新たなる時代へ
「それで、全ては大尉の台本通りということですか?」
6月29日。つまりオストマルク外務省が非難声明を発表してから約1ヶ月、シレジアが東大陸帝国と休戦協定を結んでから2週間ちょっと。
シレジアの情報収集がしやすいという理由から、大使館に帰らずにいつまでもクロスノで食っちゃ寝してたらフィーネさんから呼び出しを受けた。休戦協定に関する追加情報が来たとのことだ。
で、開口一番これである。
「フィーネさんが私のことをどう思っているのかはだいたい想像つきますけど、私は超能力者じゃないのでそこまで状況を操ることはできませんよ」
「そうですか? でも東大陸帝国軍が飢餓に陥りかけた途端、芸術的時機で非難声明が現地に届きましたよね? あと数日前後していたら、こんな有利な協定にはならないと思いますが」
そう言って彼女は手に持っていた資料を机に叩きつける。
俺がそれを拾い上げて読んでみたが、まぁなんともシレジア有利な条件だ。
占領地の放棄だけではなく、旧シレジア領ヴァラヴィリエの軍の駐屯禁止。さらには捕虜にされた帝国軍将兵7万強はその一部しか解放されず、だいたい5万人程はシレジアに抑留されたままだ。今後の停戦交渉において政治的材料にするつもりだろう。体のいい人質だな。
このまま停戦条約締結の交渉が進めば、ヴァラヴィリエの割譲は確実に認められる。ルダミナの割譲については、確率半々と言ったところだろうか。賠償金については何とも言えない。
東大陸帝国にとって不利な協定となった原因は二つ。
一つは、王国軍が帝国軍の補給線を断ったことにより、帝国軍は数日で飢える羽目になったこと。つまり現地駐留軍にとって交渉の引き伸ばしや本国政府に相談と言った手段が使えず、交渉の余地がなかったこと。
そしてもう一つは、オストマルクの非難声明によって東大陸帝国が二正面作戦を強いられる可能性があったこと。最悪三正面、四正面作戦もあり得たかもしれない。ヴァラヴィリエとルダミナという辺境地域に固執するあまり、もっと広い領地をオストマルクに取られたら意味がない。
恐らく東大陸帝国の事実上の降伏条約が数ヶ月以内に結ばれることになるだろう。
非難声明の伝令が、もし王国軍の補給線破壊作戦の前に帝国に伝わっていたら、帝国は焦らずじっくり交渉を行うことができたはずだ。
では非難声明の伝令が、補給線が断絶して帝国軍がアテニから完全に撤退した後だったらどうだろうか。その場合、やはり帝国軍は補給が回復しているし、アテニに再攻勢を掛けることも可能だった。その状況で割譲が要求できるわけがない。
どちらにしても、原状回復の休戦協定が結ばれただけだろう。
フィーネさんが「芸術的な時機」と評したのも頷ける。数日前後していたら、協定は単なる白紙和平となり、国力を大幅に削ったシレジアの判定負けになってただろうな。
で、フィーネさんはこんな結果になったのは俺が全部仕組んだからじゃないか、と疑ってるらしい。
そうだったら面白いだろうけど、残念ながらこれは偶然と言わざるを得ない。帝国の伝令が補給線が断たれた後にアテニに着くことが出来る程有能じゃないんでね。
むしろ、俺の報告書を受け取って非難声明が近々発動すること、その報が伝わる前に帝国軍に対して戦術的勝利を得て有利な講和に持ち込もうとしたエミリア高等参事官の策謀じゃないかと俺は疑ってるわけだが……考え過ぎだろうか。
「それはともかく、大尉の台本の続きを是非拝聴したいものですが?」
「そんな大それた物は持ってませんよ。予想外の出来事ですから」
「怪しいですね」
いや、本当に信じてくれませんかね。フィーネさん俺を過大評価しすぎだから。
「大尉のせいで、こちらの台本まで滅茶苦茶です。まさか大尉、これでシレジア大勝利めでたしめでたしだとは思ってませんよね?」
「……思ってませんよ。さすがに」
今回の戦争、たぶん単なる国境紛争で終わらない。具体的にどうなるかわからないけど、大陸のパワーバランスを大きく揺るがすかもしれない。小国の勝利は大国の警戒と報復を招くとも言うし、油断はできないな。
「……まぁ、それは将来のこととしておきましょう。状況と情報が落ち着くまでは何もできませんから」
「そうですね。とりあえず、そろそろエスターブルクに戻る準備でもしますかね」
