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大陸英雄戦記  作者: 悪一
クラクフ
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みんなの為に

 8月24日、即ち逆経済封鎖3日目。

 街道封鎖による市井の混乱は落ち着き始め、それと反比例して警務局の人間が慌てふためいているのが総督府の窓からよく見える。街道封鎖をした理由が国事犯の逮捕だからだろう。


 14時20分。

 俺とエミリア殿下とマヤさんは軍事査閲官執務室で現状確認と今後の方針を話し合っていた。


「よくもまぁ、こんな手を思いつくものだな」


 マヤさんは溜め息を吐きながらそんなことを言う。怒っているというよりは呆れているという部類の感情で、俺に対して非難をしているわけではない。が、うん、まぁ、ごめんなさい。それとありがとう。


「皆さんが手分けしてくれたおかげで、効率よく経済封鎖が実現しましたよ。1人じゃ無理でした」


 エミリア殿下と公爵令嬢にして総督の妹であるマヤさんが総督や民政長官に働きかける。

 ラデックが街道封鎖に必要な人員配置や、不足するであろう物資を駐屯地から開放して市井の混乱を最小限に抑える。

 サラは……うん、ユリアの世話してる。まぁ今まで忙しかったんだから、長めの休暇だと思えばいい。


 まさに適材適所、当初予定より早く効果が出ると思う。

 1人でやって責任をかぶろうとしたけど、皆に協力してもらってむしろ良かったのかもしれない。


「しかし、少々危険な手ですね。経済的な危険もそうですが、政治的な危険も大きいでしょう。一貴族領が反乱紛いのことをしているのですから」

「エミリア殿下の言う通りだとは思いますが、これでも危険性は低くしているつもりです」


 今回の逆経済封鎖、名目的には国事犯の逮捕の為の一時的な措置だ。

 マリノフスカ事件の真相や、そしてそれが王女派と大公派の抗争であることを知らない貴族や一般市民に対する言い訳はこれで立った。

 事の真相や裏の事情を知る大公派貴族に対しても、大公に関する悪評と言う形で抑え込んでいる。


「こんな噂で大公派貴族が黙るとは思えないが?」

「確かに、こんな噂じゃ黙らないでしょうね」

「つまり、これは失敗か?」

「いえ、たぶん成功するでしょう。クラクフスキ公爵領に近い、大公派貴族のシェミール伯爵が何も言ってこないのがその証拠ですよ」


 シェミール伯爵領は、クラクフスキ公爵領の北隣に位置しており、クラクフと王都を結ぶ街道のひとつがこの伯爵領を通っている。当然、今頃は伯爵領の領主だか総督の耳に届いているだろうが、伯爵が声明を発表したとか、私兵を動かしたとかという話はまだ入ってきていない。


「この噂にはどういう意味があるんだ?」

「簡単な話ですよ。大公が悪者だという印象を不特定多数に植え付けさせるんです」


 一般市民から貴族に至るまで、不確定情報ながら「大公は悪人」という噂がドッと流れてきたらどうなるだろうか。

 少なくとも、表立って大公に味方することはできない。たとえ大公派貴族として有名なシェミール伯爵であっても、下手に動けば「伯爵は悪者に味方する貴族なんだ」と領民に思われてしまうと今後の統治が上手くいかなくなる。

 だから何も言えない。とりあえず、この抗争が一段落するまでは大公派貴族は何もできない。


 新聞はあるが、この世界の一般庶民の情報調達手段は噂が主流。故に、噂の力は凄まじいものがある。


 問題は、いつまでそれが持つかだ。人のうわさも75日と言うし、噂の力も限界がある。エミリア殿下も、どうやらそれが不安なご様子。


「ですが、いつまでもこの状態が続くとは思えません。ボロが出ないうちに次の手を打つべきでしょう」

「わかっております。マヤさん、準備は出来てますか?」


 俺は予めマヤさんに次の作戦の準備をさせていた。

 彼女は当然と言わんばかりに、その豊満な胸を張る。


「大丈夫だ。ヘンリク殿にも、話は通してある」

「流石ですね」


 事件はまだ始まったばかり。むしろ、これからが本番とも言える。サラの汚名を(そそ)ぐためにも、先手先手を取らないとね。


「本当に、ユゼフさんが敵でなくて良かったと思います」


 エミリア殿下はそう呟いたが、聞こえなかったことにしよう。褒めてるんだろうけど、なんかちょっと悲しい。俺はそんなに悪辣な人間じゃないのに。日々真面目に生きているのに!




