物資調達
カリニノ行政府長レポ・ハルナックからの王国軍の通行許可はエミリアも驚くほど簡単に認められた。この作戦が立案された時、マヤが指摘した通りである。ラスキノには選択肢は少なく、そしてシレジアには大恩があるのも確かだった。
だがそれでも、エミリアは少しばかりの不安と疑問を感じ、それをハルナックに問いただした。
「中央政府の意向は、その、よろしいのですか?」
カリニノはあくまでもラスキノ自由国の中にある一都市に過ぎない。他国軍の通行許可などという重要な案件を、その一都市が認めると言うのは本来ありえない話だ。少なくとも、この国の政府首班であるゼリグ・ゲディミナスには話を通さねばならないであろう。
そのエミリアの問いに対して、ハルナックは悪びれもせず次のことを言った。
「まぁ、事後承諾と言う形になりますかな」
「……はぁ」
無論、この世界においても事後承諾は危険を伴う行為であることは間違いない。最悪の場合ハルナックの首が飛ぶ。現在の政府首班があのゲディミナスであることを考慮すると、その可能性は高い。
「王女殿下がご心配なさるのも道理。ですが、ゲディミナス閣下に話しを通したところで結論は同じです。彼も私も、貴国には大恩があるのです。どうぞお気になさらず」
彼は何事もなく、まるで夕飯の献立を決めるかのように、簡単に通行権を認めた。
そしてもうひとつ、シレジア王国軍に対する補給物資の提供についても、双方の同意が得られた。
「我が国は自由な商取引が認められています。ちゃんとお金を払ってくれるのであれば、いくらでも物資をお売り致しましょう」
とのことである。
ハルナックからの約束を取り付けたエミリア王女は、挨拶もそこそこに執務室から退室した。
6月9日。
通行許可を得たシレジア騎兵隊が国境を越えカリニノに到着。そこで物資の調達と、ささやかな現地住民との交流を図った。
だが騎兵隊は長居することなくそのまま東へ出立する。カリニノ城門付近で、騎兵隊長ミーゼル中佐は作戦の最終確認を行った。
「ラスキノ=東大陸帝国国境を越えるにあたって、我々はなるべく敵に発見されないようにするしかない。そこで、越境は夜間に行う。足音で勘付かれないよう、速度を出さずにな」
「……隊長。馬に藁沓を履かせましょう。足音をいくらか軽減できるはずです」
「そうだな。藁ならばすぐに調達できるだろう。すぐに手配してくれ」
「はい!」
帝国領へ侵入を目論む王国軍にとって、障害となるのは地形である。
シレジア周辺の地形は、その殆どが平原であり大きな起伏がない。故に山間を縫って浸透を図ると言うことができず、敵に察知されずに侵入することは困難を極める。
その察知される危険を少しでも減らすために、視界の悪くなる夜間に、足音を最小限にして越境するしかない。だが、それでも敵に察知される危険はある。
「……問題は、月齢だ」
月齢。即ち、月の満ち欠けである。月が満ちていれば当然明るく、そして欠けていれば暗い。暗ければ暗いほど敵に察知される危険性は低い。
だが残念なことに昨日――つまり大陸暦637年6月8日――の月齢はおよそ15、満月だった。
こればかりは自然の成り行き故に仕方のないことだが、ミーゼル中佐は悪態をつかざるを得なかった。
「夜間浸透するには最悪の夜だ」
「ですが、次の新月まで2週間もあります。それまで戦線が維持できるという保障がない以上、やるしかないでしょう」
「わかっている。だが、これは難しいな……。作戦決行日の夜が悪天候なのを祈るしかあるまい」
ミーゼルは彼の信じる神に祈りを捧げつつ、行軍経路の策定に取り掛かった。
一方、政治交渉を意外と早く終えたエミリア王女は、サラと買い物をしていた。無論ただの買い物ではなく、騎兵隊用の物資の調達である。即金で払うことができないので、いわゆる「ツケ」という形になるのだが。
だが年頃の女子2人に対してカリニノ一般商業地区で私的な心をすべて排除して軍務を真っ当しろ、と言える人間は意外と多くない。一方が王女だとすれば尚更である。
なので、物資の調達を手早く効率的に終わらせた2人が、作戦開始時刻まで買い物に勤しむのは仕方ないことなのだ。
「うーん……」
「どうしました?」
第15小隊隊長サラ・マリノフスカ大尉は「即断即決」を標語としている士官である。その彼女が、ある店の商品棚を凝視していた。その店はちょっとした金属細工を取り扱う店であり、展示されている商品は確かに魅力的なものばかりだった。
「はぁ……」
だが、値段が高い。
彼女が凝視している商品の値段は、彼女の月収の殆どを支払わなければならないほど高額だった。
「サラさん?」
「ひゃ、は、はい!」
「あの、慌てなくてもいいですけど……それ、欲しいんですか?」
「そりゃあ、まぁ、欲しいけど……」
欲しいが、値段が高い。まさか軍事物資でもなんでもないただの金属細工を国家予算で払うわけにはいかない。だがエミリアは意外なことを言った。
「では買いましょう」
「はい?」
サラの疑問を余所に、エミリアはそのまま店へ入ってしまった。呆気にとられたサラは暫く動けずにいたが、なんとか体を動かし、慌ててエミリアに続いて店に入ろうとした。だが時すでに遅く、エミリアは買い物を済ませて店から出てきてしまった。
「あの、エミリア? まさか……」
「大丈夫ですよ。いくら王族とはいえ、国家予算で装飾品を買うほど恥知らずな人間になった覚えはありません」
それを聞いたサラは安堵した。毅然で公明正大な彼女の気質を今更疑っていたわけではなかったが、万が一と言う可能性もあった。だが王女がちゃんと身分を弁えてくれたおかげで、サラは何とか生き延びることができた。
エミリアは、今買ったのであろう装飾品を布袋から出すと、そっとサラに手渡した。
「サラさんが欲しかったものとは似ても似つかぬ安物ですが、どうかこれを」
それは、鉄葉製の小鳥の形をした簡素なペンダントだった。その鳥は、少なくともサラは見た事がなかった。恐らく、細工師が考えた架空の鳥であろう。
「え、と……?」
「お守りです。サラさんが、無事に帰ってくるように」
「エミリア……」
軍人は、戦闘時に唯一の例外を除いて装飾品の類を身に着けていない。下手に装飾品を身に着けてしまうと、それが原因でケガをしてしまう可能性があるからだ。そのため今彼女らは、その唯一の例外である皮製の認識票意外は、何も持ってはいなかった。
サラは暫く渡されたペンダントを眺めていた。そして彼女は、親友が今この時、この贈り物をしてくれた意味を見出した。
「ありがとう。私、絶対戻ってくるから」
「えぇ。お願いします」
6月9日午後4時20分。
ミーゼル中佐率いる騎兵1個中隊約300名は、エミリア王女に別れを告げ、カリニノの街を後にした。




