軍事参事官の日常
エミリア殿下、もとい軍事査閲官殿とその副官のマヤさんは、ラデックやサラがいるクラクフ駐屯地の視察に行くとして総督府を後にした。その間、留守を預かった俺は軍事参事官として事務処理を行わなければならない。
軍事参事官として処理できる案件はすぐに取りかかり、軍事査閲官のサインが必要な仕事は、自分の頭の中で要約して覚えておいてエミリア殿下の負担を減らす。
殿下のスケジュール管理はマヤさんの仕事だから、もしかしたら次席補佐官時代より楽かもしれない。そして何より、政敵であるスターンバック准将のパシリより、親友であるエミリア殿下の手伝いの方が気合が入るのは当然だろう。
とは言っても、戦後ということもあって仕事量は多い。
「次は……『ツェリニ捕虜収容所の予算追加要請』か」
東大陸帝国軍の捕虜5万人は未だシレジアに多くいる。今後の帝国との停戦交渉における材料とするためなのだが、財政難に喘ぐシレジア王国では臨時に建てられた捕虜収容所の管理経費が重く圧し掛かっている。この経費もいずれ帝国に払わせられるのだろうか。
いっそヴァラヴィリエの割譲は諦めて賠償金をたくさんふんだくれば良いのに。そしたら少しは楽になるだろう。
「……ツェリニ収容所は、元々は確か一般刑事犯の刑務所だったような」
財政難のシレジアは、刑務所を捕虜収容所に転用することによって経費削減を狙っている。その効果は確かにあったようだが、別の問題が噴出しているのだ。それが「刑務所の中が捕虜でいっぱいだから刑事犯が入れません」問題である。
これによって裁判所が「え? 刑務所空いて無いの? じゃあこいつ大した事してないから減刑して罰金刑だけにするね」ってことが起きちゃうのである。本来なら懲役刑になる凶悪犯が罰金刑や執行猶予で済まされて市井に放たれる。恐ろしいったらありゃしない。
今回のツェリニ捕虜収容所、もといツェリニ刑務所はクラクフスキ公爵家が維持管理している私設収容所である。資料によると定員は1200名。だが捕虜を養うために無理無理に詰め込んでいるため、今は2000人が狭い収容所の中で暮らしているそうである。
だが収容所の予算はこのままの状態だと今月中に使い切ってしまうほどしか渡されていないらしい。一応、国からは補助金が出てはいるみたいだが、焼け石に水だ。
……うーむ、結構重大だな。まさか刑事犯や捕虜を釈放しろと言えるわけでもなし。
参事官に予算執行の権限はない。俺に出来るのは、どれくらい予算を増やせば年度内でギリギリ足りるかを計算することだけだ。あー、もうだめ。電卓が欲しい。この際は算盤でもいい。
次席補佐官時代ならここで本当に仕事を投げ出しただろうが、今はエミリア殿下にいい所を見せたい純情な男心があるので頑張って計算する。
十数分の格闘によって概案が完成。後はエミリア殿下にこれを渡して話を詰めるだけだ。
その後数時間で5件程の仕事を終わらせる。と言っても後で殿下のサインが必要なものなので正確には終わりじゃないのだが。
「疲れた……」
もうゴールしてもいいよね……。
と言ったところで執務室の扉がノックされた。
「お仕事中失礼します。大尉殿」
「んにゃ、大丈夫。ちょっと休んでたところだし。で、どうした?」
入ってきたのはエミリア殿下の従卒兼俺の従卒のサヴィツキ上等兵。でもエミリア殿下にはマヤさんが居るので、殆ど俺の従卒になっている。
女の子の従卒が良かったなー、と思わなくもなかったがマヤさん曰く「女性は基本的に尉官以上しかいないぞ?」とのことである。たかだか大尉の身分で尉官の従卒を求めるのは可笑しいので、従卒候補の中で一番若かったサヴィツキ上等兵に任せた。今年で19歳らしい。
「ワレサ大尉に面会を求める者が総督府入口に来ておりますが」
「面会? そんな予定あったっけ?」
「いえ、約束はしていないと言っておりました」
アポなしで、俺に会いに? エミリア殿下とかならともかく、俺に会いに来るって誰?
「どこの馬の骨の人だい?」
「オストマルクからの使者である、と大尉に伝えればわかると」
あ、わかった。いや具体的に誰だかわからないけど何の用かわかった。
「その人を隣の応接室に通してください。あとコーヒーよろしく」
「わかりました」




