表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大陸英雄戦記  作者: 悪一
共和国炎上
218/496

年明けは流血と共に

 大陸暦638年1月1日。

 大陸各地では新年を祝う宴会が催されていた。貴族たちは華やかな衣装と煌びやかな宝飾品に包まれ、庶民は家族と共に細やかな御馳走を前にしている。


 だが、内戦が未だ終わりを見せないカールスバート共和国においてはそうではない。富裕層はその悉くが国外に逃亡し、庶民は町に響く軍靴の音に恐怖し、縮み上がっていた。

 一方その軍靴を踏み鳴らす軍人も不安がっていた。下級兵士たちには厭戦気分が広がり、高級将校には東部で支配を続ける王権派の勢力に怯えている。

 つまり多くの国民が、新年を祝う余裕すらなかったのである。


 特に共和国東部、シュンペルクとオルミュッツ要塞の中間地点にあるロシュティッツェにおいては、新年を祝う宴会の代わりに戦端が開かれようとしていた。



 シュンペルクから出撃した国粋派2個師団――便宜上シュンペルク軍団とする――は街道を南南東に進撃していた時、王権派2個師団と遭遇した。

 2つの軍隊が進んでいたこの街道は、南西と北東方向に広大な森林が広がっているため大軍を展開させるだけの空間的余裕はない。特に最初に王権派と国粋派が相見えたロシュティッツェは特に狭く、そのために大軍を迎撃する地点としては最適であった。故に王権派が布陣していたのである。


 そして11時40分、ついに両軍が衝突する。


 後世「ロシュティッツェ会戦」と称されることになるこの戦いは、当初独創性の欠片もない平凡な形で始まった。

 定石通りに上級魔術の撃ち合いにはじまり、前衛の接触と槍兵による近接戦、剣兵による切り込み、全てが教科書通りに行われた戦いだった。


 それは当然と言えば当然である。同数の兵力が、奇策の入り込む余地のない地形であるロシュティッツェでぶつかったとあれば、定石通りの戦いとなるのはむしろ必定と言える。

 敢えて言えば、要塞攻略、あるいは軍団司令官たるリーバルの救出を企図するシュンペルク軍団は攻めの姿勢であった。故に国粋派が攻め、王権派が守る。


 しかし国粋派の動きは鈍重だった。

 新年早々家族と共に過ごす余裕もなく出撃を命じられ、しかもその理由が「嫌われ者のリーバル」の救出となれば、兵の士気は自ずと低くなる。

 そしてさらに、その士気の低さは高級将校においても同じだった。「どうせ要塞にいるリーバルを救出するのは不可能。これは中央向けの政治的な演技(パフォーマンス)だ」と割り切っていたため、執拗な攻勢に出ることはしなかった。


 国粋派のやる気を感じられない戦いぶりを見た王権派2個師団を率いるマティアス・マサリク中将は些か混乱していた。


「……事前にその可能性は聞いていたが、まさか本当にこんなにもやる気がないとは思わなかった」


 事前に聞いたという「その可能性」とは、まさにこの迎撃作戦を立案したシレジア王国軍の若手士官の推測だった。マサリクは「子供の戯言」として当初その予想を無視していたが、だが迎撃作戦をあらかじめ立案していた事、その作戦案が予想外の出来だったことは彼を驚愕させた。

 そして「その可能性」とやらも正鵠を射ていたことを考慮すると、マサリクは「子供の戯言」という考えを改めざるを得なかった。


「じゃ、少しは子供に良いところを見せないとな。さもないと『老害』だなんだと言われてしまう」


 マティアス・マサリク中将はこの歳53歳。世間では老害と風潮されるほどの歳ではないが、そう呼ばれることを恐れ、彼は遺憾なくその手腕を振るうことになった。

 マサリクはユゼフ立案の迎撃作戦の基幹から外れないよう、変化した状況に対応して部隊を動かし続けた。




 同日14時20分。

 消極的な攻勢と積極的な守勢を繰り返し膠着していた戦線に、微妙な変化が生じた。それはシュンペルク軍団を指揮するブラーハ少将にもたらされた情報に端を発する。


「反乱軍は、我が精鋭なる剣兵隊の攻撃を受け壊乱状態にある模様です。閣下、ここは一挙に攻勢を仕掛け、敵を殲滅致しましょう」


 この報を受けたブラーハは、すぐには決断しなかった。

 兵の士気が低く積極的攻勢に耐えられる程ではないのではないかという不安、そして政治的姿勢意外に意味がないこの戦いをこれ以上続ける意味があるのかという判断が、彼の決断を鈍らせていた。


