スヴィナー会戦 ‐崩壊‐
2月16日13時30分。膠着していたかに見えた戦線に変化が訪れた。
「閣下、敵が攻勢に出ます!」
国粋派・共和派連合軍参謀長ドゥシェク中将が叫んだ。だが、その声を聞いたハーハはややイラついた。
「そんなことはわかっている。一々報告せんで良い」
ハーハは、前日の王権派の斜線陣を完全に見抜けなかった参謀長に怒りを覚えていたのである。しかし敵の作戦に気付かなかったと言う点ではハーハもそれは同じだったため、公然とドゥシェクを責めることができず、故に向けるべき方向を見失っていた怒りを苛立ちに代えてあらゆるものに当たっていたのである。
そのハーハの苛立ちを真に受けたドゥシェクだったが、彼は動じなかった。これは一過性のもので、戦術的成功を収めればすぐにそれが消えると考えたからである。故に彼は、自らの責務を果たす。
「敵左翼が、我が右翼に対して攻勢に出ています。如何致しましょうか」
「……」
もしハーハが、昨日までの冷静な判断力を持ち合わせていたのならば、ここで参謀長に意見を聞いて指示をしていただろう。だが今の彼にはそれが出来ず、命令はいつまでたっても下されなかった。
一方、前線で王権派の熾烈な攻勢を真に受けていた連合軍右翼3個師団は混乱していた。この部隊を指揮するのは、ハルヴァートが健在の頃に右翼のある師団の司令官を勤めていたリーズナルである。彼は、ハルヴァート重傷の際、ハーハの命令によって一時的に中将に昇進した。つまり彼は元々少将で、この激戦の中野戦任官を受けたのである。当然彼の才覚は少将止まりであり、中将として3個師団も指揮する能力を持っていない。そのため、彼は総司令部からの命令をひたすらに待った。
だが、その肝心の総司令官ハーハの命令が来なかった。後退して敵の攻勢を受け流すべきなのか、現地点を死守してその隙に中央が敵左翼の側面に出るのかが判断できなかったのである。
どちらにしても中央の指令と支援が必要な行動であったが、ハーハ自身が猜疑心によって自らの行動を縛ってしまったために部隊が柔軟に動くことができなかったのである。
結局、リーズナル中将は独断で後退することにした。なんらかの事態が起き、ハーハが命令できない状態に置かれたのではないかという判断から、損害の少ない後退命令を出したのである。
その判断は間違いではなかったが、問題は3個師団の戦列を維持しつつ損害を少なく後退させるという難易度の高い技を行わなくてはいけないことだった。
そしてリーズナルは、そんなことはできなかった。何の変哲もない攻勢を受けて、無様にも戦列を乱して後退する様は、敵である王権派が「ここまで乱れているとなると何かの罠ではないか」と勘繰ってしまったほどである。当然罠などではなく、リーズナル中将率いる右翼3個師団は1割強の損害を出してしまったのである。
独断で後退を決めたばかりか、戦列を乱して後退するというその無様な光景を目にしたハーハが怒りを覚えたのは当然である。だが彼はその怒りをぶちまける前に、やるべきことをしなければならなかった。
右翼が独断で後退した影響で、ハーハが直接指揮する中央3個師団の右側ががら空きとなりつつあった。このままでは右翼から王権派に攻撃され分断される可能性がある。
ハーハは怒りを抑えて旗下の部隊に後退を命じると共に、左翼のペトルジェルカ中将に向け撤退の伝令を出した。
13時50分の時点で、連合軍中央は右翼のいる地点まで後退を開始した。だが、この時なぜか左翼は中央に連動しなかった。
ハーハが中央と左翼の後退命令を出したとほぼ同じ時、王権派が左翼に対して攻勢を仕掛けたのである。
「閣下、敵右翼部隊が急進してきます!」
「慌てるな。我が左翼と敵右翼はほぼ同数、中央本隊と呼吸を合わせてゆっくり後退すれば問題ない」
ペトルジェルカは部下の慌てぶりとは正反対に、冷静さを以って部隊を機動させた。だがその2分後、部下から届いた2つ目の情報に、彼はその冷静さを一時的に失ってしまったのである。
「左翼後方より敵部隊! 数およそ1000!」
「何!? どうやって、いつの間に……!」
ペトルジェルカ軍団の左側背を襲ったのは、かつてフラニッツェ会戦で捕虜となって王権派に寝返ったトレイバル准将指揮する部隊であった。
彼の部隊は、王権派左翼の攻勢によって連合軍の耳目がその方面に向けられた事に便乗し、部隊を迂回させたのである。ペトルジェルカが索敵を怠っていた訳ではない。だが、この広い戦場において全ての戦域を監視できるだけの哨戒網を完全に構築するに至っておらず、その網の目には小さいながらも穴があった。
