国家警務局
ヘンリクさんと話を終えたらしいエミリア殿下は、マヤさんに支えられなければ満足に歩けないほど憔悴しきっていた。なんとか軍事査閲官の席に座った彼女は、しばし無言を保った後「少し1人にしてほしい」と掻き消えそうな声で呟いた。
無論、こんな状態の彼女を1人残すことは躊躇した。でも確かに1人でいる時間は必要だろう。そういう判断で、俺とマヤさんは執務室の隣にある、先ほどまでヘンリクさんが使っていた応接室で待機することにした。
長い沈黙の後、最初に口を開いたのはマヤさんだった。
「今回の事件――既にマリノフスカ事件と命名されているようだが――は、ヘンリク殿からどこまでのことを聞いた?」
「おおよその事件の流れまでを、ですかね」
「そうか……だが、ユゼフくんならこの場に居ながら事件の全貌が見えるのではないか?」
「全貌かどうかは解決してみないと分かりませんが、でも半分くらいはわかりますよ」
「半分か、まぁ。今の所、それくらいわかれば十分だな。君の意見を聞こうか」
マヤさんの言い様を考えるに、多分この人も同じこと考えてるのだろう。あるいは自分の考えに自信がないから答え合わせをしようだとか思ってるのだろうか。
まぁいいや。結構簡単な話だ。
「まず、九分九厘この事件の犯人はサラではないです。というより、事件そのものが捏造されたと考えていいでしょうね」
「それは私も同感だが、証拠はあるかね?」
「犯罪がないということを立証することなど不可能ですよ。そもそも警務局は証拠を握っている……少なくともそう主張しています」
「そうだな。『あっけないほど簡単に』と言っていたね」
「えぇ。そしてそれが証拠だと思います」
「理由は?」
「警務局が証拠を手に入れた過程の問題ですね。彼らは駐屯地の物資の流れを監視して、サラが横領していたことを突き止めた。そして芋づる式に辿って、最終的に暗殺事件の全容を掴んだ。確かこんな感じでしたね」
俺がそう聞くと、マヤさんは大きく頷いた。自信に満ち溢れている首肯、おそらく同じ結論に至ったのだろう。この警務局の調査、肝心なのはこれだ。
「サラの居たクラクフ駐屯地には、ラデックがいます」
俺よりも4、5倍事務仕事ができるラデック。彼が駐屯地に居る限り、その駐屯地内における物資と人員の流れは一分子も漏らさない。でも警務局は、それをあっさり見つけ出したのだ。
そんなものがもし本当にあるのならば、警務局の前にラデックが気付いたはずだ。
「ラデックがグルという可能性もありますが、それなら警務局も気付けたでしょう。なのに彼は逮捕どころか警務局の調査も受けていないそうですし」
「まぁ、これからどうなるかはわからんがね」
確かに。まぁ基地関係者、士官学校同期生ということで根掘り葉掘り調査はされるだろうね。
それが「彼ら」の目的でもあるだろうし。
「ヘンリクさんがこの事件を担当することになったのは、警務局長からの御指名だそうですね?」
「あぁ。それは私も聞いたよ。ついでに彼の付添人が、その情報をエミリア殿下に伝えた時は一瞬表情を変えたよ。何か良いことがあったようだ」
「なら、確定ですね。国家警務局の正式名称は『シレジア王国宰相府国家警務局』ですから」
ヘンリクさんは警務局長からの直々の命令で事件の調査に当たった。
そして警務局長は恐らくさらに上の人間の命令でやったのだろう。王国宰相府の長、つまり宰相カロル大公の命令によって。
「ヘンリクさん……いや、ローゼンシュトック公爵家の人間をマリノフスカ事件に利用するとは、なかなか悪辣なことをしますね。さすが、公明正大で文武両道と謳われる人間なだけあります」
「だが、有効な手であることも確かだ」
「えぇ」
王女の親友が王女の暗殺を謀り、そして王女派の人間がその親友を断罪する。
すると事情をよく知らない周囲の人間はこう思うはずだ。「王女派の内部はかなりガタガタしてるんじゃないだろうか」とね。王女派が一枚岩じゃなく、その中で苛烈な争いがあるのではないか。ならば大公派に与したほうが身の安全の為に良いのではないだろうか。
普通の貴族連中ならそう考えるだろう。事件が起きて、それがローゼンシュトック家の嫡男であるヘンリクさんが担当であることは、既に内外に知れ渡ってるだろうな。結構まずい状況だ
「戦術研究科らしいことを言えば、今の状況は『先手を取られた』ということです。敵に状況を作られ、こちらは後手後手に回るしかないでしょう」
「そうだな。それで我々がどう立ち回るかで、サラ殿の命と、エミリア殿下の未来が決まるだろう」
「えぇ。でもどうやっても我々は傷が残ると思いますよ」
「ふむ。どういうことだ?」
マヤさんがやや前傾姿勢になる。どうやらここから先は彼女でも思いつかない領域だったようだ。
「この策謀で最も悪辣な部分は、この事件がどのような終幕を迎えようとも我々には大きな傷が残るということです」
順番に説明しよう。
今考えられる事件の決着は……そうだな、3つある。
1つ目、サラが逮捕され、そして合法的な裁判によって断罪される場合だ。
