問い
「久しぶりだね、ベルクソン」
「久しぶり、ワレサ大尉」
オストマルクからの使者はジン・ベルクソン。かつて内務省高等警察局に拘束されていたシレジア人男性。歳は俺と同じで、たぶん友達。……友達だよね?
「にしても使者がベルクソンとはなぁ……」
「意外か?」
「いや、そうでもないな。俺とフィーネさんのことをよく知っているオストマルクの人って言ったらベルクソンかアンダさんしかいないし」
「そうだな。それにアンダはジェンドリン男爵邸勤務と考えると、俺に絞られると言うわけか」
「そういうこと」
ベルクソンの正式な身分は、オストマルク在クラクフ領事館の二等書記官。つまり外交官の端くれだ。
ベルクソンがシレジア大使館に、つまり俺に保護された時、彼はそのまま帝国外務省に身柄を引き渡された。内務省と資源省の不正事件の証人として扱われ、そして事件が終わりを迎えた頃、フィーネさんの献策で外務省勤務となったのだ。
そして今は善良なる帝国臣民として、クラクフにあるオストマルク領事館勤務となり俺と情報交換をする役を仰せつかった、ということ。
それにクラクフスキ公爵領総督府にリヴォニア人が出入りしていたら目立つだろう。同じシレジア人なら、クラクフの住民だと思われてさほど警戒はされない。さすがフィーネさんと言うべきか、それともまたリンツ伯爵あたりの力添えだろうか。
「もう少しオストマルクに居たかったな。そうすれば、フィーネさんの士官学校卒業式見れたかもしれないのに」
「卒業式の時だけ行けばいいだろう」
「そんな暇はないよ」
俺はとりあえず現状をベルクソンに伝える。いつもの5人組がなぜか同じクラクフ勤務で、エミリア殿下は軍事査閲官、俺が軍事参事官であることなど。
にしても、ベルクソンは独房に入っていた時とは見違えるほど元気になっている様子だ。ケガの跡はないし、みなりもキチンとしているせいか結構ハンサム顔になっている。羨ましいね。
「そう言えば、クロスノはどうだい? なんか変わった?」
「いや、特に何もない。強いて言えば、皇帝代理総督が代替わりして外務省派貴族になったくらいだな」
相変わらずリンツ伯爵は頑張っているご様子。本当怖い。
「あ、そうだ。ワレサ大尉。手紙を預かっていますよ」
「手紙? 誰からです?」
と聞いてみたもののベルクソンはその問いに答えてはくれなかった。ただ懐から手紙を一通出して俺の目の前に置いただけだ。読めばわかるってことかな。
特に疑問も持たず開封。ちなみに封筒には何も書かれていない。
「…………なんともまぁ、彼女らしいというかなんというか」
差出人の名前はリゼル・エリザーベト・フォン・グリルパルツァー。オストマルク帝国勅許会社「グリルパルツァー商会」の現社長の令嬢。そして我が友ラスドワフ・ノヴァクの婚約者。爆発しろ。
「なんて書いてあったんだ?」
「ん? あぁ、簡単な話だよ。『代金が未払いです』ってね。要は督促状です」
「代金……?」
と言っても代金は比喩だ。これは「東大陸帝国軍の情報を教えてあげたんだから、そっちもちゃんとシレジア市場開放の約束守ってね(はぁと)」という意味である。はいはい、わかってますよ。
まずはエミリア殿下かマヤさんに言って、とりあえずクラクフスキ公爵領の経済開放を行う。いきなり王国全体でって言うのは大公派や財務尚書が五月蠅いだろうしね。
「良いのか? そんなにホイホイ市場開放なんてしちまって」
「良いんだよ。そもそも外資がないと今後の発展は不可能だからね」
グリルパルツァー商会は貿易業。だとすればグリルパルツァー商会の得意分野だけ狙い撃ちで関税を引き下げるのが良いかもしれない。かなりゲスいと思うけど。
あとは……そうだな。シレジアはオストマルクより物価が低い。ということは人件費や土地代が安いということだ。工場の生産性は工場の規模と工員の数だけが頼り。となれば1人当たりの給与が低いシレジアで工場を建ててしまえば……世界の工場シレジアの完成だな! その中で技術革新が起きれば万々歳だ。
まぁ、でも最終的な決定権は民政長官か総督にしかない。あくまで提案するだけだ。それにこれをやって何かしら問題は起きるだろう。経済の専門家じゃない俺がああだこうだ悩んでも仕方ないし。
「とりあえず『エミリア殿下とよく相談の上で決めたいと思います。近日中に結論が出ると思うので、しばらく待ってほしい』と伝えておいて」
