凋落の国家
ヴラノフを占領し、オストマルク帝国との補給線が確立された王権派はさらに勢いづいている。
また王権派の占領した共和国東部では統治が行き届いており、内部から崩壊するようなことは起きておらず、シレジアやオストマルクとの交易も相まって王権派勢力圏内の共和国民は自由を謳歌している。
そしてその影響は、凋落の一途を辿っている国粋派勢力圏内にまで及んでいた。
国粋派勢力圏内の共和国民たちは、その多くは国粋派に進んで協力しているというわけではない。刃向ったら弾圧される、このまま国粋派優位のまま内戦が終われば平穏な暮らしが戻ってくる。それを信じてただひたすらに耐えてきただけである。
だが国粋派が劣勢となり、さらには生活水準においても王権派に劣るとなると話は別である。王権派に協力すれば富と自由が保障されるというのであれば、もはや彼らに国粋派に味方する意味は存在しない。そして王権派勢力圏内に住む国民が如何に裕福な暮らしをしているのかを、王権派がその独自の情報網を通じて声高く宣伝するのだから余計性質が悪かった。
無論、そのような性質の悪いことを考えそうな人間というのは少なく、そしてそれを敵中で吹きまわす者の存在もまた限られている。
閑話休題。
国粋派勢力圏内の各地域や農村において国粋派に対する非協力的な態度が如実に現れるようになり、さらには民衆暴動が発生して警備隊と衝突する事件が度々発生していた。
そして王権派や共和派を倒し、暴動を鎮圧する任を担っているはずの軍にも離反者が数多く出たのである。
特に1月16日に発生したランシュクロウン事件がその顕著な例と言えよう。
それは1月13日、シュンペルクから西南西に1日の距離にあるランシュクロウンという町において民衆蜂起が発生した事に端を発する。王権派はこの蜂起を支援する目的でレレク少将率いる1個師団を派遣するが、国粋派はこれに対抗してシェンク中将率いる2個師団を派遣したのである。
本来であれば勝負にすらならないほどの戦力差なのだが、国粋派シェンク軍団にとって想定外の事態が起きたのである。
それはシェンク軍団がランシュクロウン郊外に差し掛かった1月15日に、軍団の後方にあったフラーデクという地方都市で王権派を支持する暴動が発生したのである。このためシェンク軍団は敵中に孤立することになり、補給を受けられないまま王権派と対峙する羽目になった。
さらに不運なことに、その国粋派の軍団の中で裏切りや降伏が相次いだ。そして軍団司令官たるシェンク中将ですら王権派に降伏してしまい、軍団はもはや軍団と言えるものではなくなってしまったのである。
結果、国粋派はランシュクロウンにて数的有利にあったにも関わらず王権派に降伏し、そればかりか王権派に合流して彼らの勢力を伸張する結果を産んでしまったのである。
シェンク軍団がランシュクロウンに到達するときを見計らったかのように起きたフラーデクの暴動。そしてシェンク軍団の兵士や軍団司令官の降伏、これらの事象が全て王権派の謀略の結果だったのではないかと噂されたのだが、事の真相が明かされたのはだいぶ後のことであった。
このランシュクロウン事件に代表されるような類似事件は、共和国東部戦線において多発したのである。規模の大小を問わなければ、少なくとも10回は確認されている。
また国粋派は相次ぐ敗戦により兵力が不足しつつあった。そのため治安維持能力にも問題を来たしており、反乱分子を十分に抑圧できるだけの能力を維持することが出来なくなりつつあったのである。
その結果、国粋派の総本山たる首都ソコロフでは、王権派を支持する地下組織が1月末時点で60以上も存在していたと言われている。
また、共和派勢力圏内においても同様の問題が起きていた。
共和派が、王権派や国粋派に勝っている点と言えば「全国民に政治的権利が保障されている」というただそれだけである。そう言った政治的権利は、まず第一に全国民がある程度裕福でないと成立しえないのはどこの世界でも共通の事である。
飢えた国民が求めるのは食糧であり、戦争に怯える国民が求めるのは安定した社会である。その事実の前には、多少の政治的権利は放棄するのである。
事実、共和派の中でも王権派に妥協ないし鞍替えする者が多くいた。共和派自体が国粋派との長い闘争によって人員を失い、ついには王権派にも劣る国内最弱勢力にまで転落したことも原因である。
ともかく共和派の勢力は今や問題外となっていた。
このように国粋派と共和派の劣勢は誰の目にも明らかであり、不可能と言われた王政復古の兆しが見え始めたのである。
だがそのような状況に至ると、その状況を利用しようとする勢力が現れる。
その情報がオストマルクを経由してユゼフの耳に届いたのは、1月28日のことであった。
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1月28日15時20分。
オストマルク帝国外務省とフィーネさんを通じて送られてきた情報を、俺はエミリア殿下とマヤさんに報告した。
その情報は、とても厄介な問題を孕んでいた。俺の報告を聞いたエミリア殿下らも困惑の表情を浮かべている。この情報の意味を、十分に理解しているのだろう。
「リヴォニア貴族連合が、内戦に介入してくるのですか?」
