後方補給基地奇襲作戦
6月11日午前4時。
帝国領内に仮拠点を設けることに成功したミーゼル騎兵隊が最初にやったことは、休息だった。前日の夕刻から不眠不休で動いたため、兵の疲労は大きく、すぐに偵察行動に移ることはできなかった。
ミーゼル中佐は兵達に交代で休息の時間を与え、まずはその体力の回復を図ることに専念した。
そしてほぼすべての兵の休息が終わったのは、だいぶ日も高くなった午前10時15分のことである。それと前後して、ミーゼルは周辺の偵察を行い、帝国軍後方拠点を探し求めた。彼はその偵察が3日以上かかるものだと予想したが、その予想は大きく裏切られた。
それは同日午後4時10分。帝国軍の補給基地と思われる拠点を発見したからである。
場所は現在ミーゼル騎兵隊が設けた仮拠点から東北東に歩兵の足で半日の距離、タルタク砦からは3日の距離にあった。
「随分早いな……。それで、拠点の規模は?」
「偵察部隊からの報告によりますと、かなり大規模なものになっています。一時的に保管されている物資食糧の総量は、概算で10個師団が1ヶ月間行動できる量であります」
「流石の帝国の国力、と言ったところか」
「はい。ですが貯蔵されている物資の量に比して警備は薄いです。駐屯している兵はおそらく1個大隊から1個連隊程度とのこと」
「ほう……」
この帝国軍の補給拠点は事前の予想より遥かに大きい規模だった。10個師団1ヶ月分の物資、つまりアテニに展開する帝国軍20個師団強を2週間養えるだけの食糧がその地にあることは、作戦立案者にとっても意外だっただろう。まして、その作戦を実行していた部隊の長の驚きは計り知れない。
そしてこれほど大規模な拠点だとは思わなかったために、敵の戦力を過小評価していた。確かに偵察部隊の言う通り、物資の量からしてみれば警備は少ない。だが、それでもミーゼル騎兵隊の総数は300騎しかなく、敵が2000前後だとすると彼我の戦力差は大きい。
通常の強襲では、恐らく太刀打ちはできない。
「となると、やはり奇襲が一番か」
ミーゼルはそう結論付けたが、これは当初の計画通りである。300ばかりの騎兵が、奇襲以外の攻撃方法を持ち合わせてるわけではないのだから。問題なのは奇襲の方法となる。
ミーゼルは、傍に立っていたサラに意見を求めた。
「どうすべきかな、大尉」
「……そうですね。私としては、払暁奇襲を提案します」
「夜襲ではなく?」
「はい。夜は視界も悪く、敵味方の区別がつきにくいです。ですが朝、日の出直前であればこのような心配をしなくて済みます。それにこの時期空が白み始めるのは午前4時頃です。その時間に起きている兵など、そう多くはないでしょう」
「つまり、その時間に奇襲を仕掛ければ、敵の大半は夜襲時同様眠っており、そして我々は昼間攻撃時のように敵味方の見分けがつきやすくなって命令系統に混乱を期さない。と言うわけだな?」
「左様です」
サラの返答は自信満々だった。なぜなら、これはエミリアが提案したからである。
それは6月9日、カリニノで物資調達に勤しんでいた時にエミリアが「拠点を襲う時は日の出直前が良いでしょう」と言った。理由は先ほどサラが述べた事と全く一緒で、即ちエミリアの意見をそのまま剽窃した形となる。
だがそれが、エミリアの「せめてサラに武勲を立てさせてあげたい」という策略だったことは、この時点ではサラは気づいていなかった。
無論、そんなことを知るわけもないミーゼルは、彼女の意見にさらに改良を加えた。その改良案がどのような結果をもたらしたのかは、約12時間後に明らかになる。
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一方、ミーゼル騎兵隊の偵察部隊が報告したヴァラヴィリエ補給基地に駐屯する帝国軍3000を率いているのは、皇太大甥セルゲイ・ロマノフ少将である。
彼はバクーニン元帥からの「伝令」の任務を半ば放棄していた。それは彼の旗下の騎兵部隊がバクーニンに引き抜かれたため、彼らは徒歩で遠くにいる予備師団の下へ行かねばならないからだ。「徒歩だから伝令の日付が数日前後してもそれは仕方ないことだ」と彼は判断すると、部隊は数日このヴァラヴィリエ補給基地で休息を取っていたのである。
しかしそれも、そろそろ限界だと感じていたのも確かだった。彼は明日にでも出立し、予備兵力への投入の命令を部隊に伝えることにした。
だがそのセルゲイの下に、彼の親友クロイツァーから不可思議な報告があったのは6月11日午後5時35分のことである。
「……正体不明の騎兵?」
「はい。昨夜、タルタク砦へ向かう輜重兵が道中で見かけたそうです。その時は味方だと思い無視したそうですが、途中で野営していた友軍に確認したところ『そんな部隊は見ていない』とのことです」
「それは、妙だな。確か今日、ここに騎兵隊は来ていないよな?」
「はい。ですが敵だということは考えられない、という報告もありました。敵だとすれば隠密行動を取るはずなのに『蹄鉄が土を踏み荒らす音がはっきり聞こえた』とのことです」
「……それが我々を錯覚させる罠、と言う可能性もあるか」
「えぇ。ですが敵だとしてもいくつか納得できない点があります。どうやってココまで来たかです」
クロイツァーが指摘した点は、5月27日に王国軍高等参事官エミリア少佐が作戦会議の時に言ったこととほぼ同じである。あまりにも行動線が長く、それ故に補給の問題が起きることなど、クロイツァーはいくつか不可思議な点を列挙した。その上で、彼もこれが敵ではないと結論付けた。
だがセルゲイは彼の進言を無視し、冷静に現実を受け入れた。
「理論と相反する現実と直面した時、重視すべきなのは現実の方だ。なぜなら、相反する現実とやらがある時点で、その理論が間違っているということだからな」
「それは、そうですが……。では、敵はどうやってここまで……?」
「いや、今はそれを議論する時間ではない。今やるべきことは、この敵をどうすべきかだ」
「すぐに偵察隊を編成して、周囲を捜索させますか?」
「ダメだ。今から探してもすぐに見つける前に夜が来るだろう。それにバクーニンのアホのせいで俺らは偵察用の騎兵を持っていないのだからな」
別に歩兵で偵察ができないわけではない。ただ歩兵は足が遅いため、今のように迅速に偵察活動をしたい状況では役に立たない。また敵の規模が分からない以上、無理に偵察をしてしまえば、それが戦力分散となり各個撃破されてしまうことにも繋がりかねない。
であればセルゲイが取るべき選択は戦力を集中し、後方拠点の防備を万全にすることである。
「恐らく今夜にでも奇襲があるかもしれんな……敵はどこから来ると思う?」
「輜重兵隊の報告によれば、その騎兵集団は彼らの右方向、つまり西側に居たそうです」
「すると敵は西から襲撃してくる公算が非常に高い、か。よし。すぐに防御態勢を整えさせよう。西から来るであろう騎兵隊を迎撃するために主力を西に置く。交代で休憩を取りつつ警戒を怠らないようにな」
「ハッ!」
こうしてヴァラヴィリエの防御態勢が、王国軍の予想を裏切って築かれるに至った。
だがセルゲイの方も、王国軍の襲来を意外な長さで待ち続けることになった。




