百合座
後任のクランスキーに業務の引き継ぎをしたり各所の挨拶をしたりで早くも7月20日に。
溜まった仕事をさっさと片付けなきゃ……って勢いで仕事してたら後任が意外と優秀で事務を滞らせるどころか、俺が情報収集と称してサボってた時期の仕事まで片付けられてしまった。つまり暇になった。嬉しいような悲しいような申し訳ないような。
そのせいかやることがなくなって大使館内をウロウロするしかなくなったんだけど、そんな俺を見たスターンバック准将が
「邪魔だ。もう22日まで休みでいい」
と仰られたので、これ幸いにと俺は全力でサボることにした。
まぁ、本当にサボるわけにはいかないのだが。業務の引き継ぎが終わったと言っても、それは大使館内業務だけだ。まだフィーネさん達の方は終わってない。
と言うわけでいつも通り喫茶店「百合座」でコーヒーを飲みつつその人物を待っていた。のだけど、いつもより遅いな。よくわからんけどフィーネさんって30分以内に現れるのに今回は1時間経っても来なかった。
忙しいのかな。それもそうか。彼女だって予定の1つや2つもあるだろうし。もしかしたらその辺の男に口説かれてランデブーでもしてるかもしれない。
後10分待って来なかったら大人しく観光でもするかな、と思った時に、ようやく見知った人物が俺の目の前に現れた。
「相席、失礼するよ」
俺の断りもなしに勝手に座って、そして勝手に注文。店員は当然の如く俺の会計伝票に注文を加筆する。いやいやまさか俺に支払わせようと言うんじゃないかね。
「娘がこの店の焼き菓子が美味しいと言っていたので。少し気になって私も来てみたんだ」
と、言うわけで今回のゲストはフィーネさんの父親のローマン・フォン・リンツ伯爵です。
リンツ伯爵は運ばれてきたショートケーキに舌鼓を打っている。ふむ。すごい絵面だな。伯爵にケーキって似合わないってレベルじゃねーよ。
って、そんなことはどうでもよろしい。
「大臣政務官で調査委員会の委員長がこんなところで油売っていても良いんですか?」
「大丈夫さ。私の部下は優秀だからね」
そりゃ良かったね。で、なんでここに来たの? まさか本当に菓子を食いに来たわけでもあるまいし。
そんな俺の疑問を感じ取ったのか、リンツ伯爵は紅茶を飲みつつ答えてくれる。てかリンツ伯爵家は親子揃って紅茶派なんだな。
「あまり時間がないから手短に言おう。ワレサくん。私の部下になる気はないかね?」
「ないです」
俺は間髪入れず即答する。
「私が上司じゃ不満か?」
「不満ではありませんけど、伯爵か王女かと問われれば王女を取るのは当然です」
「明瞭でよろしい」
お褒めいただいた。口調から察するに冗談半分、本気半分だったのだろう。が、次に発せられるリンツ伯爵の言葉は冗談3割、本気7割だった。
「では『フィーネを嫁にやる』と言ったらどうする?」
「……はい?」
え、なにそれどういうこと。
「君がフィーネと結婚すれば伯爵令嬢の夫となる。私が皇帝陛下にお願い申し上げれば、帝国子爵位くらいなら下賜されるやもしれない。これは君にとって悪い話ではないと思うが?」
「……シレジア人が爵位を戴いても良いんですか?」
「ん? 大丈夫だよ? 別にリヴォニア人しか叙勲されないという決まりはないからね。確かに前例はないが、もし君が我が国初の非リヴォニア人貴族となれば、良い前例が出来るし国内の民族問題解決の一助となるはずだ」
なるほど。つまりこの提案は帝国にとっても俺にとってもWin-Winなものだってわけね。なんとも伯爵らしい。……でも、やっぱり俺の答えは決まってる。
「大変ありがたい話ですが、辞退させていただきます」
「どうしてだい?」
「私自身、貴族になる気がないですし、それに貴族社会は何かと面倒でしょう? そんな所に好き好んで入り込みたいとは思わないので。それに……」
「それに?」
「それに、フィーネさんの意思がわかりませんので」
彼女の意思とは関係なく俺の所に来られたら罪悪感で死ねる。というか俺と彼女が結婚ってどうも想像がつかないんだが……。
「意思、か。確かに私は娘の意思を確認していない。だが、それでもフィーネは三女だ。貴族社会において爵位を継がない娘は政略結婚の道具になる。いずれ彼女の意思とは関係なくどこぞの家に嫁ぐだろう。それよりも、ある程度親しいものと結婚すれば彼女の負担も減ると思うが?」
うーん。正論だな。確かに知らない性的倒錯趣味を持った下劣な貴族の所に行くよりかは俺のところに来た方が……って、いやいやいや何考えてるんだ俺。人をそんな、ねぇ?
