兄のような
8月20日。
「少しは進歩したと思ったらそうでもないみたいだな」
「何が?」
現在俺はクラクフ駐屯地の司令官と所用を終えた後、同駐屯地の補給参謀補でありたぶん俺の親友であるラデックを廊下で見つけた。呼び止めようと思ったけど彼は書類の束を抱えておりとても忙しそうだ。
ふむ。仕事の邪魔してやろう、と意地の悪いことを考えてしまった私は悪い子です。てへ。
と言ってもラデックは俺とは比較にならないくらい事務処理能力に優れている。
俺に呼び止められ、そして俺と会話をしながら抱えている書類に目を通してる様子。たぶんこいつは一度に3つの事をこなすことができると思う。その手腕は遺憾なく発揮され、駐屯地の物資や兵士の情報は一分子も漏らさず彼の下へ集まるという。
ラデックは時々鉛筆を使ってメモを取っているようで、彼もまたエミリア殿下並の勤勉さの持ち主だと再認識する。周りの連中が仕事の鬼なのか、それとも俺がサボりすぎなのだろうか。
で、話題は先日のサラとユリアとの買い物の件についてだ。
「そういう時はな、彼女が欲しがってる服を目敏く見つけて、こっそり買っておくんだよ」
「で、忘れかけた時に『これ、前欲しいって言ってたやつだろ? キラッ☆』って言って渡せってか?」
「そうだな。『キラッ☆』はいらないけど、そういうことだ」
「歯が浮くわ」
凄い頭が弱いと思うよそれ。そんなの見かけたらとりあえず呪う。
「折角の逢引だから大丈夫だろ」
「あれはちょっと違うと思うぞ」
普通デートっていうものは相手の鳩尾を殴ってきたり肩を砕いたりはしないし子連れもあり得ないだろう。サラもたぶん、あれが逢引とかデートだとは思ってないんじゃないかしら。
「じゃあ、お前にとってあれはなんだったんだ?」
「買い物。それ以外なにがある?」
俺がそう言うと、ラデックは作業する手を止めて俺に対して養豚場の豚を見る目を向けていた。いやその顔やめろ。男にやられても嬉しくはないぞ。
「はぁ……まぁいいや。どうなろうと知らん」
「何が」
「こっちの話だ。それより、ユリアちゃんの件についてはどうだったんだ?」
幼女に対して「ちゃん」付けが許されるのは女子とイケメンだけだ。羨ましい。
まぁ、それはともかく。
「ユリアは相変わらず俺を避けてるよ。名前は気に入ってくれてるみたいだけど、それはサラがユリアって名前を気に入ってるからだと思う」
ユリアにとってサラは母親とか姉とかじゃなくて神様みたいなもんだ思う。リアルに「ぐへへ幼女ハァハァ」されそうになってるところを拳数発で助けてくれたんだからな。そりゃ崇拝もするだろうよ。
「なんでお前嫌われてるわけ?」
「さぁね……」
もしかしたら俺が16歳と240ヶ月ってバレたからかな? 「こいつ中身オッサンだから危険だ!」って内心思ってるのかもしれない。ある意味では正しいことだが、それを受ける身としては悲しい。
「でも、サラがいきなり孤児を拾うとは思いもしなかったな」
「そうだな。結構攻めてるなぁ、とは思ったよ。長く離れた分の反動が来たんだろうさ」
「え? 何の話?」
「こっちの話だ」
またか。今日のラデックはよく話が脇道に逸れるな……。
……にしても、孤児か。
今回の春戦争、勝ったは良いけどこっちの被害も多かった。シレジア王国の人的被害はおよそ4万。東大陸帝国のそれよりかはマシと言っても、全体人口当たりで計算すると比較にならない。
そして戦死者の数と比例した数の未亡人と孤児がいる。この人たちに対する政策も何かしら行わなければならないが……比較的経済力のあるクラクフスキ公爵領でも財政難に苦しんでいる。この状況下で有意義な福祉政策が打ち出せるのだろうか。
孤児に対する福祉政策って、前世だと教会がやってたってイメージがあるな。後はアルプスのお爺さんくらいしか思いつかない。