さすがに2ヶ月半も理由なく本来の勤務地から離れるのはまずい。いや一応ベルクソン事件の後始末と言うことになってるけど。
「その前に、大尉にいくつか情報をお渡しします」
「まだあるんですか?」
「えぇ。東大陸帝国と、我がオストマルク帝国についてです。どちらから先に聞きたいですか?」
「……では東大陸帝国の方から」
休戦が発効したからと言っても、正確にはまだ戦争中ってことになってる。当然シレジアの動員令は解除されてない。だから敵国の情報は少しでも集めないとな。
「あぁ、そんなに重要な情報ではありませんよ。肩の力を抜いてください」
「あ、そうなんですか」
なんだ。戦争とは関係ない情報なのかな。
「去る5月29日、今回の戦争の原因のひとつとなった皇帝イヴァンⅦ世の孫娘エレナ・ロマノワが出産しました」
「ほう……。それで、性別は?」
「身体に何の障害を持っていない、健康な男児だそうです。名前はヴィクトル・ロマノフⅡ世」
「……そうですか。皇帝は無理して帝位継承規則を変えた意味がありませんでしたね」
自分の曾孫を帝位に着かせたいと謀略を張り巡らしたのに、その悉くをシレジアや天運に邪魔されて無駄骨になったわけか。ちょっと皇帝が可哀そうだが……。
「その皇帝も敗戦の報を聞いた直後に床に伏している、という未確認情報があります。残り僅かでしょう。そして皇帝もそうですが、皇帝派貴族も敗戦で権威を失ってしまいました。この男児は恐らく幸福な人生を歩むことはないでしょう。その母親も」
「……そうですね」
イヴァンⅦ世はセルゲイ・ロマノフの継承権を剥奪しなかった。あくまで女児にも継承権を与える、混乱を生まないために継承順を変えることはしない、とした。その上でセルゲイを謀殺しようとしたんだろう。
でも皇太大甥が死んだ、という情報は入ってきてない。だとすればほぼ確実に彼が帝位を継ぐ。
そして彼にとって、この生まれてきたヴィクトルⅡ世と言うのは赤子と言えども政敵。反抗勢力がヴィクトルⅡ世を担ぎ出して内戦となる前に手を打たなければならない。セルゲイの人となり次第だが、良くて辺境に流刑、最悪生後数ヶ月で殺されるだろう。
生まれてくる子供に罪はない。だがそれが分かっていても、俺には何もできないしな……。
「後はセルゲイがどのように帝国を統治するか、ですね」
「これも今は判断ができませんね。東大陸帝国の内情に介入できる実力もコネもありませんし」
それがあるの、残念ながらシレジアじゃ親東大陸帝国派のカロル大公だしなぁ……。
まぁいい。それも今は置いておこう。
「それで、オストマルク帝国の情報というのは?」
「これも大した情報と言うわけではありません。二つあるのですが、一つは皇帝陛下が『拷問禁止法』を提案したことです」
「……それは、文字通りの法律で?」
「無論です。拷問で得た自白は証拠としてはならない、という法律になるようです。皇帝陛下からの勅令でありますから、恐らく近いうちに制定されますね」
「随分と思い切りましたね。治安当局からの反発はなかったんですか?」
「その真っ先に反発しそうな高等警察局は、現在権限剥奪中ですので」
「なるほど」
どうやらフェルディナント……なんとか皇帝陛下はそれなりに優秀らしい。こうも思い切った内政改革を実行できる、しかも皇帝でも介入しにくいだろう治安機構の改革に踏み切るなんてね。それとも、これもリンツ伯爵の差金だったりするのだろうか。
「そしてもう一つ。今回の件について皇帝陛下から直接、ジン・ベルクソンの無罪が言い渡されました」
「無罪? それは民衆煽動罪に問われることはないと言うことですか?」
「いいえ。民衆煽動罪含めて、彼が犯した罪、器物損壊、不法侵入、脱獄、これら全てに関して無罪が言い渡されました」
「……では、彼はもう刑事犯でも政治犯でもない、普通の帝国臣民になったのですね」
「その通りです」
これでフェルディナントは少数民族に対しても優しい皇帝だと認識されるかもしれない。リヴォニア系貴族の不正を告発し、貧民を救った皇帝。これで民族問題は暫く出てこないだろう。
優秀な君主を持った国か、羨ましいね。あぁ、エミリア王女が陛下と呼ばれるようになったらなぁ……。
まぁいい。とりあえず今はフィーネさんと話し合って、今後の方針と相談をしますかね。