「確かにそうかもしれませんけど、そもそも伯爵はフィーネさんを手放す気があるのですか?」
「……ほう?」
ふむ。言ってみただけだけど、反応から察するにどうやら当たりらしい。
「フィーネさんは優秀な人材です。それを政略結婚だなんて事に使うのは勿体ない、と伯爵もお考えなのでは?」
たぶんフィーネさんは独力で高級官僚だか高級士官になれる器がある。そんな娘を嫁に出してしまうのはダメだ。そんなことするくらいなら伯爵がハッスルして新しい娘を作った方が良い。
「ふっ。君の言う通りだ。確かに私はフィーネを君以外の者にやるつもりはない。今の所はね」
いやそこは俺にやるって部分も否定してくれませんかね。反応に困るから。
「さて、どうしたものかな。私の部下もダメで、フィーネもダメと来たら、私には手の出しようもないが」
どうだか。
本気になれば俺を無理矢理拘禁して言うことを聞かせるってことも出来るだろうに。そこは俺の自由意思に任せてくれてるってことだろうか。
「何か良い手はあるかな、そこの御嬢さん?」
「えっ?」
伯爵はいつの間に俺の後ろのテーブル席についていた客に話しかけた。って、どっかで見かけた事のある後姿ですね。
「お父様。何を話しているのですか?」
「おや、こんだけ近くにいたのだから全部把握してるだろう?」
そこに居たのはリンツ伯爵の娘、つまりフィーネさんだった。
「いつからそこに?」
「大尉がこの店に来る10分程前から」
なん……だと……?
え、つまりさっきの話聞かれてたの? 全部? 余すとこなく? やだ、恥ずかしいってレベルじゃないんだけど……。
「どうやら私は大尉にフラれてしまったようですね」
フィーネさんは紅茶が入ってるであろうカップを持ちながら会話している。俺に背を向けたままなので彼女が今どんな表情をしているか察することはできない。
「え、あの、いやそれは違くてですね……」
「おや、大尉は私を口説いているんですか?」
「あー、違いますけど、なんていうか、あのー……はぁ、もういいや」
諦めた。もうどうにでもなれ。もう俺は帰る。無論会計伝票は置いたまま。今日は伯爵の奢りだからな!
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ユゼフが百合座を去ってから数分後、その父娘は席を移動することなくただ目の前にある紅茶を消費し続けていた。
「フィーネは、ワレサくんのことをどう思っている?」
「優秀な人だと思います。さすが16歳で大尉というだけはあります」
「いや、そうじゃなくて」
「?」
「彼の事、異性としてどう思っているのか聞いているのさ」
リンツ伯爵は、少しおどけた口調で彼女に聞いた。年頃の娘に対する質問としては愚の骨頂だが、そんなことは彼には関係なかった。
「…………別にどうも思っていませんが」
フィーネは努めて無感動にその言葉を言ったが、その努力は彼女の父親には通じなかった。
「ふっ。そうか。ところでフィーネ」
「なんでしょうか?」
リンツ伯爵は立ち上がると、ユゼフと自分の会計伝票、そしてフィーネの会計伝票を手に取りながら、娘に言い放つ。
「いつまで空の紅茶の味を愉しんでいるんだい?」
「…………」
リンツ伯爵は言うことを言った後、会計を済ませて店を出た。
「………………」
一人残されたフィーネは、店員に紅茶のおかわりを頼んだ。
そして紅茶を運んできた店員は、顔を真っ赤にした彼女を見た。