本来であればそれは問題にはならない範囲であったが、トレイバル准将にかかればそれは大きな穴だったのである。彼は歩哨の目が粗い地点を線で結び、それに沿って部隊を迅速にかつ慎重に機動させることによってペトルジェルカの目を掻い潜ることに成功したのである。
だが無論、そのような奇襲攻撃をするには兵力は少なくなる。故にたった1000の部隊であったのだが、ユゼフが咄嗟に立案した作戦では問題とはならなかった。
ペトルジェルカは、後退しつつ後方のトレイバル准将の1000名の歩兵部隊を撃砕することを命じた。軍団を回頭するのではなく、後方に兵を集めて防御を厚くすると言う方法が取られた。これは前日の斜線陣と同じ目に遭わないための措置だった。
だがペトルジェルカがその部隊配置を終えさせ後退を実行するまでの間、左翼2個師団と後退を続けていた中央3個師団との間にはかなりの距離が出来てしまったのである。
さらにこの時、王権派右翼はペトルジェルカ軍団の左正面へと回り込み、半包囲を試みるような三日月形の陣形を展開したのである。
つまりトレイバル准将がペトルジェルカ軍団の左側背を襲ったのは、ペトルジェルカ軍団の後方を扼すためではなく、真の目的は王権派右翼が陣形を変更し部隊を展開させるための時間稼ぎだったのである。
「たった1000人で2万人の部隊の後方を遮断できるわけないじゃん」
と、作戦を立案した当の本人はトレイバルに対してそうぬけぬけと言ったそうである。
彼の言動はともかく、これでこの作戦における根幹の舞台は整った。
14時10分。
王権派右翼2個師団とトレイバル准将の部隊は、連合軍左翼に対して攻勢に出た。
後方と前方左翼からの攻勢を受けたペトルジェルカ軍団は、その猛烈な攻勢を受け止めることができなかった。中央部隊と離れてしまったために、友軍の支援を得ることができないでいた。
「陣形を整えつつ右翼方向へ移動せよ!」
耐えかねたペトルジェルカは、後退した中央部隊が先ほどまでいた場所に軍団を移動させた……いや、正確に言えば「移動させられた」のである。王権派が狙っていたのは、まさにこの瞬間だったのだから。
連合軍右翼と中央は大きく後退し、その後退によって生じた狭い空間に連合軍左翼部隊を押し込むような形で部隊を展開・機動させたのである。
これによって、連合軍左翼2個師団は正面に王権派中央3個、左側面に王権派右翼2個師団を相手することになってしまったのである。
この事態に至った時、ハーハは全ての状況を理解した。このままでは左翼2個師団を失う羽目になる。それが共和派と言えど、今の国粋派にとっては貴重な戦力である。
ハーハはすぐに旗下の部隊に命令を出した。ペトルジェルカ軍団の左側面を襲う王権派右翼の後方に躍り出て半包囲態勢を崩すのだ、と。
だが連合軍がそのようなことをする時間的な余裕を、王権派が与えるはずもなかった。
王権派司令官カレル・ツー・リヒノフが吠えた。
「全軍突撃せよ!」
14時30分。王権派中央と右翼、合計5個師団が連合軍ペトルジェルカ軍団2個師団に対して総攻撃を実施したのである。彼我の戦力差は5:2であり、加えてペトルジェルカ軍団は半包囲下にあることもあってその総攻撃を耐えることができるはずもなかった。
さらに、ユゼフさえも予想だにしなかったことも起きていた。それはペトルジェルカ軍団が、位置的に国粋派の前に立ち国粋派を守るような態勢になっていたことによる弊害が起きていたのである。それはつまりば、共和派が国粋派の肉盾となる格好になっていたのということだった。そのような状況下で、まともに戦おうという意思を持つ者は共和派たるペトルジェルカ軍団には存在しなかった。
よって戦闘と呼べるものは10分で終わり、ペトルジェルカ軍団は全面崩壊に至る。この時の軍団の損耗率は不明だが、戦闘時間から計算してもまだ僅少だったことは確実である。だが、統制と士気が完全に崩壊してしまい、共和派の将兵たちは戦列も陣形もなく散り散りになって逃げだしたのである。
その無秩序な逃亡は、後背に控えていた連合軍中央及び右翼の国粋派の軍団に襲い掛かった。崩壊する戦線を維持しようにも、あるいは支援をしようにも、逃亡する共和派将兵に阻まれて実行することができなかったのである。
「クソッ!! 魔術兵隊、弓兵隊は、逃亡を図る修正主義者の連中ごと反動主義者の軍勢を攻撃せよ!!」
ハーハは怒りを顕わにして、部下にそう命じた。だがその命令を聞く者はいなかった。共和派と言えど先ほどまで味方として戦った者、さらに元を正せば同じカールスバート国民である。それを攻撃することなど、国粋派の将兵たちはできなかった。そこにハーハに対する不信感が合わさり、国粋派内部においても士気が崩壊し始めたのである。
そのため国粋派は、決壊したダムのように押し寄せてくる逃亡兵と王権派の軍勢に狼狽していた。
