密談
1月11日、ヴラノフとシュンペルクが王権派の手によって占領された。
……あ、うん。唐突だったね。まぁ話すと長くなるからサックリ纏めると、
1月7日、リーバル中将が脱獄。
1月9日、リーバル中将がヴラノフ駐屯3個師団を撤退させる。
1月11日、師団がいなくなったヴラノフと、先のロシュティッツェ会戦で師団が壊滅したシュンペルクを王権派が強奪。
そして俺らは今、その奪取したヴラノフにいるのだ。
うん、これだけだ。何もおかしくはない。
「いえ、おかしいですよ少佐」
「どこがですか。フィーネさんは納得してくれたじゃないですか」
「納得はしましたが、おかしいとは思います。なんですか『脱獄』って」
「いやー、まさかリーバル中将が脱獄するなんて思いもしなかったなー」
この警備厳重な要塞から脱獄するなんてリーバルすげーなー。
「白々しいですよ少佐。『脱獄』と言ってましたけど、リーバル中将に『あなたをまだ信用できない。信用を得たいのであれば、弁舌ではなく実績で示せ』と言って独房から彼を出したのは、どこのシレジア人でしたか?」
「ごめんなさい」
表向きは「リーバル中将が策謀を巡らして王権派の士官数名を味方につけて要塞を脱獄した」ということになっている。
本当の理由は、先ほどフィーネさんが言ったように「工作員として国粋派に潜入させた」のである。当然、リーバルは間諜として疑われるだろうが、その点についてはいいトカゲの尻尾が用意されている。それが、シュンペルク軍団副司令官で軍団を壊滅に追いやったブラーハ少将だ。
ブラーハ少将に全ての罪をなすりつける。ヴラノフ駐屯の国粋派の部隊は、リーバルがどういう状況にあるのかを知らない。「ブラーハ少将が独断専行で部隊を指揮したために軍団が壊滅しリーバルが捕虜になってしまった」とかなんとか。
そしてシュンペルク軍団が壊滅したことにより、ヴラノフ軍団は突出した形になる。本来であれば、王権派がヴラノフに攻勢に出ればシュンペルク軍団が王権派の後背を扼すはずだったが、それができない。だから後退し戦線を縮小させるよう、ヴラノフ軍団司令官に具申する。
それらがヴラノフ軍団の司令官に通用するかはリーバルの舌にかかっていた。
ま、それはどうやら成功したらしい。だから王権派はサックリとヴラノフを落とした。それにもし失敗してもリーバルが死ぬだけだからこっちとしてはローリスクハイリターンだ。数名の監視もつけてたし。
これらの経緯を知っているのは、情報流出を防ぐためにエミリア師団の信頼できる一部士官とフィーネさん、そして王権派トップのカレル陛下とマサリク中将だけだ。
ちなみにラデックからは「中将をこき使う少佐ってなんなんだ……」と呆れられてしまった。確かに変だ。
そして、これから起きることを知っているのはフィーネさんだけだ。
「それで、当のリーバル中将は?」
「彼はそのまま国粋派に合流し、敵対勢力を引っ掻き回す手筈になっています。具体的な方法は彼に一任していますが」
そう言うと、なぜかフィーネさんが黙ってしまった。表情も暗い。
たぶん、これから起きるかもしれないことを想像しているのだろう。ヴラノフ奪取の計略までは彼女は賛同していたけど、その後のことはちょっと抵抗があるのかもしれない。
「少佐、過ぎてしまったことですが……その、よろしいのですか?」
「決めた事です。それに、これが最も効率的な選択だと思います。このまま力押ししても、内戦が長くなるだけですから」
「……」
またしても彼女は沈黙する。俺も何を言えばいいかわからず、妙な空気がフィーネさんとの間に流れた。
リーバル中将は、危険な男だ。
目的の為にはあらゆる手段を講じる。共和派殲滅のためにかなりえげつない事をしたし、王権派から信用を勝ち取るために2万の将兵の生命を簡単に差し出した。