「わかった」
やれやれ。これは明らかに軍事参事官の仕事じゃあないな……。
「そうそう、東大陸帝国の情報も入っている。未確認の部分も多いが、聞きたいか?」
「勿論」
「わかった。いつも通り、リンツ伯爵からの情報だが……」
もたらされた情報を要約すると、東大陸帝国皇帝イヴァンⅦ世は重病だと言うことだ。そして皇帝の代理として、帝位継承権第一位のセルゲイ・ロマノフが帝国宰相の地位について国政を壟断しているらしい。
そして今回の春戦争によって帝国軍三長官は全員が辞表を提出。だが、シレジア侵攻に慎重だった軍事大臣レディゲル侯爵は慰留され、その地位に留まっている。それどころか元帥に昇進したそうだ。
これで軍事大臣レディゲル侯爵は皇太大甥の味方だということは分かった。あとは何を目的として動いてるかが問題だな。
「軍令部と帝国軍総司令官職の後任はまだ決まっていないそうだが、恐らく皇太大甥派貴族で占められることは確実だろう。何せ今回の戦争で皇帝派の貴族は戦死するなり発言権がなくなるなどしててんやわんやだそうだからな」
「でしょうね」
まさか、レディゲル侯爵はシレジアが勝つことを見越して政敵を最前線に立たせて戦死させたのだろうか。俺はオストマルクでクーデンホーフ侯爵の掌の上だったけど、もしかしたらシレジア王国軍はレディゲル侯爵の掌の上だったのかもしれない。
そう思うと寒気がするな……。
「それともうひとつ面白い情報だ。皇太大甥が、今回の春戦争だっけか? の時に前線に立ってそれなりの武勲を立てたらしい」
「ほう……?」
「と言ってもこれは噂だが」
……噂、か。たぶん本当だろう。確証はないけど。
でもそうなると、セルゲイは少なくとも軍事方面には詳しい皇帝にはなるということか。怖いな……。
「ま、これが今の所俺が持っている、もといリンツ伯爵が持っている情報だ。なんか質問は?」
「そうだな。特にないかも。……いつもいつも、情報面では伯爵に頼りっぱなしだな」
そろそろ自分たちで集めなければならないだろうけど、どうも我が王国は情報戦に弱いみたいだし……。
「良いじゃないか。頼っても」
「いや、ダメだ」
このままオストマルクに頼るのはダメだろうね。いろんな意味で。
「なぜだ?」
「昔々、どっかのお偉いさんが言った言葉がある。『大国を頼り切ることは、大国に逆らうのと同じくらい危険なことだ』とね」
オストマルクに頼り切れば、シレジアは事実上オストマルクの属領になってしまう。シレジア分割は免れたけどオストマルクに併呑されました、っていうのはちょっとね。
「なるほど。確かにそうかもしれないさ。でも、シレジアがオストマルクを頼る以外、何か他に生き残る道があるのか?」
「ベルクソンの言う通りだ。今の所はそれ以外に道はない。でもだからと言ってその道を進み続けなければならないと言うわけじゃないのさ。道がないなら自分で道を切り拓くだけ、その準備をしようとしているのさ」
とりあえずオストマルクとの友好関係を維持しつつ、他国との関係も改善を図る。その際に重要になるのが、オストマルク情報省設立構想みたいなものがシレジアにも必要になるだろう。
「……なぁ、ワレサ」
この時初めてベルクソンが俺のことを呼び捨てにした。彼の顔が結構マジだし雰囲気も神妙だ。
どうした。
「なんでお前はそんなに頑張るんだ?」
「なんで、って?」
「お前は16歳だ。それでいてこんなにも祖国に尽くしてる。どう考えても普通じゃないだろ」
「それを言ったらベルクソンも俺と同い年の癖に結構頑張ってるじゃん」
「良いんだよ。俺は命の恩人に恩返しをしたいと思ってるだけだからな」
うーん、ベルクソンって義理堅いな。そのうち俺にも恩返ししてくれるのかしら。
「でも、お前は違う。昇進が見送られても、それをどうとも思ってないように見えるが」
「確かに、俺はどうとも思ってないね」
「じゃあ、どうしてそんなことをするんだ? 本来の評価をされてるとは思えないのに。なぜワレサはそんなことをするんだ?」
ベルクソンはもう一度俺に問いただした。肘を膝に置いて、前かがみになって。
こういう状態でおどけて誤魔化しても仕方ないか。正直に答えよう。
「決まってるだろ?」
俺は正直に、隠し事もなしに彼に答えを告げる。
結構恥ずかしかった。




