火のない所に
14時30分。
サヴィツキくんから来客があったことが報告され、そして来客者の名前が報告された途端、俺は謎の下腹部の痛みに襲われていた。う、産まれそう……。
エミリア軍事査閲官殿に挨拶する名目で会いに来たらしいので「俺は参事官として執務室に残りましょう」と提案したのだが
「今日の仕事は8割5分を終わらせたので不要です。それに情報交換を兼ねた挨拶になりそうですので、ユゼフさんも来て下さい」
エミリア殿下の有能さに俺は泣いた。
数分後、サヴィツキくんに紅茶を用意するようお願いした後応接室に行く。
そしてその応接室に居たのは……まぁ、そうだよね。この人だよね。数ヶ月ぶりに会った彼女は容姿はそんなに変わってないはずだが、心なしか有能そうな顔つきになってる。元々有能だけど。
「この度、オストマルク領事館駐在武官に着任いたしました、フィーネ・フォン・リンツ少尉と申します。高名にして聡明なるエミリア殿下、いえ、エミリア大佐にお会いでき、誠に光栄の至りです」
「恐縮です。私もリンツ伯爵のご令嬢にお会いすることができて嬉しいです。どうぞ立ち話もなんですから、おかけください」
本来なら俺も再会を喜ぶべきなんだろうけど、それも出来ない事情がいくつかある。
ひとつ、エミリア殿下らにはフィーネさんのことを報告していない。当時はまだ彼女は士官候補生で正式には軍人じゃなかったこと、途中で何かの間違いで検閲されても大丈夫なようにということで、彼女の名前や性別、年齢などの素性は書かなかった。
まぁ、それを今明かしちゃってもいいんだけどね。それが出来ないのよね。
なぜか俺の隣にサラさんがいるから。これがふたつ目の理由。
「ねぇ、もしかしてあの人私達より年下なんじゃないの? 結構若く見えるんだけど」
「サラの言う通りだよ。あのフィーネさんは俺とエミリア殿下の1個下だから」
俺とサラさんは、応接室の入り口付近で突っ立って、エミリア殿下とフィーネさんの挨拶を横から聞いて、かつばれないように小声で会話している状況だ。彼女たちは情報交換をせずに会話に花を咲かせている。これだけ見ると年相応の女子トークみたいだ。
ちなみにフィーネさんは俺に気付いているだろうが、一度もこちらの方を見てくれない。いや見られても困るけど。
「ところで、ユゼフ?」
「何?」
「なんであの人名前で呼んでるの?」
サラさんの警戒レベルが1上がった。
「……エミリア殿下も言ってたけど、あの人はリンツ伯爵の娘さんだから、名前で呼ばないと混同しちゃうかもしれないから」
「なるほどね。じゃあ私もあいつのことフィーネって呼んだ方がいいかしら?」
「そうじゃない?」
サラさんの警戒レベルが1下がった。……生きた心地がしない。
さて、一方当事者であるエミリア殿下とフィーネさんは挨拶と前座の会話を終わらせて、本題である情報交換に入った。最初の話題は、カールスバートの内情について。
「と言っても、我々オストマルクもそう多くの情報を持っているというわけではありません。大使館や商会を通じて情報を得てはいますが、国内が3派に分かれて火を燻らせている、ということくらいしかわからないのです」
「あら、意外ですね。既に多くの情報をお持ちなのかと。あ、すみません嫌味っぽくなってしまいましたね」
「大丈夫です。私達自身、そう思うわないでもないのです。でも我が国では、最近情報機関の再編があったばかりで、まだ情報網の構築が不十分なのです」
これはかつて言ってた情報省設立構想のことだろう。まだ正式に発足したと言う話は聞いていないが、再編が会ったばかりということは近日中に設立されることになるのだろう。
しかし情報面での支援がオストマルクからは暫く得られないのはちょっと不安だな。やっぱりこっちも独自の情報機関、せめて情報網を持たないと……。
「なるほど……ユゼフ少佐」
「ハッ。なんでしょうか」
「今日までに手に入っているカールスバートの情報を彼女に……と、その前に紹介がまだでしたね。彼は……」
「いえ、エミリア殿下。私は彼を知っています。ユゼフ・ワレサ元シレジア大使館附武官次席補佐官ですよね」
「あら、ご存知だったのですか?」
そう言うとエミリア殿下は驚いた顔でこっちを見てきた。「それなら最初から言えばいいのに」って目をしている。いや、だってエミリア殿下が名前教えてくれなかったんだもん。
「えぇ。私とユゼフ少佐は、春戦争における帝国軍の情報収集及び国内事件の処理を行ってきました。短い間でしたが大変世話になった恩人でもあります」
「もしかして、報告にあった旧シレジア領の……」
「はい。その時も私がお手伝いさせてもらいました」
エミリア殿下は楽しそうにフィーネさんと会話している。歳が近い女の子だし、そういう喜びもあるのだろう。
一方、俺はちょっと生命の危険を感じていた。
横をちらりと見やると、そこには俺を凝視するサラの目が。彼女の警戒レベルが5くらい上がってる。
「…………ユゼフ?」
「ち、違うんですサラさん。決してこれは隠していたとかじゃなくて話す時機が」
「さん付けするな!」
ごすっ。
サラは客がいる手前、最小限の動きと力で俺の鳩尾を正確に肘鉄していきた。いくらいつもより弱い力とはいえ、鳩尾を殴られると痛い。そろそろ鳩尾専用の防具でも買わないとダメかしら。
「っと、そんなことを話している場合ではありませんでしたね。ユゼフさん、カールスバートの現況を話してくれますか?」