そんな男を自由にし、そして王権派勝利のために働かせる。いったいどんなことをするのだろうか、と不安になるのは当然だ。監視を付けているとはいえ、土壇場で裏切る可能性が全くないとも言えない。
俺だって不安だし、本当に外道なことをしたら良心の呵責を覚えるだろう。でも、それを躊躇するほどの余裕がなくなったのも確かなのだ。
「心配しても始まりません。今はヴラノフ奪取を喜び、オストマルク帝国との連絡線を確立させましょうか」
「……はい。わかりました」
そう言って、フィーネさんが俺の傍を離れ……と思ったら振り返って、じーっと俺の目を睨んでくる。な、なんですか。グッと睨んだだけで相手を石に出来るんですか。
「少佐」
「はい?」
「……いつでも、相談に乗りますよ」
彼女はただそれだけを俺に伝えると、小走りでこの場から去って行った。
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王権派がヴラノフ、シュンペルク両都市を陥落せしめたのとほぼ同じ頃。共和国に放火し、共和国全体を業火に見舞わせた真犯人は、贅を尽くした豪華な邸宅において悠々自適に過ごしていた。
彼は白の葡萄酒を片手に、彼の自宅を訪問していた人物と歓談に興じている。
「奴を暗殺し損ねたことは恥ずべきことだが、最悪の結果にはなっていない。王政復古を企む反動共がよく頑張っているおかげか」
「あの王女、意外にも才幹溢れる者のようですな。ただの箱入り娘かと思っていましたが」
彼らは、自分たちの手で放火したにも関わらずまるで他人事のような口調で話していた。そして事実、現在の共和国の状況が自分たちの管制下から離れ、勝手に延焼しているに過ぎないという事態に陥っている。
だが彼らの最終的な目的の前には、そのことは些末な問題に過ぎない。
「暗殺に成功しても、失敗しても最終的にはあの国は我々が乗っ取る。今まさに前線で戦っているあの王女には申し訳ないが、甘い汁は我々の手で奪い取らせてもらおう」
「閣下も、存外お人が悪いですな」
「フッ、それは君もだろう?」
彼はそう言うと、手にした葡萄酒を一気に飲み干す。そしてそれと同時に、執事が部屋に入ってきた。執事は声に感情を込めずに、ただ淡々と職務に励む。
「閣下、お客様がお見えになっています」
「どこのどいつだ?」
彼は楽しい歓談を邪魔されたことに若干の不満を覚え、それを表情に出した。それを見た執事は一瞬怯んだが、すぐに主の質問に答えた。
執事がその来客者の名を口にした時、この邸宅の主は一転笑顔になる。
「ようやく来たか、待ちわびたぞ! 私が直接出迎えようか」
彼がそう言って立ち上がると、客人であるはずの目の前の男もそれに続いて立ち上がった。どうやらこの男も来客者を出迎えるようである。
執事は彼らを先導する形で玄関に向かった。そして執事は歩きつつも後ろに続く自分の主とその客人の会話を聞いていた。その会話は明るい口調であり、それはどうでもいい雑談にも聞こえた。だがその会話の内容は、この大陸の情勢を大きく動かすほどの重大な会話であると執事には理解できた。
そして邸宅の正門に辿りつくと、そこには執事の言った通りの人物が立っていた。
「これはこれはご両人が揃って出迎えるとは、光栄ですな」
来客者は微笑みながら、邸宅の主とその脇に立つ男に挨拶をする。暫く玄関で雑談に興じたあと、先ほどまで2人が歓談していた部屋にまで戻る。
そして執事が部屋から退室したのを確認した後、邸宅の主である彼が本題を切り出した。
「では早速ですが、分割案について話し合いましょうか。レディゲル侯爵閣下」
その密談は、夕刻まで続いた。
【忘れている人の為のメモ】
アレクセイ・レディゲル侯爵は東大陸帝国の軍事大臣で、同国の皇太大甥セルゲイ・ロマノフ派閥の人間。
カールスバート政変を引き起こし、シレジア=カールスバート戦争ではエミリア王女の捕縛あるいは暗殺を企てました。




