スヴィナー会戦 ‐前哨戦‐
前話、224話『18万人の祭』において説明不足があったため加筆修正を行いました。
ご指摘してくださった方々、本当にありがとうございます。
数において劣る王権派は、師団の弱点となる側面、もしくは後背から攻撃して半包囲攻撃を試みることが会戦前の作戦会議によって決定されていた。
マサリク大将やエミリア王女はその為の準備として部隊の編成や配置を行ったのだが、これらの努力は会戦のごく初期の状態で水泡に帰した。
というのは、連合軍司令官であるハーハ大将が「王権派が包囲戦を試みるのではないか」という推測を立て、戦場にありったけの歩哨を展開させたからである。
これは、昨年のシレジア王国と東大陸帝国の間で起きた「春戦争」の緒戦、ザレシエ会戦の教訓がある。この会戦では、東大陸帝国軍総司令官ロコソフスキ元帥率いる10個師団が、シレジア王国軍総司令官キシール元帥指揮の8個師団の偽装退却によって前衛部隊が誘い出され、短時間の内に各個撃破・包囲殲滅を受けた。
もし王権派が数の不利を覆そうと考えるのであれば、伏兵を使って王権派にとって有利な地点に連合軍を誘い出すのではないか。彼はそう判断し、伏兵を探すべく、あるいは敵の作戦展開を封じ込めるために大量の歩哨を放ったのである。
ハーハのその判断は正しく、連合軍が大量の歩哨を放ったことを確認した王権派は半包囲戦の試みを捨てざるを得なかった。
さらにハーハは、王権派が次なる作戦を立案・実行する前に先手を打ったのである。
2月14日14時10分。
連合軍はこれまで数的優勢を利用した持久策を取ったが、ハーハは一転、速攻戦に移った。
「第7、第9騎兵連隊に伝達。右方向から敵左翼に突撃し、一気に陣形を崩せ」
ハーハの意を受けた騎兵隊合わせて5000が、突撃を敢行。王権派左翼に向け馬の腹を蹴った。
王権派にとって不運なことは、左翼を担っていたのがレレク少将の師団であったことである。レレク師団は、フラニッツェ会戦とオルミュッツ要塞攻略戦において獲得した捕虜で構成される師団、その特異な編成ゆえ、レレク少将は部下からの忠誠を完全に掌握していなかった。その結果レレク師団は有機的・合理的な部隊運動を行うことができず、連合軍の唐突な突撃を前に狼狽し、一時は陣形を乱して後退した。
このまま連合軍の追撃が続けば、王権派左翼は一気に瓦解していただろう。
だがそれを食い止めたのは、マサリク大将だった。
「レレク少将は死んでも現地点を死守し、敵騎兵隊を迎え撃て! その間に我が騎兵連隊で以って突撃してくる敵の側面を叩く!」
このマサリクの怒号にも似た命令は、伝令兵によって若干言葉が柔らかくなりつつも即時レレク少将の下に伝わった。これを聞いたレレク少将は
「あのクソおやじ! 順番から言えば、あいつの方が先に死ぬんだ! ここで死んでたまるか!」
と叫んだ。その叫びがあまりにも滑稽なものだったため、戦場だと言うのに部下の笑いを誘った。それが起因となったのか、あるいはレレクの必死の指揮によるものなのかは定かではないが、レレク師団は一時の混乱から脱することに成功し、かつ敵騎兵隊の突撃を跳ね返すことに成功した。
王権派が陣形を即座に再編したことを知ったハーハは、騎兵隊に連絡し攻勢を中止させ、傷口が広がる前に後退した。ハーハは、可能であれば突出してきたマサリクの騎兵隊を討とうと考えたが、マサリクの方も深追いを避けたため、部隊に後退を伝達した。
連合軍の攻勢に耐え、双方ともに敵と距離を取って陣形を再編させた。それ以降数時間に亘ってごく平凡な戦闘が続き、戦線はやや膠着状態となった。
一方、エミリア王女率いる1個師団は後方に下がって待機をしていた。当初予定では、エミリア師団が敵本隊の側背に回り込んで挟撃する予定だったのだが、ハーハの哨戒網を前に作戦が頓挫して以降、戦列に参加する機会を失ってしまったのである。
ちなみに、この状況下を一番喜んでいたのは補給参謀ラスドワフ・ノヴァク大尉である。部隊が動かなければ、当然物資の消耗は少ない。そうすると彼の仕事は軽減され、楽ができる。
このまま王権派連中だけで勝ってはくれまいか、と彼は思っていたが、同時にそれが不可能であることも理解していた。そのため、彼はこれから起きるであろう戦闘に少し鬱になっていた。
「まぁ、予備戦力と言う奴だな」
と、呑気に言ったのはユゼフだった。
彼の性格を考慮すれば、その呑気さはいつもの事ではある。だが、それを聞いた彼の友人らは何とも形容しがたい顔をしていた。事実なので反論はできなかったのだが。
その友人たちの中で、ユゼフの言葉に最初に応答したのは第3騎兵連隊所属のサラ・マリノフスカ少佐だった。
「『予備戦力』っていうのは嫌だわ」
「なんで?」
「だって『予備』よ? 否定的な意味はないってわかってても、なんか響きが二軍みたいで嫌なのよ」
ここで言う「予備戦力」と言うのは「決戦兵力」あるいは「即応部隊」と言い換えても良い。
敵が瓦解仕掛けている時、それ崩壊という言葉に変えるのが「決戦兵力」。そして敵が何かをしようと蠢動しているとき、その動きに応じて部隊を動かすのが「即応部隊」である。
どちらも戦術的判断力と打撃力を必要とする任務であるため、生半可な練度の部隊ではその任務に耐えうることはできない。故に多くの国ではこの「予備戦力」は精鋭である場合が多い。
そしてそれを任される部隊が、王権派の中でも練度と戦果が飛び抜けているエミリア・シレジア王女率いるシレジア王国軍エミリア師団であった。
だがそれがわかってるとは言っても、闘志をその目に煮え滾らせているサラと、エミリアの副官たるマヤ・クラクフスカは我慢できずにいた。
その都度、エミリアはそんな彼女たちを宥める。
「英雄叙事詩的な物語では、主役は最後に登場するものです。我々はそれに倣いましょう」
そう言って、エミリアはじっと出番が来るのを我慢していた。
しかし、終始何もしていなかったというわけではない。
エミリアは、戦況が王権派にとって不利になったのではないか、と感じた時に旗下の部隊を動かした。その動きはまるで連合軍の側面や後背を突こうとしているように見え、実際連合軍司令官ハーハの目にはそう見えていた。
そのためハーハはエミリア師団に気を取られて全面攻勢に移ることができず、エミリア師団に即応できるよう部隊を残しておかなければならなかった。つまりエミリア率いる1個師団が、連合軍全体を翻弄させることに成功したのである。
このようことに代表されるように、スヴィナー会戦の初日は、戦線が膠着したまま夜を迎えた。
だが王権派にとってはいつまでもそれをするわけにはいかない。王権派は数的劣勢にあるため、双方の部隊が互いに消耗しつくしても国粋派はその勢力圏下の数個師団が残る。王権派にはそれがない。
そんな状況を防ぐためには、王権派は打開策を講じなければならなかった。
その日の夜、21時30分。夜襲を警戒しつつも開かれた、王権派高級士官による作戦会議の席において、エミリア師団作戦参謀ユゼフ・ワレサ少佐提案の作戦が承認された。
その作戦のために、翌2月15日の夜明け前から事前準備を行い、そして夜明けとともに実行に移された。
 




