事件の顛末
事件が一段落したのは、9月5日のことだ。
「というわけで、サラの原隊復帰命令が来てるよ。明日から仕事、長い休暇は終わりだ」
インドア派の俺だったら、軟禁状態とはいえ2週間以上続いた休暇が終わることなんて耐え難い事だ。でもサラはどちらかと言えばアウトドア派だし、むしろ休暇が終わったのはいいことかもしれない。
が、サラの反応はちょっと意外だった。
「ふぅん……。寂しいわね」
「寂しい?」
「えぇ。だって休暇中、ずっとユリアに構ってられたのよ。それが出来なくなるのは寂しいと思わない?」
なるほど。確かにそれはあるかもしれない。
「じゃ、今度からはちゃんと連隊長に適度に休暇を要求しなよ。そうすれば、ユリアとエミリア殿下と一緒に買い物を楽しめるかもしれないし」
「いいわね、それ。その時はユゼフも付き合ってね」
「善処するよ」
まぁでも、査閲官と参事官が一緒に休暇取ったら事務が滞るし、一緒に休暇を取ることはないと思うけど。でもそれを言うと彼女が休暇を取らなくなるかもしれないので「善処する」という日本人的表現をしておこう。
「それで、こうなった経緯を私知らないんだけど、説明あるわよね?」
「……しなきゃダメ?」
「当然」
ですよね。
うーん……話しても問題ないけど、疾しい事ばっかりやったから好感度下がりそうだな……。
「今回の事件が、大公派によるエミリア殿下に対する政治的攻撃だ、ていうのは知ってるよね?」
「知ってる。だから私は逃げたの」
そう。サラは逃げて警務局に捕まらなかった。思えば、大公派はこの時点で負けていたのかもしれない。
彼女の身柄を確保してから犯人に仕立て上げればよかったのに。
「そして王女派の警務局員であるヘンリクさんを使って、事件の捜査をさせる。これによって大公派は、王女派内部に不和を起こさせ、そして王女派貴族の不信を煽ることを狙った」
「でも失敗したのよね? ユゼフのせいで」
「あの『せい』ってのはやめてくれないかな……」
なんか悪い事したみたいじゃないか。いや結構えぐい事したな、とは自分でも思うけどさ。
「俺がやった――いや、正確に言うなら、俺が提案して、エミリア殿下が承認して、マヤさんとラデックの協力によって実行した――のは、公爵領の逆経済封鎖、大公の悪評を広めること、そして最後に、『犯人』を捕まえたことだ」
「犯人……?」
「うん。犯人。まぁ、その説明は後にして、順に説明しようか。たぶんその方がわかりやすいから」
「え? あんたって他人にわかりやすい説明なんてできたっけ?」
…………。無理かも。
妙な間を置いた後、サラが「早く言え」と眼力だけで急かしてきたので、説明を続ける。
「……えーっと、まずは最初の逆経済封鎖の効果について。これは一貴族領とはいえ経済規模が王国で一、二を争うクラクフスキ公爵領。ここからの税収が途絶えれば、中央は混乱する。これは良いよね?」
俺がそう聞くと、サラは頷く。よしよし、細かく彼女に聞けばわかりやすく説明できそうだ。
王都の混乱ぶりがどんなものだったかは、裏の事情を把握していた内務尚書ランドフスキ男爵の娘であり、エミリア殿下の友人にして酔うと舌っ足らずになるイリア・ランドフスカさんからの手紙で知った。曰く、
『王都の貴族の狼狽えようは喜劇と言っても差し支えないくらいね。特に大公派は滑稽だった。連日連夜宰相府に押しかけたせいで、大公も宰相の仕事に手が付けられなくなったって噂よ』
ということらしい。さらには
『中立を標榜していた財務尚書グルシュカ男爵が、ある貴族の娘の誕生日会でエミリア殿下を擁護する発言をしたそうよ。具体的に何を言ったのかは知らないけど、彼は王都では王女派って見做されてる。他の中立派も大公に対する不信を隠せないでいるようだけど、ユゼフくんって一体何やったわけ?』
最後の一言が余計だが、この逆経済封鎖、そして市井に流れる大公の悪口のおかげで、大公派の勢力をかなり削ぐことに成功した。もっとも、逆経済封鎖なんて荒事を強行したエミリア殿下に対する風当たりも強くなってはいるようだけど……。
まぁ、これはエミリア殿下が俺の作戦の「許可」を出した時点で覚悟していたことだ。今更言ったって仕方ない。
