三つ巴
在カールスバート共和国シレジア大使館から共和国の子細な内情が送られてきたのは、情報収集要請から6日後の10月24日のことである。
俺はその情報を一読すると、もしかしたら重大な事態になるかもしれないと思い、サラとラデックを総督府の軍事査閲官執務室に呼んだ。
そしてその情報を話す前に、エミリア殿下が不安を口にした。
「いくら共和国の大使館に大公派の人間が少ないと言っても、随分早いような気がするのですが」
マヤさん曰く、在共和国大使館の大使は中立派で、その部下は国王派と大公派が半々だという。これは元々この大使館は国王派の巣窟だった。政変前のカールスバートがシレジア王国に友好的であったし、例の不可侵条約締結は国王派による尽力が大きかったからでもある。だが政変によってカールスバートが事実上東大陸帝国の属国となると、親東大陸帝国派である大公派が勢力を拡大、結果このような状況になったという。
そのため大使館内部ではきっと激しい対立があるに違いなく、情報はもっと遅くなるのではないかというのがエミリア殿下とマヤさんの予想だったらしい。
無論、情報が早く来た理由はある。しかもそれは不安を煽るような理由で、である。
「どうやら共和国内は不穏どころの話じゃないようで、大使館員が退去準備を始めているそうです。当然政争なんてやってる暇はありませんし、それに本国に対し危急を知らせる意味でも情報を早く流したのでしょう」
「そんなに大変な事態なのですか……?」
「えぇ」
現在のカールスバートはガソリンを全力でばら撒いた家、と言った感じだ。誰かが火を着ければ、いやちょっとしたことで火花が散ってしまえばたちまち家全体が燃え上がるだろう。
この尋常ならざる隣国の雰囲気を感じていたのは、どうやらこの場にもう1人いた。クラクフ駐屯地補給参謀補のラデックだ。
「なるほど、それでか」
「ラデックは心当たりがあるのか?」
「まぁな。たぶん民政長官辺りも気付いてると思うが、ここ最近カールスバートからの人員と物資の流入量が増えてるんだ。それが流通に影響して、こっちの補給業務にも一部支障が出てた」
なるほど。そりゃ確かに不穏だろう。交通の要衝であるクラクフスキ公爵領ならではか……。
今後どうするべきか、そう考えていた時に不意に袖を引っ張られた。引っ張られた方向を見ると、そこには不貞腐れてるサラさんの顔があった。
「全然話が見えないんだけど」
「……あ、ごめん。説明不足だったね」
エミリア殿下もマヤさんもラデックも、みんなそれぞれ別のルートから事情を大雑把に把握していたみたいだから説明しなくても大丈夫かな、って思ったけど事情を知らない人がここにもう1人いたのを忘れてました。てへ。
「順番に説明しようか」
「あとわかりやすく頼むわ」
わかりやすく、サラにも理解できるように……結構難しい。
「カールスバートで、近日中に内戦が起きる。たぶん数週間以内にはね」
「……内戦? なんで?」
「考えられる原因は2つ。ひとつ目は春戦争だ」
大陸暦632年のカールスバート政変、あれが東大陸帝国による介入によって起きた結果だというのは確定事項だと思って良い。シレジアとの戦争は引き分けに終わったけど、先述の通りカールスバートは東大陸帝国の属国に成り下がったため、帝国の援助によって傷口は小さく済んだ。
そしてその帝国からの援助を利用して国内の経済をなんとかすると、国民はひとまず軍事政権を支持するようになった。共和政時代の不況を立て直してくれた、という評価が国内世論の多数派を占めていたのだろう。
「でも、春戦争でシレジアが大勝した。正式な講和条約はまだだけど、これによって東大陸帝国はカールスバートを援助する余裕がなくなったんだと思う。余裕があったとしても、その援助はオストマルク帝国を経由することになる」
「だけど、それはユゼフがなんかしたせいでオストマルクがシレジアと友好的になって、そんで道が塞がれたってことね」