この世界の教会も孤児院をやっているところもあるけど……でも、教会も余裕があるわけじゃない。それに何より孤児の数があまりにも多いって問題がある。
「どうした、また何か考え事かユゼフ?」
「まぁね。考えることが仕事みたいなもんだからな」
でも、考えたところで何もできないんだよな。民政の権限は武官の俺にはない以上、考えるだけで終わる。後は一市民として総督だか民政長官に陳情するしかないのだ。
「ま、俺らとしてはお前に考えてもらった方が色々楽だ。俺らが頭ひねって考える必要もないし、それに結構うまくいくことが多い」
「それは買い被りすぎだ。俺だって失敗はするよ」
「お前がこういうことで失敗したことあったか?」
「まだ軍役に就いてから1年も経ってないから何も言えないけどね、でも『もっといい方法があっただろうに妙な選択をしてしまった』というのは何度もあったさ」
士官学校時代、ラスキノ戦、そして次席補佐官時代。毎回毎回反省の繰り返しだったさ。反省を経て成長できるならまだしも、どうも俺自身そんなに成長出来てない気がするのだ。これは、中身オッサンのせいかな。
「それはお前の考えることが最善ではないだけで、比較的良い案を思いつくことができるってことだろ」
「でも、やるからには最善の方が良いだろう?」
「そりゃそうさ。でも、人間ってのは毎回毎回最善の方法を思いつくわけじゃないだろ?」
「どうだろうね。エミリア殿下辺りなら出来そうな気もするけど」
殿下は日に日にカリスマ性に磨きがかかっている。あと5年もすれば王冠に相応しい能力を手に入れられるくらいにはね。カールスバート戦争の時のあの我が儘娘が、どうやったらこんな風になるのかと不思議に思うよ。
「殿下は例外。あの方は規格外だ」
「それは同意するよ」
「だったらこれも同意しろ。お前はエミリア殿下に劣る存在だ」
「……あー、うん。そう言われるとなんか悲しくなるな」
「事実だろ?」
「まぁね」
俺みたいなオッサンはどう頑張っても、成長期真っ盛りの殿下に追いつけない。だからその立場に甘んじて最善ではない道を突き進め。ラデックが言ってるのは多分そう言うことだろう。確かに、その道が最悪じゃなかったら別にいいか。
「なんだかラデックがお兄ちゃんみたいだな」
「何を今更な事言ってんだよ。俺はお前より6個も年上なんだぞ?」
この時俺は「ラデックより俺の方がもっと年上なんだぞ」とは当然言えなかった。けど、それ以上に思いもしなかった。
兄を持つとしたら、こういうのが良いのかね?
「さ、お前はそろそろ帰れよ。さすがにこれ以上ここでサボってるのは最悪の道だと思うぞ?」
「おっと、そうだな。ラデックの仕事の邪魔をするのはこれくらいにしておかないと、ここの基地司令に怒られる」
「確かに邪魔だったな。じゃ、さっさと帰れ」
「言われなくても……って、あれ?」
違和感に気付いたのはその時だ。
駐屯地の廊下を、慌てた様子で走り抜ける兵士が多い。何か緊急事態でもあったのだろうか。
そしてその数秒後、1人の人物が俺の下に――いや、正確に言えばラデックの下に――駆け付けた。階級章を見るに伍長だが、それ以上に彼は慌てていた。
「ノヴァク大尉、御歓談中失礼します!」
「あぁ、いや、大丈夫だ。それよりどうした?」
「緊急事態です。基地司令が至急作戦会議室に集まれ、とのことです」
「……? 何があったんだ?」
「はい。実はですね……」
その伍長が語った緊急事態の内容は、ラデックが持っていた書類の束を床に落とす程の、そして俺の言語中枢を一時的に機能停止させる程の威力を持っていた。
近衛師団第3騎兵連隊第3科長サラ・マリノフスカ少佐が、叛乱未遂の容疑により王国宰相府国家警務局に指名手配されたと言う情報だった。
大陸暦637年8月20日14時20分の事である。