「逆経済封鎖で王都の貴族を混乱させて、大公の悪評で公爵領周辺の貴族領を受動的にした。これが最初にやったことだ」
「なるほどね。で、最後の『犯人』ってのは何? この事件の犯人、私ってことになってるわよね?」
「うん。大公派貴族の勢力を削いだだけじゃ、サラに対する指名手配が解除されない可能性もあった。よしんば解除されたとしても、事件を担当したヘンリクさんが『偽の証拠に踊らされて無実の人間を指名手配させた』として処罰を受ける可能性もあったんだ」
まだまだ味方が少ないエミリア殿下。だからローゼンシュトック公爵家を見放すことはできなかった。もしかするとカロル大公は、ヘンリクさんの助命と引き換えにローゼンシュトック公爵家を自分の勢力下におく可能性もあった。そうすればこの戦いは痛み分け、実質エミリア殿下の判定負けになる。
ヘンリクさんの処罰を免れつつ、サラの名誉回復を図る。そしてできれば大公派に一撃を加えたい。
だから俺は、証拠をでっちあげたパデレフスキ少尉を利用した。
「パデレフスキ少尉を通じてやったことは単純。『この証拠は捏造されたものだ! だからマリノフスカ少佐は犯人じゃない!』って宣言して、誰がその証拠を捏造したかを突き止めるべく捜査を始めたんだ」
「……えーっと、確かそのパデレフスキってやつが証拠捏造したのよね?」
「そうだよ?」
「…………」
サラは「何言ってんだこいつ」って顔してる。久しぶりに見た気がするなこの表情。
「証拠捏造をパデレフスキ少尉に命令した人、おそらく国家警務局長が真犯人さ」
「……そいつがやったって証拠は?」
「ないね。今の所状況証拠だけだ。でもイリアさんに頼んで、内務省治安警察局に動いて貰うつもりだ。たぶん数日中には結果が出ると思うよ」
我ながら悪いことをしてるな、と思わなくもない。
国家警務局長自身も、大公の命令によって仕方なく証拠捏造を指示した可能性もあるのだ。そう言った点ではパデレフスキ少尉と立場は同じ。
そして大公の責任を追及できるほど証拠が固まってるわけじゃない。それにあまり責任を追及しすぎると、国家警務局という組織自体の信用が危うくなる。国家警務局は、内務省治安警察局という政治秘密警察とは違う、この国の一般刑事犯用の警察機構だ。国家警務局の権限を落とそうとしたら、王国内全体の治安維持能力が低下する恐れもある。
また国家警務局は宰相府の組織ということになっているが、構成員は軍務省から拠出された人間、つまり軍人であり、人事権は軍務省にある。
そして逮捕された人間は裁判所に送られ、法によって裁かれる。
もしも俺らが本気で国家警務局に対して責任を追及しようとすれば、国家警務局長のみならず、国家警務局を管轄する宰相府、人事権を持つ軍務省、そして司法行政を担う法務省にまで及ぶ可能性がある。
宰相のカロル大公はともかく、軍務尚書は現在宮廷内闘争に中立の立場で、法務尚書は王女派だ。カロル大公に責任を問えるかどうかわからないのに、軍務省と法務省を敵に回すことはできない。
だから、名も知らぬ国家警務局長に責任を問うのが関の山。それが、サラとヘンリクさん、そしてエミリア殿下の政治的立場を守り、かつ王女派の被害を最小限にする最善の方法だと信じている。
現在、逆経済封鎖も噂の拡散も行っていない。作戦は既に最終段階で、サラの指名手配はヘンリクさんとパデレフスキ少尉の手によって解除されており、また警務局長が証拠捏造で告発されたことは既に市民に知られている。
あとは、時間の問題だ。
サラは理解してくれるかな。
いや、理解しないでいてくれた方が嬉しいかもしれない。まっすぐな正義感を持っている彼女が、こんな悪役みたいなことをした俺に嫌悪感を抱くのではないか、そう思った。だから説明するのが嫌だったのだ。
数十秒経った後、サラはようやく口を開いた。どんな罵詈雑言が飛び出してくるのか、はたまた拳が飛んでくるのかと身構えていたが、出てきたのは意外なものだった。
「……ありがとね」
サラはそう言うと、弱く握りしめられた拳によって俺の胸を軽く小突いた。