 翌8月25日、13時30分。


 執務室の隣にある応接室で、俺とマヤさんはある人物と面会していた。その人物とは、国家警務局所属のヘンリク・ミハウ・ローゼンシュトック少佐、そして彼の付添人兼監視役の謎に包まれた第三の男である。

 その第三の男の名前はイツハク・パデレフスキ。ヘンリクさんと同じく国家警務局に所属する警務局員で、階級は少尉。そしておそらく、大公派から監視のために送られてきた刺客的な存在。


「……何の用ですか、軍事参事官殿。私は今、国事犯逮捕のために忙しいのですが」


 パデレフスキ少尉は敬語を使ったが、凄い嫌味ったらしかった。まぁ遥か年下で階級が2つも上だと少しは嫉妬するし、そしてなにより俺は政敵だからね。ま、俺もそれに倣ってタメ口で相手してあげよう。年下にタメ口にされるってどういう気分?


「今日はローゼンシュトック少佐、そしてパデレフスキ少尉に商談があるので」

「商談……?」


 顔を顰めたのはパデレフスキ少尉、無表情を貫き通しているのはヘンリクさんだ。まぁ、ヘンリクさんは四六時中表情が変わらないのだけど。


「商談と言っても難しくはないよ。サラ・マリノフスカ少佐に対する指名手配をなかったことにしてほしいってだけだから」

「何を仰るかと思えば……」


 口を開いたのはまたしてもパデレフスキ少尉。ヘンリクさんはだんまりのまま。別に彼とは事前打ち合わせをしたわけじゃない。たぶんこちらの出方を窺っているのだろう。

 そんな事情を知ってか知らずか、パデレフスキ少尉は口を閉じることはしない。


「まさか、封鎖を解く代わりと言うのではないでしょうね?」

「おや。さすがは警務局の方ですね。小官如きの提案を看破するとは」


 相手が嫌味ったらしく言ったのでこっちも全力で嫌味ったらしく返答する。うわー警務局の人間は優秀だなー。ついでにここだけ敬語にしてさらに煽っていく。相手がイラついてボロが出ればめっけもんだ。


「そんな取引に応じると思わないでいただきたい。私はこれでも警務局の端くれです。そんなものの為に、法を曲げても良い訳がありません」


 ふむ。お手本にしたいくらいの正論である。警察官が行政の圧力に屈するわけにはいかない、というスタンスは重要だよね。でも、今回の場合は屈してもらわないと困る。少なくとも、警務局に非があるこの状況では。

 パデレフスキ少尉はヘンリクさんを促して退室しようとしたが、その時マヤさんが鞄から一束の書類を出した。


「少尉、これが何かわかるか?」

「……なんですそれは」

「これは、クラクフ駐屯地における2週間分の全物資の動きをまとめたものだよ」


 クラクフ駐屯地補給参謀補ラデックが一晩でやってくれました。まぁ2週間分の仕事を束にしただけなので、正確には一晩でやってはいないが。


「国家警務局の調査では、確か駐屯地の物資横領が証拠のひとつだった。でも、これを見る限りそんなことは起きていないようだけど?」


 これは前に俺が指摘した通りの事である。ラデックはクラクフに着任してからずっとマメに物資流出入をチェックしていたようで、おかげで子細な資料を残していた。

 でも、パデレフスキ少尉は態度を崩さない。


「……その資料の中身が、真実であると言う証拠はあるのですか? 偽造された可能性もあるでしょう」


 パデレフスキ少尉の言うことは間違ってはいない。

 確かに国事犯として指名手配されている容疑者を助けるために用意されたとしか思えない資料を提出されて信じろ、という方が無理だろう。むしろ、資料偽造を疑うのは当然だ。


 でも大丈夫。これも想定の範囲内だ。


「もうひとつ見せたいものがあるんだけど」

「……なんだ?」


 ついにパデレフスキ少尉は敬語をやめた。結構イラついてるようで、貧乏ゆすりをやめようともしない。この部屋の中で一番階級が低いのは彼のはずなのにね。それくらい彼も追い詰められてるってことか。