「あ、はい。わかりました」
と言うわけでかくかくしかじか。こちらも多くの情報を持っているわけではないが、ここ数日はシレジア大使館と、亡命してきたカールスバート資本家から集めた情報を下にカールスバートの現況を予測していたのだ。
「現在、共和国内では国粋派、共和派、王権派の3派で抗争が繰り広げられています。それら3勢力の実力比はこちらの予測では6:3:1です」
「……王権派だけが随分弱いのですね」
「はい。王政復古と言っても、カールスバート王政時代から100年以上経っている現状、市民の支持を得られにくいのがあるのだと思います」
国粋派は共和国軍大将ハーハが大統領となった故に、軍部の殆どを掌握している。経済政策には失敗したことから大統領としては微妙な人だが、軍人としてのハーハ大将は人望・実績共に豊かな人らしいのだ。
共和派は、軍部を殆ど掌握できていない代わりに民衆からの支持が高い。軍事政権の経済政策失敗による失業によって前体制に戻ろうとするのは無理からぬことだろう。でも、所詮寄せ集めと言った感じは拭えない。軍部の協力者が少ないからね。
王権派については小規模勢力っていうのもあって情報はまだわからない。これは暫くかかりそうだ。
「なるほど、わかりました。王権派についは我が国も調べましょう。……っと、もうこんな時間ですね」
そう言うと、フィーネさんは懐からなんか高そうな懐中時計を取り出した。便利さで言えば腕時計の方が良いんだろうが、懐中時計はなによりもロマン溢れてる。俺も欲しい。そもそも腕時計なるものがこの世界にあるかどうかは不明だが。
そして今まで黙って話を聞いていたマヤさんも、その懐中時計に興味を持ったらしい。
「それは確かヘルヴェティアの高級高精度懐中時計でしたね?」
「はい、そうです。友人から貰いました」
友人……だれだろうか。高級時計ってことはリゼルさんあたりだろうか。
フィーネさんはその懐中時計で時刻を再度確認すると、立ち上がって退出の意を示した。
「申し訳ありません。この後も仕事があるので、今回はこれにて失礼いたします。有意義なお話、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
フィーネさんは従卒のサヴィツキくんの案内で部屋の外に出……る直前、何かを思い出したらしく立ち止まった。
「ユゼフ少佐」
「はい?」
「3つほど、お伝えしたいことがあります」
……どうしよう。あんまり聞きたくないんだけど。でも礼儀の上では聞かないわけにはいかないよね。
「なんでしょうか?」
「まずこの懐中時計、ありがとうございました」
……え、もしかしてさっき言ってた友人って俺のことなの? リゼルさん経由で渡したお礼の品、あれだったのか。でも、そんな高そうな時計買えるような金はリゼルさんに渡してないけど?
あと、俺の横にいるサラの目つきが若干吊り上った。警戒レベルも2上がっている。やばい。噴火しそう。
「ふたつ目は、父からの伝言です」
「リンツ伯爵から?」
「はい。そのままお伝えします」
フィーネさんはコホン、と1回咳払いすると、彼女はリンツ伯爵の言葉を爆弾に変えて俺に伝える。
「『フィーネとの婚約について気が変わったらいつでも連絡してほしい』、とのことです」
「………………」
あの、なんでそれを今ぶっこんで来たのかな? かな? おかげでエミリア殿下とかマヤさんとか目を丸くしてるし、サラさんなんて今にも掴みかかって来そうなくらいワナワナ震えてるんだけど?
サラさん頑張れ、頑張れ。客人の前でキレちゃだめだぞ、掴みかかってきたらダメだぞ。主に俺の精神力と体力がやばくなるからね!
「そして最後に、もう一度私から」
「……はい」
「今日、夕食の御予定は?」
「…………ゑ?」
その瞬間、俺の世界が激しく動き回った。俺は応接室の床に叩きつけられ、そしてなぜかサラさんが俺の胸倉を掴みながら馬乗りになっている。たぶん脇から見ると「これ絶対入ってるよね」になる格好だ。
「ユゼフ、これはどういうことかしら?」
「へっ、いや、あの……!」
サラさんの表情は鬼のようになっていた。こんなに怒っている彼女を見るのは久しぶりだが、それ以上にこんな鬼みたいな顔をしていても元の顔が良いから結構美人に見えるんだな、と割と変なことも考えていた。
いや、これは余命があと数分であることを察知した俺の脳が現実逃避を図っているのだろう。これを自覚した瞬間、俺は死の恐怖を感じた。
「ユゼフ」
「な、なんでしょうか」
「あんたを殺して私は逃げるわ」
それはただの通り魔って言うんですよサラさん。そこは「私も死ぬ」じゃないの? いやどっちにしても困るけど。
一方爆弾を投げ込んできたフィーネさんは涼しい顔をしていた。
「どうやら、お取込みのようですから今日の所は諦めましょう。夕食はまたの機会に。それでは失礼します」
そう言って彼女はさっさと部屋から退室した。火のないところに燃料をばら撒いたあげく火球を放って逃走した、と言い換えても良い。しかもフィーネさんのスカートの中身が角度の関係で窺い知ることができなかった。畜生め、俺になにも良い事がないぞ。
「って、あんたどこ見てんのよ!」
そして俺は、エミリア殿下とマヤさんが2人がかりでサラを止めてくれるまでボコられ続けた。
うん。生きてるのが不思議だ。
 