「御名答」
武官が文官の領分にしゃしゃり出てはならない。なぜなら大抵は上手くいかないからだ。それは先日、俺も身を持って知ったからわかる。
政変後のカールスバート政府首脳部は軒並み軍人だった。軍人の軍人による軍人のための経済政策だったとしても不思議じゃない。そしてその頼みの綱だったのが東大陸帝国の援助。
援助で経済を回しそれでお茶を濁したようだけど、援助が断たれた後は悲惨だ。
「これがふたつ目。経済政策の失敗で国民の不満が噴出したってことだ。これは、大使館からの情報にも書いてある。『ハーハ大統領の経済政策は成功とはとても言えるものではなく、首都ソコロフの貧民街は日を追うごとに拡大している』とね」
「ふぅん……。で、さっきラデックが言ってたアレはどういう意味?」
そのサラの質問に答えるのは、俺じゃなくて当事者であるラデックの方が良いだろう。と言うことで目配せしてラデックに説明を促す。
「あぁ。たぶんだけど、国が貧窮して内戦間近だと悟ったカールスバートの資本家が、損失を免れるためにクラクフに逃げ込んできたんだと思う。持てるだけの財産と物資を持ってな」
「亡命、ってことでいいのかしら?」
「まぁそれでいいんじゃないか?」
カールスバート資本家が国外に逃げる。おそらく外国人資本家もそうだろう。資本が急激に逃げれば、カールスバートの経済はさらに後退するだろう。
貧困が貧困を呼び、最終的にその日の食い物にも困るようになり餓死者が出てくるとなると、もう国としてはお終いだ。革命なんてものは、貧困が切っ掛けになることが多い。
まぁ、たぶんその前にカールスバート政府首脳部は民間資本の国有化だとかをして資本流出を食い止めるかもしれない。でもそんな強権的なことをすれば反発を招くのは必至だ。
「カールスバートの内戦は近日中に起きるというユゼフさんの意見は私も同意します。問題は、それに際して我々がどう動くかです。即ち、内戦に介入するか、それとも静観を決め込むか……」
「待ってエミリア。カールスバートの内戦に介入できるの?」
サラの言うことはわかる。
現在、シレジア王国は春戦争で受けた被害の回復に勤しんでる真っ最中だ。そんな時勢で、他国の内戦に介入することなんてできるのか、ということだろう。それに介入したとしても、その介入費用に見合った成果が得られるのかもわからない。
「それは状況次第ですね。……ユゼフさん」
「なんでしょうか、殿下」
「内戦が勃発するとして、どのような組織が軍事政権に相対するのですか?」
「……そうですね。グリルパルツァー商会からの情報、そして大使館からの情報を総合的に判断すると、この内戦は恐らく三つ巴の戦いになります」
「三つ巴……?」
エミリア殿下は恐らく単純な「政府 VS 反政府組織」みたいな構図を予想したのだろう。
でも、寄せられてきた情報を精査した結果、どうやらそんなに単純な事ではないようだ。
俺はそのことを説明する前に、カールスバート共和国の歴史について話した。
大陸帝国内戦から始まり、マレク・シレジアの台頭、リヴォニア統一戦争、そして大陸暦520年のカールスバート王国の誕生まで。
「……なんか長ったらしく説明したけど、それがなんの関係があるの?」
「サラ。カールスバートが独立した時は『王国』だったって言ったよね?」
「そうね。それが関係してるの?」
「うん。たぶんね」
カールスバート共和国は、元々カールスバート王国だった。
でも、大陸暦572年に革命が起きた。カールスバート王政は僅か52年で倒れ、カールスバート共和政が誕生したのだ。そしてその共和政は、大陸暦632年の時に60年という短さで幕を閉じた。
建国から110年の内に2回も政体が変わり、そして今また政変が起ころうとしている。
「今回のカールスバート内戦は恐らく現政権の国粋派、共和政復活を望む共和派、そして王政復古を狙う王権派の三つ巴になると思います」




