彼女たちの作戦
「マヤ、どういうことですか?」
エミリアは、脇に立つ侍従副官マヤ・クラクフスカ中尉に言葉の意味を尋ねた。
「そのままの意味です。補給の問題を解決して、かつ敵の警戒線を潜り抜ける方法があります」
「そんなものが……?」
もしマヤの言うことが正しければ、このサラの作戦は一気に現実味を帯びてくる。執務室の中に居た誰もが、マヤの発言に注目していた。
「あの、皆、そんなにジロジロ見られると話しづらいんだが……」
「あ、ごめん」
豪胆なマヤらしくもなく、彼女は若干委縮していた。彼女自身もったいぶって言い放った割には自信を持っていないようである。
マヤは二度三度咳き込んでから、続きを話し始めた。
「ラスキノを通りましょう」
「……ラスキノ?」
「えぇ。我ら士官候補生が血道を上げて独立させた『ラスキノ自由国』を経由するのです」
マヤの言うことは単純だった。ラスキノを通れば、帝国には察知されない。何せ今回の戦争に全く関与していない第三国である。国境警備隊はいるだろうが、すぐ近くで戦争をしていると言う関係上、その警戒網は穴だらけになっていることは疑いようもない。
問題があるとすれば、それはラスキノという国自体だろう。
「しかし、ラスキノは中立国です。もし我らがラスキノに軍を派遣したら、侵略と解されて東大陸帝国側につく可能性があります」
「その点は心配いりませんよ。第一に、ラスキノが東大陸帝国に軍の通行権を与えてしまっては、帝国軍がずっとラスキノに留まってしまっていつの間にか国が乗っ取られる可能性が極めて高いです」
他国軍の領内通行権は、おいそれと渡す物ではない。その国の軍事力が低ければ、通行と称して占領活動を行う可能性がある。ラスキノは独立したばかりで、師団数も数える程しかない。そんな国が最大の仮想敵国と同盟を結ぼうなどと考えるはずがなかった。
「第二に、ラスキノにはシレジアに対して大きな借りがあります。拒否はしないと思いますよ」
先ほど彼女が言ったように、ラスキノ独立に最も貢献したのはシレジアとオストマルクの義勇兵である。公式には両国とも参戦していないことになっているが、公然の秘密としてラスキノにはシレジアに借りがある。
その借りを軍の通行許可という形で返してもらおう、というわけである。
「第三に、ラスキノは中立宣言をしていません。この戦争に不参加というだけです」
これは些か屁理屈ではあったが、エミリアには理解できた。
ラスキノは中立宣言をしていない。これは形勢がどちらかに傾いた時、それに便乗して勝ち馬に乗ろうという日和見主義の表れである。
「……なるほど。確かにマヤの言う通り、ラスキノ経由案は有効ですね。では、補給の問題はどうするのですか?」
エミリアはそう質問したが、彼女は既に解答を知っているようで少し微笑んでいた。それはマヤにもわかっており、まるで試験の答案用紙を見せ合うかのように答え合わせを始めた。
「まずラスキノまでに至る道は問題ありません。我が軍の後方基地であるリーンを経由すれば、敵の斥候にもばれず、なおかつ物資も馬もあります。そこまでは騎兵の強行軍で移動すればかなりの時間短縮になるはずです」
「確かに。では、ラスキノ国内ではどうするおつもりですか?」
「そうですね。現地調達が一番かと」
ここで言う現地調達とは略奪のことではなく、対価を払って物資を買うことを指す。別に即金である必要はない。国家間の約束であるため、適当な約束手形に「戦争に勝ったら代金に色を付けて払う」と書けば良い。
そうすれば、合法的かつ平和的、友好的に物資を調達できる。
また今回の作戦の場合、ラスキノを通過する部隊の総兵力は1個中隊であり、ラスキノの国民に影響を与えない程度の物資調達ができるだろう。
「そして現地調達した物資を頼りに、ラスキノ=東大陸帝国国境を突破します。どうやって突破するかは現地で考えるとして……これで、帝国に察知されずに後背をつけます」
「なるほど。さすが私の自慢の副官です」
この言葉を聞いたマヤは流石に口角をあげずにはいられなかった。彼女は一通りの感謝の意を述べた後、口角の位置と話題を元に戻した。
「問題は帝国に侵入してからでしょう。肝心の後方拠点の位置がわかりません」
エミリアが先ほどあげた最後の点、それが敵拠点の位置である。現地で偵察をするという選択肢もあるが、敵地に居る時間が長ければ長いほど危険も大きいことは確かである。これは5年前、シレジア=カールスバート戦争において、王女暗殺を目的としたカールスバート騎兵隊が王女襲撃の翌日には活動拠点が発見されて壊滅した、という前例がある。
