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大陸英雄戦記  作者: 悪一
共和国炎上
231/496

最後の一投

 大陸暦638年2月20日。


 カールスバート共和国の首都ソコロフにある首都防衛司令部は陰鬱した空気が流れていた。その空気の理由は明快にして明瞭。それは2月18日、ソコロフから東北東に100kmの地点にある共和派の拠点チェルニロフが王権の手によって陥落、共和派は王権派に対して全面降伏したのである。


 そしてチェルニロフ陥落後も、王権派は手を緩めることなく、足を止めることなく、国粋派の拠点たるここソコロフに向け進撃を進めている。21日にもなれば、王権派の軍靴の音が首都外縁部に達するであろう。


 そして王権派が一歩一歩近づくのと比例して、ソコロフにおいては反政府暴動が頻発した。国粋派を打倒し、王権派を支持する暴動ではあったが、それは名目的な理由にすぎず、実質的な理由は単に「物資の欠乏」にあった。

 農村地帯は殆どが国粋派の勢力から離脱し、国粋派に対する農産物の供給を拒否した。リヴォニア、オストマルク、シレジアからの物資供給など受けられるはずもなく、ソコロフの備蓄物資は日に日に減っていた。そしてその数少ない備蓄物資でさえ、首都籠城のためとして軍隊が徴発したのである。故にソコロフの市民は飢え始め、それが暴動へと繋がった。


 王権派はまもなく首都に来る。そして首都では暴動が頻発する。首都駐屯の兵の士気も低い。


 内憂外患とはまさにこのことだが、暫定大統領エドヴァルト・ハーハはまだ勝ち筋を描いていた。


「リヴォニア貴族連合を味方につければ、まだなんとかなるかもしれない……」


 この期に及んでハーハは、リヴォニア貴族連合との同盟を模索していたのである。今からカールスバートを侵略せんとするリヴォニアが同盟を受け入れるかどうかは甚だ疑問であるが、彼にも言い分はある。

 名目的な支配権をリヴォニアに認め、実質的な自治権を国粋派が握る。さすれば、まだカールスバート軍事政権は守られるはずだ、とそう考えたのである。


 既に数を減らしていた国粋派将官らは、ハーハの考えに同調しなかった。だが彼らはハーハを裏切ろうなどとは考えなかった。今ハーハに従っている者は、カールスバート政変前からハーハを慕い、そして共に政変を実行した者達である。理性よりも感情の面から言って、彼らは簡単にはハーハを裏切れなかったのである。


 そんな彼らの理性と感情を揺さぶったのは、王権派の策謀の結果であった。その情報は、2月20日の16時40分、作戦会議の席上にてもたらされた。


「去る、2月19日。オストマルク帝国領ローアバッハにて、オストマルク帝国軍が軍事演習を実施した模様です!」


 副官からの報告を聞いたハーハは、その場で立ち上がりつつ机を大きく叩いた。そんなことはあり得ない、と言いたげな表情をして。


「なっ……!? そ、それは本当か!?」

「間違いありません。帝国軍務省の公式発表もあります。規模も相当大きく、数万人規模に達するとのことです……」

「なんとういうことだ……」


 ハーハは報告を聞いた後、ぐったりと椅子に腰かけたのである。


 軍事演習とは、それ単体では特に意味を持つことはない。規模の違いはあれど、どの国でも行っていることである。

 だが、場所が問題だった。今回の軍事演習が行われた場所はオストマルク帝国領ローアバッハという地方都市。そこは帝国の北西部のクーデンホーフ侯爵領にあり、カールスバート共和国、そしてリヴォニア貴族連合との国境地帯にほど近い都市である。


 ハーハは、そして彼の幕僚たちはその軍事演習がどういう意味を持つかを理解した。

 それはカールスバート国粋派に対する明らかな宣戦布告の意思、そして軍事介入をしようとするリヴォニア貴族連合への牽制である。


 これによってリヴォニア貴族連合の軍事介入の可能性は低くなる、あるいは延期されたのである。カールスバートのために、第二次リヴォニア=オストマルク戦争をしたいなどと考える首脳部はそう多くないはずであるから。

 また、この軍事演習が行われた場所であるローアバッハは、先述の通り帝国北西部に位置している。王権派と敵対行動を取りたいのであれば、ローアバッハではなくもっと東の地点で行うはずである。つまりこの軍事演習の目的が国粋派に対する示威行為であり、そして間接的に王権派を支持することになるのは自明の理だった。


 つまりこの瞬間、国粋派は完全に孤立無援となったのである。


 だが実際には、それははるか前に決定されていた。この時ハーハ以下国粋派の諸将は知らなかったが、オストマルクは内戦勃発当初から間接的に王権派を支援していた。こうなることは、ある意味においては運命だったのである。

 そういう運命を手繰り寄せたのが、エミリア師団作戦参謀ユゼフ・ワレサと、彼の策謀に賛同し協力したオストマルク帝国情報省第一部所属のフィーネ・フォン・リンツなのである。


 ここまで来れば、さすがにハーハの幕僚たちも感情を捨てざるを得なかった。


「閣下、最早我々はここまでです。せめて一刻も早くこの内戦を終わらせ、愛する国民の命を守ることに致しましょう」

「閣下、御決断を!」


 幕僚たちの説得の前に、ハーハは暫し無言だった。彼は手を組み、祈るような格好で前屈みになった。

 不安に思った幕僚の一人がもう一度話しかけようとした時、彼はようやく口を開いた。ただしその時のハーハの声は、彼の人となりから考えるととても小さなものであったかもしれない。


「……考える時間が欲しい。全員、部屋から出てくれ」


 その生気のないハーハの声を聞いた幕僚たちは自分たちの耳を疑った。まさかハーハから、こんな弱気な台詞を聞くことがあるのかと。

 彼らは莫大な不安を抱えつつも、上官であるハーハの命令に従い作戦会議室から出た。副官は残ろうとしたが、ハーハが再び命令したため黙って外に出た。


 会議室の外で待機していた幕僚たちは、小声で話し合っていた。


「閣下はどうなさるおつもりだろうか……」

「彼我の戦力差は巨大、しかも我が物資と軍の兵の士気は底をついている。このような状況で抵抗をしても無意味に終わるのは、閣下もおわかりのはずだ」

「だが、閣下はもしかしたら『名誉ある戦死』を望むかもしれん……」


 エドヴァルト・ハーハは戦術家であり、戦略家であった。彼は大将の階級章を身につけ、軍部の長たる作戦本部長の地位を持っていた。それだけに、今の苦しい国粋派の状況を理解できぬはずもなかった。

 だが、やはり彼は武人でもある。「降伏するくらいであれば名誉ある戦死を」と言わない確証はどこにもない。一度決めた信念をおいそれと曲げることが出来る人間が独裁者となることは不可能なのだから。


 そんな不安が、彼らにはあったのである。


 そして幕僚たちが、次第にハーハの暗殺という手段に出るべきかと考えたのは無理からぬことである。防衛司令部の窓から見える群衆の波が、彼らにその決断を促した。


 彼らは意を決して、武器を携えてハーハがいるはずの作戦会議室の扉を豪快にぶち開けた。長く彼の下で戦っていた幕僚たちが、ハーハを暗殺すると心に決めて、感情を押し殺し勢いに任せたのである。


 大陸暦638年2月20日16時55分。


 ヴォイチェフ・クリーゲル大統領の暗殺から始まったカールスバート軍事政権は、エドヴァルト・ハーハ暫定大統領の暗殺でもって、その短い歴史に幕を閉じたのである。

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