 要塞攻略戦という最も戦術的な困難が待ち受けていることを考慮すれば、それは彼にとって最良の道であったことは言うまでもない。

 彼は一度、混乱し後退する敵に合わせて、自身の軍団も撤退させることを命じようとしていた。

 だがそれは、ブラーハに報告をした参謀長によって遮られた。


「閣下。もしここで攻勢に出て敵軍を少なからずとも打ち減らすことが出来れば、閣下の悩み事は多少なりとも減じることができると思います。敵味方の被害がほとんどないまま撤退してから中央に言い訳するよりも、敵に多大な出血を強いてから撤退し、状況を報告した方が説得力があります。どうか、追撃の御命令を」


 参謀長の意見は間違いではない。確かに戦果僅少のまま撤退すれば「言い訳の為に戦った」と中央に疑われてしまう可能性がある。だが戦果を挙げればそれを心配する必要もなく、例え疑われたとしても武勲と相殺ということで咎めは軽いものとなる。


 さらに言えば、もしここでブラーハが武勲を立てつつリーバルを見捨てれば、中央への言い訳が立つだけでなく念願の中将昇進もなる可能性だってある。

 ブラーハがそう打算の方程式を脳内で組み立て上げると、彼は決断した。


「参謀長の意見を採用、敵を追撃する」


 こうしてシュンペルク軍団は、王権派2個師団を追撃すべくさらに南下した。


 これを見た王権派のマサリク中将は、勝利の笑みを浮かべたという。


「ふん。追撃してきたか。手間が省けていい。当初予定通り、このまま敵を牽制しつつ街道を南下するぞ!」


 マサリクは敵剣兵隊の攻撃に合わせて偽装退却を実施した。つまりブラーハはこの偽装退却に釣られてしまったのである。

 もしブラーハがそれを見抜き前進を止めたり、あるいは後退した場合はすぐさま退却を中止して攻勢に出るつもりだったが、その必要性はなくなった。


 だが、追撃を仕掛けるブラーハ率いるシュンペルク軍団の動きは慎重だった。

 実の所、ブラーハは王権派の壊乱が偽装退却なのではないかということに半ば気付いていた。そのため彼は罠の存在に留意するよう部下に命令し、追撃の手が緩くなったのである。


 このことに気付いたマサリクは、敵の指揮官が無能な人間ではないことを認め、さらに工夫を凝らして退却戦を行うことにした。

 後退し、時には攻勢に出て、戦線が膠着したら適度に兵を休ませる。そうして一進一退の攻防を続けながら少しづつ、亀のような速度で南下し続けた。


 その結果ロシュティッツェ会戦の緒戦は、国粋派ブラーハの慎重な追撃戦と王権派マサリクの緻密な退却戦によって、3日間にも亘る長期戦となったのである。



 その長き退却戦に終止符が打たれたのは、1月3日13時20分のことである。

 シュンペルク軍団はその時、王権派によって陥落させられたオルミュッツ要塞を視界に収める距離にまで前進していた。

 将兵たちの胸に「もしかしたら要塞を落とす好機なのではないか」という念が生まれても、それは仕方ない事である。指揮官たるブラーハも一気に攻勢に出て要塞に肉薄すべきなのではないかと考えていた。


 だがその考えが口に出されることは終ぞなかった。副官からの報告に、思考が遮られたためである。


「こ、後方より敵影! 5時方向、数およそ1万!」

「何!?」

「攻撃来ます!」


 副官のその報告の直後、シュンペルク軍団の後衛部隊に容赦ない上級魔術攻撃が行われた。ブラーハが振り返って後方を確認すると、確かにそこには敵軍が布陣していた。

 それは、エミリア・シレジア率いるシレジア王国軍1個師団であった。


「どうして敵の接近を許したのだ!? いや、そもそも森林に挟まれているこの街道で、後背に回り込むことなど不可能なはずだ!」


 苛烈な魔術攻撃を受けながら、ブラーハはそう部下に尋ねた。だが部下が状況を全て把握できる全能な神であるはずもなく、ブラーハの怒りにも似た問いに答えることはできなかった。