 その時、丁度良いタイミングでドアがノックされる。マヤさんが「どうぞ」と短く返事すると、入ってきたのは従卒のサヴィツキ上等兵、そしてハゲ散らかしたオッサンが1人。

 そのオッサンが部屋に入った時、ヘンリクさんは僅かに眉を動かし、そしてパデレフスキ少尉は慌てた様子で立ち上がった。


「……お、お前は!」

「少佐たちはご存知かと思いますが、会計士の……なんでしたっけ?」

「サボニスです。ファジェイ・サボニス」

「あぁ、そうでしたすみません。サボニスさんです。マリノフスカ事件の証拠のひとつだった、マリノフスカ少佐が物資を横領し、そして換金したという証拠である会計書類を作成した人です」


 今回の事件の主な証拠は、物資の横流しがあったことを証明する書類、物資を売り捌いて、その過程で得た会計書類、そしてそれで得た資金で人を雇った形跡、恐らく契約書、この3つだ。


 物資の横流しを否定するのはラデックがやってくれた。ではもう1つ、資金を得た証拠を否定する。これを否定できれば、自然と3つ目の証拠も消滅する。資金を得てないなら契約できないからね。

 と言うわけでサボニスさん。やっちゃいなさい。


「私は、そこにいらっしゃるパデレフスキ少尉に命令され、会計書類を作成しました」

「……な、何を言っているのだ! いい加減なことを言うな!」


 サボニスさんが会計書類を作成し、それを警務局に証拠として提出した。

 でもそれはサラが依頼したのではなく、警務局が命令して偽造した証拠だということだ。

 サボニスさんの存在については、ヘンリクさんに聞いたら「別に隠すようなことじゃない」と言って教えてくれた。まぁ、こういうことに使うことは万が一の情報漏洩を防ぐために黙っていたけど。


「いいえ。私は少尉に命令されました。報酬として金貨15枚も受け取ったことも覚えています。なんなら、その時にあなたから渡された『こういう書類を作成してほしい』という書類も提出しても構いません」

「な、お前、嘘を吐くな! それは会計書類を受け取るとき、私の目の前で燃やしたではないか!」


 はい。自滅。皆さん聞きましたね? パデレフスキ少尉は今自分で証拠の存在を認めましたよ。


 うん。予想外にうまくいったな。「目には目を、歯には歯を」理論で、そのサボニスさんの言う偽造会計書作成依頼の書類を偽造してたんだけど、使う前に少尉がゲロったから使わなくて済んだ。ついでにサボニスさんが裏切らないよう、金貨30枚を掴ませておいた。公爵家のお金だけど、マヤさんは快く「貸して」くれました。返済の事を考えるとすごい鬱になる。


 まぁ、証拠捏造するのが警務局の特権だと思わない方が良いぞい。偽造書類の方は使わなかったけど。


「パデレフスキ少尉!」


 ヘンリクさんは、パデレフスキ少尉を怒鳴りつけた。この時初めてパデレフスキ少尉は、自分が遠回しな自白をしたことに気付いたようだ。すごい「やっちまった」って顔してる。


「……少尉、あとでそのことについてゆっくり聞くことにする。それまで黙っていろ」

「は、はい……」


 ヘンリクさん、怒ると本当に顔が看守のそれになる。超怖い。

 まぁそんな哀れなパデレフスキ少尉はさておき、ここからが本番だ。


「……パデレフスキ少尉。話を戻しますけど、商談をしましょう」

「…………」


 少尉は黙ったままだ。ヘンリクさんの命令を守っているのか、それとも単に何も喋る気がないのか。

 でも、今はどっちでもいい。とりあえず敬語に戻して彼と商談の続きをするのが先決だ。


「少尉は、今回の事件の黒幕ではないことはわかっています。これ以上事を進めても、計画は失敗します。そうなれば、あなたはトカゲの尻尾切りに遭う。その黒幕とやらは、あなたに全責任を押し付けるでしょう。それは、あなたの本望ではないでしょう?」


 少尉が独断でこんなことをしたとは考えにくい。たぶん黒幕の命令を受けてヘンリクさんを監視し、証拠を捏造してサラを貶めようとしたのだ。その命令に逆らえば首が飛ぶ、となれば命令に従うしかない。中間管理職の辛いところだろう。


「…………どうしろって言うんだ」


 少尉はとても小さな、そして低い声で呟いた。全責任を押し付けられたら、自分がどうなるかを想像したのだろう。


「私はサラ・マリノフスカ少佐の名誉回復をしつつ、こちら側の被害を最小限に抑えたい。そしてあなたは全責任をかぶることなく、その黒幕とやらに責任を押し付けたい。だとすれば、やることは簡単です」


 俺はその簡単なことを、少尉に伝えた。彼はしばし項垂れつつも、それを実行すると約束してくれた。

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