このような予想外な結果を見たユゼフは、唖然としながら頭を掻いていた。
「……どうしてこうなった」
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、という言葉はまさにこのことであっただろう。
「どうするのよ、これ」
ユゼフの隣で彼と同じく呆然として戦況を見やっていたサラが、誰に向ける訳でもなくそんなことを呟いた。
それに答えたのは、エミリアの脇に立つマヤだった。
「どうもこうもない。このまま突撃して、追撃戦に移行する。この会戦の主目的は国粋派と共和派の戦力を撃滅させて、講和を有利に持ち込むことにある。ここで慈悲の心を見せては意味がない」
「マヤの言う通りです。ですが慈悲の心は必要ですよ」
エミリアはそう言って微笑みつつ、覗いていた単眼鏡を下した。
「敵を殺傷するのではなく、出来れば降伏を促しましょう。これは内戦ですし、王権派の方々にとっては同じ国民であるはずですから。それにあまりにも多く殺傷してしまえば、後日に遺恨を残すことになります」
エミリアのその判断は軍事的なものではなく政治的なものであった。それは今の状況では軍事的な勝ちが揺るぎなく、政治的判断をするだけの余裕が生まれた事の証左であっただろう。
エミリアの判断に、ユゼフ以下司令部の皆が納得した。マヤの指示によってそのエミリアの意向が伝令兵を経由してカレルに伝えられると、カレルもそれを了承して無用な殺生は避け、捕虜とすべしと訓示した。
またそれと同時にエミリアは馬に跨り、そして衝撃的な発言をしたのである。
「では、陣頭指揮を取ります。後方の指揮はユゼフさんに任せ……」
「ちょ、ちょっとエミリア!?」
サラは慌ててエミリアを止めようとしたが、彼女はそれに従わなかった。
「サラさんが近衛騎兵として、私を守ってくれれば問題ありませんよ」
「で、でも万が一何かがあったら……」
「あら、サラさんは自信がないんですか? であれば、私はやめますが……」
シュンとするエミリアの顔を見たサラは、慌てて言い繕った。
「そんなわけないじゃない! 相手が何万人だろうと、守ってやるわよ!!」
「ちょっと!?」
今度はユゼフが慌てる番であった。エミリアを止めるべきサラが、逆にエミリアの挑発に乗せられてしまったのであるから。
ユゼフは2人を止めようとしたがそれは無駄に終わってしまった。サラは急いで馬に跨ると、部下に命令して第3騎兵連隊第3大隊を集めて命令したのである。
「みんな、近衛騎兵の名に恥じぬよう、エミリア殿下を死んでもお守りするのよ!」
「「「応!!」」」
ここまで場が盛り上がってしまっては、最早ユゼフは止めることができなかった。そして彼の視界の端には、エミリアやサラと同様に馬に跨るマヤの姿があり、彼は盛大に溜め息を吐いたという。
「ではユゼフさん。後は頼みますね」
「……はい」
ユゼフのその力ない返事を聞いたエミリアは満足し、そして彼女は力強く手綱を握り、馬の腹を蹴りつつ叫んだのである。
「総員突撃! 我に続け!」
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エミリア殿下率いる騎兵大隊が、崩壊する連合軍を追撃すべく突撃していった。
王女が陣頭指揮なんてどうかしてると思うが、でもエミリア殿下はいつまでも後方に下がって指示をするだけの存在になりたくはないと願っていた。だから最後くらい……ということなのだろう。
まぁ、追撃戦における部下の武勲を横取りするつもりなのかと後ろ指を差される可能性はあるのだが……別にいいや。
敵陣に突撃するエミリア殿下の姿があまりにも綺麗で、危うく惚れそうになるところだった。王女と農民なんて、どう考えても不相応だしね。
「で、ユゼフはどうするんだ?」
いつの間にか俺の隣に立っていたラデックが、そう聞いてきた。ラデックも、なんか本気で「どうするんだこれ」みたいな顔してる。
「ま、エミリア殿下の命令に従うよ」
「そうか。じゃ、なるべく物資その他は効率的に使ってくれ」
「保障はしかねる」
俺がそう言うと、ラデックは盛大な溜め息を吐きながら輜重兵隊の方へ駆けて行った。うん、なんだかんだ言って物資を調達してくるラデックにはいつもいつも感謝してるよ。
……さて、と。エミリア師団にはまだ突撃していない部隊が1個旅団程度いる。俺はそれを任されたのだ。任されたからにはちゃんとやらないとな。
「陣形を整え最後尾を固める! エミリア殿下の背中をお守りしろ!」
「ハッ!」
日間総合ランキング40位にランクインしました!(何があった……)
皆さん本当にありがとうございます!
 