「……まだ確定ではありません、がその危険性があります」
オストマルクから寄せられた情報、それは「リヴォニア貴族連合が、軍隊をカールスバートとの国境線に集結させつつある」というものだった。
これがどういう意味を持つかは、2つ考えられる。
1つは、内戦が続く隣国からの亡命者や不法入国者を牽制する目的で派遣している。そしてもう1つは殿下の言っていた通り、内戦への介入の可能性だ。
しかしマヤさんは、前者の意見をすぐに捨てた。
「現状では介入と見た方が良いだろう。この時期に内戦に対する予防策を講じるのは遅すぎる」
マヤさんの言葉に対してエミリア殿下が頷き、そして発言を引き継いだ。
「問題は介入がいつになるのか、そしてどのような形で介入するか、ですね」
「えぇ。もしも彼らが国粋派を支援すると言い出したら、この内戦は泥沼化します」
沈鬱な面持ちで、マヤさんは言う。彼女の言う通り、もしリヴォニアが国粋派を支援すれば国力の差から言って王権派の負けは確定だ。オストマルクが本格的な軍事介入が出来ない以上、シレジアは傷口を広げる前に撤退しなければならないだろう。
だが、俺はそれを否定した。
「リヴォニアは、恐らく国粋派を支援しません」
「……なぜです?」
「国粋派の中枢に潜らせておいた諜報員からの情報ですが、ハーハ大将はリヴォニアの軍の動員にかなり動揺しているようなのです」
この情報は、リーバル中将からもたらされたものだ。そしてその情報の信憑性は、随行させている王権派士官によって保障されている。
「……となると、リヴォニアの狙いはいったい?」
エミリア殿下は深く俯き、考え込んでしまった。でもそれに対する、俺の考えは結構単純な物だ。リヴォニアが介入しないとなれば、残る選択肢は1つ。
「リヴォニアは、カールスバートに侵攻するかもしれません」
「侵攻、ですか?」
「はい。そうすれば泥沼化せずに済みますから、リヴォニアの被害が小さくなり、かつ得られる利益も莫大になります」
この情勢下でリヴォニアがカールスバート国粋派に宣戦したらどうなるか。簡単だ。国粋派は共和国東部で王権派と対峙しており、その背後を突かれることになる。負けは確定、最悪の場合、大して反撃できないまま滅亡する可能性がある。
そしてリヴォニアは、カールスバートの中でも人口も多く経済的にも裕福な首都ソコロフや、国防上重要な拠点であるズデーテン要塞など、共和国西部地帯をほとんど無血で手に入れることができる。つまり一番美味しいところを土壇場で全部掻っ攫うのだ。まさに外道。
この場合、王権派が手にしている共和国東部は残る。でも人口も経済も希薄な東部だけを獲得しても、王権派にとっても俺らにとっても戦った意味はないし、大国にして旧敵国たるリヴォニア貴族連合との国境線が長くなるのは国防上看過できない。
「いずれにしても、リヴォニアの介入は防がねばなりません。もし彼の国が介入した段階で、我々の敗北は確定です」
そしてもし敗北してエミリア師団がシレジアに戻ったら、俺らは敗残兵の烙印を押される可能性がある。エミリア殿下の私戦という意味合いが強いこの介入、負けは回避したい。
となるとやはり早急に内戦に決着を付けなくてはならない、ということだ。
「しかし早く決着をつけると言っても国粋派との戦力差は依然まだあるのだ。容易に終わらせることなど……」
「えぇ、マヤさんの言う通りだと思います。ですから軍事的決着に固執せず、交渉で決着させる。これしかありません」
国粋派は衰えたりとは言え、数だけでは王権派よりも多い。軍事的な決着に拘っていたら、リヴォニアに纏めて殺される可能性もある。
だから交渉しかない。だがその前程として問題となる点があった。それを指摘したのはエミリア殿下だ。
「交渉……ですか。しかし、彼らが交渉に応じるでしょうか。よしんば応じたとしても、こちらが交渉で優位に立てるという保障もありませんし……」
「殿下の仰ることは正しいと私は思います。軍事力で拮抗している以上、彼らから譲歩を引き出すのは難しいでしょう」
軍事力で拮抗していると譲歩させるのは難しい。ならば、その均衡状態を打ち崩せばいい。
エミリア殿下もマヤさんもそのことに気付いたようで、目を見開いていた。マヤさんに至ってはその目に闘志を煮え滾らせている。
「先ほども言いましたが、国粋派もリヴォニアの動きを把握しています。そしてハーハ大将にまともな戦略眼を持っていれば、王権派を打倒して早期の内戦終結を目指すはずです。リヴォニアが軍の動員を完了するまでの時間、国粋派が共和派と妥協ないし殲滅するまでの時間、そして我々との交渉の時間を考慮すると……」
俺が頭の中でその時間を計算を始めた時、同じ考えに至っていたエミリア殿下は既に答えを持っており、俺の言葉を引き継いだ。
「2月の半ば、恐らくは10日から15日の間。そして……」
そう言うとエミリア殿下は、執務室に飾ってあるカールスバート共和国の地図を見た。その視線は次第に絞られ、そしてある地点で止まる。
「決戦となるのは、恐らくはここです」
エミリア殿下が示した場所は、俺の予想していた場所と同じだった。
首都ソコロフから東南東に7日、オルミュッツ要塞から北西に3日の地点。
共和国中部の地方都市リトミシュル郊外、スヴィナーという小さな農村であった。




