜ったこの「卿」の称号は突発的なものだったようで、エミリア殿下やマヤさんを驚かせたようである。
そしてカレル陛下の要らん配慮によって思わぬ事態が起きた。というのが、今回の内戦におけるシレジア側の論功行賞である。
武勲に値する相応の褒美を与えるのは、軍隊の基本。だから戦争で武勲を立てたら、まぁ基本的には報酬をあげなければならない。それが勲章だったり昇進だったり金一封だったりするのだが、問題は今回の内戦介入は軍務省の命令ではなく、エミリア殿下からの命令によって行われたものである。
軍務省は黙認、外務省は白紙委任。実質的にはどうあれ、名目的にはこれはエミリア殿下の私戦である。
ということはつまり、エミリア殿下は部下の武勲に対して何かしらの報酬を与えなければならない。昇進や栄転などの人事権の行使は軍務省にあるのでそれ以外、つまり王室が与える勲章か金一封か、あるいは貴族への叙爵・陞爵となる。
もしカレル陛下が気を回さなかったら、殿下は適当な勲章かボーナスか、あるいは休暇でお茶を濁すことはできただろう。でも、カレル陛下が俺に間違って貴族の称号を与えてしまったもんだから話がややこしくなった。
つまり「カールスバート王がシレジア軍の平参謀に貴族位を与えたのに、シレジアの王女は部下には何も与えないなんてケチだな!」という事態が起きる可能性があるのである。
これを回避する方法は簡単、カレル陛下が俺に与えたのと同じだけの報酬を殿下が渡せばいいのである。
「ユゼフさん、事態が一段落したら王都に行きますよ! お父様に掛け合ってすぐに叙爵の準備をしましょう!」
……いや、理屈はわかっていても「はいそうですかありがとうございます」とはならない。やめて、男爵位とかそんな実質的な地位はいらないです。でも、殿下はなんかノリノリである。
「殿下、お気持ちはありがたいのですが私は貴族には……」
「既になってるじゃないですか、ユゼフ卿!」
「いやあの、そんな風に呼ばないでください。なんか背中がむずむずします」
なんとかして叙爵は避けねばならないと思っていたが、エミリア殿下は引き下がらなかった。
「……ユゼフさんはカールスバートの偉大なおじ様から貴族位を貰うのは良くて、私みたいな女の子からの些細な贈り物は受け取らない方なんですね……」
「誤解を招く言い方やめてくれますか殿下!?」
それじゃ俺がおじさん趣味があるみたいじゃないか! 俺は若くて綺麗な女の子が大好きですよ、殿下みたいな!
途端、エミリア殿下は可笑しそうにクスクスと笑い出した。どうやら本気でそう思っているのではなく冗談だったようである。……冗談だよね?
「それはそれとして、王都に行くのは決定事項です。今回の内戦に関して中央政府には報告せねばなりませんし、それは書簡ではなく責任者が行くことになるのは当然ですから。ユゼフさんも、ついてきてくれますか?」
「……わかりました。お供します」
まぁ、王都に居るイリアさんとヘンリクさんから情報を受け取らなければならないし、丁度良いだろう。
「ついでに、お父様に会ってユゼフさんの叙爵についても話し合ってきます」
「……それはあの、ちょっと」
「安心してください。男爵位は恐らく無理ですが、騎士くらいなら大丈夫です」
いや私が大丈夫じゃないですから安心できる要素がないですから! とも言えず。
騎士か……。となると、サラとお揃いの階級となるわけか。
……ってあれ? そう言えばサラが静かだな。
どこかに消えたのか、と思ったけど割と近くに居た。ただ、彼女はらしくもなく借りてきた猫状態である。何か思い詰めたような表情をしているが……。