事件と証拠を捏造され、おそらく一度裁判なり軍法会議なりにかけられれば有罪は間違いないだろう。王女暗殺未遂、まぁ普通に考えれば死刑と言ったところだろう。
もしそうなれば、親友を失った王女殿下が平静を保っていられるだろうか。聞いた話じゃ、春戦争でも殿下とサラは互いを支え合ってたらしいし。
エミリア殿下の精神力にもよるが……最悪廃人になる。王位継承争いから脱落してしまう可能性もあるわけだ。そうなれば、カロル大公の地位は盤石だ。
もしエミリア殿下の精神が意外と屈強だとしても、やはりこの事件を担当したヘンリクさん、ひいてはローゼンシュトック公爵家に対する不信は拭えない。王女派内部の関係に亀裂が入ることは確実だ。
それに無視できないのは、サラの部下、第3騎兵連隊の連中だ。敬愛する上司が冤罪で処刑された、そしてその際に、サラが忠誠を誓った相手であるエミリアが何もしなかったと知れば、エミリアに対する不信も芽生える。
殿下が兵士に信頼されなくなる。これも憂慮すべき事態だろう。
……いや、何より俺が平静でいられるだろうか。殿下より先に、俺が廃人になってしまう可能性の方が高いかもな。ゲームの廃人ならまだしも、親友を失った悲しみで廃人になるのは嫌だ。
サラの処刑は何としてでも、例え法的に、倫理的にまずいことをしてでも回避しなければならないだろう。
2つ目、エミリア殿下が王族の特権を使ってサラを助け出すこと。
王族は、訴追を免除する特権を有している。つまり刑事的、民事的な訴訟を起こされた時、その裁判を王族特権でなかったことにできるのだ。そしてそれは自らだけでなく、他者にも有効だという点だ。
現状では、もっとも簡単でそして確実な方法ではある。だが問題は、無理にその特権を使うことは非難を浴びることは必至という点にある。
特に、本当に公明正大なことで有名な王女派貴族である法務尚書タルノフスキ伯爵なんかはどう思うか。
かつて俺とサラとラデックの上司だったタルノフスキ伯爵の次男が言っていたことだが「父上は公明正大故に、継承権の順に王位に就くべきだ」と。つまりそれは、伯爵自身はエミリア殿下に忠誠を誓っているわけではないと言うことだ。彼が忠誠を誓っているのは王国の法のみ。
だからこそ、継承権が下の人間が策謀しているのが気に食わず王女派となっている。
だが、王女が特権を濫用して国事犯を無罪放免にしたら、その伯爵はどう思うだろうか。
王族に認められた特権とは言え、それを無暗矢鱈行使してしまえば伯爵はエミリア殿下に従わなくなるかもしれない。むしろ法の公正さを訴えてるであろう大公にすり寄る。そうすればエミリア殿下は、その最大の味方を失うことになる。
閣僚の中で王女派筆頭だったタルノフスキ伯爵が鞍替えをすれば、残るは内務尚書ランドフスキ男爵くらい。そして彼も形勢不利を悟って大公派に寝返る可能性もある。
だから、エミリア殿下が王族の特権を使うのはできるだけ避けた方が良い。これは最終手段だ。
そして3つ目。軍事査閲官エミリア大佐として動くこと。
クラクフスキ公爵領限定の軍務尚書と呼ばれる軍事査閲官。であれば当然、領域内にいる軍人に対する監察権も持っている。それを利用して、エミリア大佐の手によってサラに対する軍法会議を開くのだ。
エミリア大佐が裁判長となる裁判であれば、サラは無罪にすることも可能だし、それがまずいと言うのならば軽い量刑でも構わない。昇進には響くだろうが、減俸1年とかそんな感じ。
でもこれも王族特権と同じ危険があるか。あまり軽すぎると、本家大元の軍務省及び軍務尚書に何を言われるかわからない。エミリアとサラの軍事的権限は狭まるだろうし、やっぱり大公派連中から攻撃を受けることは必至というわけだ。
妥協案とも言える結果になるが、現状ではこれが一番現実的かもしれないな。
そんなようなことを、マヤさんに説明する。説明下手な俺が言ってちゃんと伝わるかどうか不安だったが、彼女はちゃんと理解してくれたようだ。
説明を一通り聞き終えたマヤさんは、恐らくこの意見が正しいことを認めた上で、さらにこうも言った。
「でも第4の可能性もあるのではないか?」
「……それは一体なんです?」
「ヘンリク殿が言っていただろう。サラ殿は逃亡中だろう、と」
「……そうか。そうですね。恐らく今回の件で、敵の唯一の誤算はサラが逃亡していることにある。だとすれば、サラが逃げ続けている間に、こちらから攻めることも出来るわけですか」
王都に戻って法務尚書を説得したり、あるいは内務省と協力して警務局を叩いたり、色々できる可能性があるってことだ。もしかするとサラは、自分に嫌疑がかけられていると悟った時点で、逃げることが最善手だと理解したのかもしれない。
ふむ。良い手だ。戦術戦略を教えた甲斐がある。
「そういうことだ。そしてサラ殿が逃げ続けなければならない、というわけでもない」
「……?」
どういうことだ? サラが捕まっても良いってことだろうか?
疑問符を頭の上に並べる様子を見たマヤさんはちょっと優越感に浸ったのか、少しドヤ顔で言い放った。
「わからないか? 警務局を出し抜いて、我々の手でサラ殿の身柄を確保するんだ。つまり『鬼ごっこ』さ」