 しかし、実のところ答えは簡単である。

 こういう戦況になることを予測し、森林を大きく迂回して後背に回り込んだだけである。無論簡単と言っても、このような戦況になることをほぼ完璧に予測する力と、その戦況を作り出す前線指揮官の実行力は並大抵のものではない。


 それを成し遂げたのは、作戦を組み上げた作戦参謀ユゼフ・ワレサ、その作戦を元に部隊を大胆かつ機動的に動かした指揮官エミリア・シレジア、そして何よりも敵にこの作戦を悟られないまま数日間に亘る退却戦を演じた王権派のマティアス・マサリク中将だった。


 どうやって敵を引き摺り込むか、どの地点に敵が来た時に挟撃するか、それらを事前の作戦会議によって決め、そして現実が事前の想定と違う状況となっても動揺せず臨機応変に対応する。彼らはよく連携し、そしてシュンペルク軍団を挟み撃ちにすることに成功したのである。


 エミリア師団の大規模魔術攻勢を確認したマサリクは後退命令から一転、総反撃を命ずる。


「敵の混乱に乗じ、一気に敵を殲滅する! 総員突撃せよ!」


 背後から突然攻撃を受け指揮系統に混乱を来したシュンペルク軍団が、マサリクの突撃を食い止められるはずがなかった。シュンペルク軍団は混乱状態から一気に壊乱状態に陥る。


 一方、シュンペルク軍団の背後を取ることに成功したエミリアは突撃命令を下さなかった。それによってシュンペルク軍団は苛烈な攻撃の中に晒されることはなかった。


 だからと言って、エミリアがマサリクより優しい、というわけではない。むしろ彼女が下した命令は、国粋派にとってはまさに死刑宣告に相応しいものである。


「魔術と弓矢による遠距離攻撃を繰り返し、敵の戦力を削ります。前衛はマサリク軍団の攻撃から逃げようとする敵のみを確実に葬ることだけを考えてください」


 既に壊乱状態にある敵中に突撃しても、それは混戦となって遠距離魔術攻撃が出来なくなるだけである。部隊の損耗を出来る限り抑えたい彼女は、敵味方の被害が大きくなる白兵戦を避け、敵の手が届かない遠距離攻撃を延々と続けたのである。

 そしてマサリク軍団の突撃に怯んだ敵はエミリア師団の魔術攻撃に身を晒すこととなり、それを掻い潜ることができた者も最終的にはエミリア師団前衛隊によって串刺しにされる運命にあった。


 それでもいくつかの部隊はエミリア師団への突撃を敢行するも、その悉くをエミリアの適確な指示によって跳ね返されてしまった。


 そしてその時ユゼフは、少し唖然とした表情でエミリアの顔を見ていた。不思議に思ったエミリアが問いただすと、我に返ったユゼフは


「いえ、前線に立って指揮するエミリア殿下があまりにもお綺麗だったので、惚れてしまいそうになっただけですよ」


 と冗談じみて言った。確かに前線で指揮を続けるエミリアの態度は壮麗なるものだったが、それに対してエミリアは冗談で返した。


「あら、惚れても私は全然かまいませんよ?」


 彼女は微笑みつつ敵に向き直ると、すぐに表情を毅然なものとして指揮を続けた。

 その一連の会話を見ていたマヤが「戦場で何をやっているんだか……」と困り顔で呟いたのは言うまでもない。


 一方エミリアとユゼフが冗談を言い合っている間に生み出した非情な状況を、いつまでも黙認し続けるブラーハではなかった。彼は混乱し続ける味方をなんとか落ち着かせ、命令系統の再編を急がせた。

 だがその動きは、すぐにエミリア師団の作戦参謀ユゼフ・ワレサの知ることになる。


「……んー、フィーネさん。ちょっと良いですか?」

「何でしょうか、少佐」

「あそこの、部隊が密集を始めているところ、あの部隊の隊旗わかりますか?」

「少し待ってください……。えっと、ブラーハ少将の部隊で間違いありませんね」

「なるほど……」


 つまりそれは、敵の指揮官が混乱を収拾し、そして指揮命令系統と陣形の再編を行っている最中だということである。それを見抜いたユゼフは、すぐに次の手を打つことにした。


「殿下。魔術攻勢を中止し前進しましょう。敵を圧迫します」

「……構いませんが、その意図は?」

「既に敵は3割近い損害を出していますが、それでも指揮命令系統の再編を行っている模様です。このまま魔術攻勢を続けても効果が出ないでしょう。ここは前進して、敵兵に恐怖感を与えてその足並みを乱して混乱に拍車をかけた方がよろしいかと」


