軍事査閲官の日常
「まぁ、これ以上の経費削減は無理だと思いますよ。現状でも足りてないのに」
「そうですか……」
クラクフ駐屯地を視察している軍事査閲官エミリア大佐は、士官学校時代の友人であり当駐屯地の補給参謀補であるラスドワフ・ノヴァク大尉に根掘り葉掘り聞いていた。駐屯地内の現状や財務状況などは本来であれば聞きづらい、話しづらい内容である。だがそこは友人である2人、隠し事は一切なしに面と向かって話し合っている。
その事情をよく知らない周囲の者は、方や王族で最年少大佐、方や一介の大尉に過ぎない士官という2人の会話をハラハラしながら聞いているのだが。
「ここに来てからまだ数日なのでまだ何とも言えないですけど、欲を言えばあと2割程予算を増やして欲しいですね。勿論これはエミリア殿下……失礼、大佐の管轄ではなく軍務省辺りの仕事でしょうが」
「殿下でも大佐でもどちらでも構いませんよ。なんだったら呼び捨てでもよろしいです」
「いえ、恐れ多すぎるので遠慮しておきます」
エミリアらは友人と雑談を交えながら仕事の話をしている。そしてエミリアの目の前にいるこの男は、ユゼフと違って手際よく仕事をこなしながら会話をしている。
「話は戻しますが、やはり財政面の改善は文官に任せるしかないでしょう。軍隊は物を売買する組織ではありませんので」
「そうですね……あるいはマヤ辺りに相談して、間接的に総督閣下に意見を通しましょうか……」
エミリアが言ったのは、マヤが総督にして兄であるヴィトルトに家族として意見を言えば問題ないのではないか、というものである。貴族特有の意見の通し方ではあるが、確かにこの方法は確実性がある。問題は、あまりにも特権的なやり方で少し良心の呵責があるということだろうか。
「いずれにしても、補給参謀補という立場から言わせてもらえば、この駐屯地のみならず軍関係の経費削減は無理でしょう。今頃軍事参事官殿の執務机の上には予算増額申請書が溜まっているはずですよ」
ラデックのその予想は、正鵠を射ていた。
この時ユゼフは、ツェリニ収容所の増額申請のみならず複数の施設・部隊からの陳情を多く処理していたのだから。
「わかりました。貴重なご意見ありがとうございます」
「いえいえ。小官如きの意見で良かったら、いつでも言いますよ」
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補給参謀補を始め、クラクフ駐屯地の幹部達との会談を終えた後、エミリアはサラ少佐に会おうとした。しかし、それは叶わなかった。ラデック曰く、
「マリノフスカ嬢……いやマリノフスカ少佐は、近衛師団第3騎兵連隊はこの駐屯地にいる警備隊を巻き込んでの訓練の真っ最中です。新任少佐なのに訓練を統括する第3科長になってしまって、少佐は暇がないみたいですよ」
とのことだった。エミリアは落胆しつつ、待機していたマヤと共に駐屯地を出て馬車に乗る。
そのまま総督府へ帰る……と思いきや、エミリアは途中で馬車を止めた。
「どうしました?」
「い、いえ。少し買い物をですね……」
エミリアが馬車を止めたのは、クラクフの中心から少し外れた場所にある庶民向けの市場だった。
どう考えても、エミリアのような王族が買い物をする場所ではない。
「……『大佐』殿。何を買うつもりか聞いても?」
マヤは、周囲の人間に彼女が王族だと気づかれないよう「大佐」という言葉を強調した。エミリアが庶民として市井の様子が見たいのではないか、そう思ったのである。だが、マヤから見たエミリアの様子は少し変だった。
「え、えっと……ユゼフさんに、その……贈り物をしようかと」
エミリアが頬を赤らめながらそう言ったのを、マヤはハッキリと確認したのである。
思えば彼女は16歳。普通であれば恋のひとつやふたつする年齢である。その相手が、エミリアを陰から支え、そして今でも参事官として彼女を補佐している同年齢の男子だとしても、別に可笑しくはない。
が、その結論に至ったマヤがそれを安易に受容できるかと言えば話は別である。
「……大佐、お気持ちはわかりますが余り事を急ぐのもどうかと思います」
「し、しかし、あんなにお世話になったのに、昇進も何もないのではユゼフさんが可哀そうです。せめて任務を与えた私が彼の功を労わなければ……」
「……あ、そっちですか」
マヤの誤解は、ほんの数秒で解けた。
エミリアは、情報的支援を行ってくれたユゼフが勲章も昇進も金一封さえも与えられなかった事を心配したのである。だからこそ、異国の地で孤軍奮闘してくれた彼に対して、エミリア自身がその功績を讃えなければならない。そのために、何か贈り物がしたいということだった。
マヤが考えていたような不純な動機はなかったのである。
「どうしましたか?」
「い、いえ、なんでもありません大佐殿」
ややせっかちな副官は何事もなかったかのように一度咳をすると、改めてエミリアに何を買うのかを聞いた。
「殿方に贈るには何が良いかわかりません。マヤ、わかりますか?」
「んー……そうですね……」
マヤには2人の兄がいる。当然マヤもその兄に対して贈り物をしたことがある。王国の中でも指折りの力を持つ公爵家の令嬢らしく高級な贈り物をしていた。
だが、今回の場合は相手は平民である。あまり高級な物を贈っても扱いに困るだけだ。
「普通は、実用的な物を贈りますね。男は思いが込められた物より、実用的な物を好む……と言うのは兄の言葉ですが」
「なるほど、実用的……だとすれば時計とか……でもそれは高いですし……」
この時のエミリアはやや不審だったかもしれない。前ではなく地面を見ながらぶつぶつと呟きつつ歩く姿は、彼女が美少女と呼ばれる容姿を持つ者で、そして軍服を着ていなかったら確実に通報されていただろう。
そして数分彼女は人通りの多い市場を歩き、そしてある店の前で足を止めた。
「陶器店……これにしましょう」
「なるほど。確かユゼフくんは珈琲派でしたね」
「そう言うことです」
彼女らは店に入ると、中は多くの陶器で埋め尽くされていた。陶器の名産地とよばれる地域で作られた小洒落たティーセットから、クラクフスキ公爵領で作られた大皿まで様々である。
だが高級な物は選べない。今回は、平民にとっては無理をすれば買えるかも、という値段の物を選ばなくてはならず、それは王族と公爵令嬢である彼女らには難しい事だった。
そして彼女らは店長の勧められるがままに、陶器生産で有名なカールスバート共和国製のコーヒーカップを購入してしまったのである。しかも、エミリアとマヤの分を含めた3つ。
「……所謂『お揃い』というものでしょうか」
「そう、なりますね」
結局、恋人に贈るような物になってしまったな、とマヤは心の中で呟いた。