 そのユゼフの説明を聞いたエミリアは納得し、そして微笑みながら部隊に命令を下す。


「師団総員、前進。整然と、そして堂々と」


 エミリアの命令を受けた師団は、一斉に動き出す。よく訓練されたらしい統率された師団の動きはまさに圧巻の一言に尽きる。そしてその威風堂々とした隊列と、静かにやってくる死の予感を感じたシュンペルク軍団は、収まりかけた混乱をすぐに呼び戻してしまったのである。


 ブラーハは、遂に命令系統の完全な再編を行うことはできなかった。


 前後から挟撃されたシュンペルク軍団は、最早軍団と呼べるものではなかった。士官のほとんどは職務放棄し狼狽するばかりで、そして下級兵の狼狽えようはその数倍にも及ぶ。


 同日16時15分。


 シュンペルク軍団の損害は1万を超えていた。その内の半数は戦死し、半数は捕虜となった。

 果敢に、そして無駄に命令を飛ばし続けていたブラーハも、遂にそれを実行するだけの体力と精神力を失い、半ば自暴自棄になって後方のエミリア師団への突撃を命令した。


 それは最良と言うよりも、唯一残された生存への希望だったことは確かだ。前方の2個師団を突破するよりも、後方の1個師団を突破する方が楽なはずだ、という単純な計算である。

 だが、彼らの生への執着は凄まじかった。エミリア師団は彼らの突進を正面から受け止めていたが、考えなしに突撃してくるシュンペルク軍団は統制の取れた部隊よりも恐ろしい存在だったかもしれない。


「……ユゼフくん。このままだとまずいんじゃないか?」

「確かに。マヤさんの言う通りかもしれませんね」


 死を恐れない兵、というものほど恐ろしい者はない。剣兵科卒業試験の時、狂乱した敵兵役の教官を相手したマヤはそれをよく知っていた。そしてそれをこの戦場で相手しているのは、本来は敵を殺すことに慣れていない徴兵された農民たちである。

 このままでは、敵兵の気迫に気圧されて隊列が瓦解するかもしれない。ユゼフはそう考えると、エミリアにある提案をした。


「殿下。敵の攻撃が集中している地点を開き、脱出路を作ってやりましょう」

「敵をみすみす逃がすのですか?」

「いえ、サラが逃がしはしないでしょう」


 ユゼフがその親友の名を口にした時、エミリアはユゼフの外道とも言える戦法を理解した。


「……なるほど、そういうことですか」

「そういうことです」


 16時40分。

 エミリアの命令により、師団はあえて二手に分かれてシュンペルク軍団に脱出路を作った。この時シュンペルク軍団は、エミリア師団とマサリク軍団の攻撃によって7000にまで討ち減らされており、そして統制を完全に失っていた。


 そして指揮をするべきブラーハが、真っ先にその脱出路に駆け込み、下級兵や士官もそれに続いた。3日間続く戦いに辟易した将兵には、最早交戦の意欲はない。

 しかし脱出路の両脇にはエミリア師団が布陣しており、命からがら逃げようとするシュンペルク軍団を左右から容赦なく攻撃したのである。

 シュンペルク軍団の下級兵たちは剣を捨て、槍を捨て、ありとあらゆる装備をその場に捨ててなんとか生き延びようと必死に逃げた。そして半数は逃げ延びることに成功したのである。


 ようやくこれで帰れる。

 ようやく地獄から抜け出せる。


 多くの者たちはその希望を持って、シュンペルクに向けひたすら走った。


 だがその希望は、シレジア王国最強の騎兵部隊、近衛師団第3騎兵連隊の容赦ない追撃によって打ち砕かれることになる。




 翌1月4日15時丁度。


 王権派の苛烈な殲滅戦から逃がれた者たちがようやく彼らの拠点に戻ることができた。司令官であるブラーハ少将も我先に逃げたおかげか奇跡的に生還することが出来た。


 12月30日の出撃時には2万を数えたその軍団は、ブラーハ少将を含め17名まで減っていたという。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