その二の舞にならないよう、敵情の把握は重要である。だが、さすがのユゼフからの事前情報にも、その後方拠点の位置は書かれていなかった。
だが、この点に関して案を出したのは、補給参謀補ラスドワフ・ノヴァク中尉である。
「それなら問題ないと思うぜ。少佐、地図あるか?」
「え、あ、はい。少し待ってください」
ラデックに促されたエミリア少佐は、執務机の引出しから地図を出した。アテニ湖水地方周辺の地図で、東大陸帝国領リダまでが入る大きな地図である。
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黒線:国境
灰線:街道
青円:アテニ湖水地方
黒■:シレジア王国拠点
赤■:東大陸帝国拠点
紫■:ラスキノ自由国拠点
緑矢印:行動線(予定)
茶破線:5月末時点の戦線
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「エミリア少佐、ラスキノ=東大陸帝国国境付近に帝国軍の砦はありますか?」
「ありません。元々、帝国のこのあたりの拠点はカリニノでした。ですが、ラスキノが独立してしまっため、この地点における帝国の砦は0です」
現在、ラスキノ自由国領となっているカリニノも、ラスキノのような城郭都市である。独立戦争時、この地でも反帝国運動が起きたが、独立派の数が少なく、開戦まもなく鎮圧された。だがそのおかげでカリニノの被害は少なく、現在でも城郭都市としての機能は十分ある。
「新しく建てられた可能性はないの?」
サラからの質問に答えたのはマヤである。
「……いや、恐らくないと思う。ラスキノ独立は10月末。そこから新たに建設するための資材と金と人員を集めるのは時間がかかる。仮に着工出来たとしても、年末にはシレジア征服が東大陸帝国皇帝の意向で決定された」
「シレジア征服するなら砦を置く必要はない、ってこと?」
「そうだな。砦が完成するまでに開戦を待つことなどできなかっただろうし、よしんば出来たとしても、すぐに滅亡するような国のためにわざわざ金と資材は使わないだろう。使うとしたら、全力でタルタク砦を落とした方が良いと思う」
「なるほどね。じゃあ、このヴァラヴィリエ? って街が拠点?」
サラは地図を覗き込みながら必死にこの作戦会議に参加したが、この意見はすぐにエミリアに一蹴された。
「いえ、恐らくそれもありえません。街の中に補給基地を建てるのは少し危険です」
「何が? 結構防衛しやすいと思うけど?」
「いえ、帝国は防衛を考える必要はありません。何しろ侵略の為に来ているわけですから、防衛のことなんて頭にないはずです。それを抜きに考えても、街の中に拠点を作ってしまうと民間の馬車や人が邪魔で、通行が困難になってしまいます。少しでも早く前線に物資を運びたい帝国にとって、街に拠点を置くことはないでしょう」
「つまり、帝国の奴らは仮の拠点しか作ってないと言うことだ。馬防柵も落とし穴も、そう言った類の防御施設もないと考えていい。天幕をいくつか建てて終わりだろうな」
「うーん……だとすると、ラデックの『どうにかなる』って嘘だったの?」
サラはラデックを疑いの目で見出した。もしかしたらこいつは当てずっぽうで言い出したんじゃないか、という目である。ラデックは首を大きく、そして派手に横に振りながらそれを否定した。
「嘘じゃねーって。もし俺が帝国の補給士官なら『どこに中間補給基地を置くかな』って考えたのさ」
「ふーん? で、どこよそれ」
「十中八九ヴァラヴィリエの近くだろう」
「理由は?」
「後方勤務だとしても兵の休暇は必要だ。その際、街が近くにあれば娯楽もある。それに補給基地で何かしらの物資が不足した時、街から調達できるという利点もある」
「なるほどね。じゃあやっぱり私の意見があってたってことじゃないの!」
「いや、マリノフスカ嬢は街が拠点だって……はぁ、まぁいいや」
「とにかく、敵の後方拠点のおおよその位置はわかりましたね。後は現地で偵察して詳細な位置を見つければ……」
もしそうなれば、その拠点は壊滅するだろう。王国軍最精鋭の、近衛騎兵によって。
その後、エミリアらは詳細な作戦計画と日程の具体的な立案にかかった。大分加筆修正がされたものの、最初のサラの作戦の骨子はそのまま残されている。だが、肝心の作戦提案者は意外なことをエミリアに言った。
「エミリア。これエミリアが考えたことにしといてくれる?」
「え? あ、あの、それではサラさんに功績が……」
「ダメよ。私は武勲じゃなくて勝利が欲しいの。でも、その作戦を考えたのが私だって知られたら、採用しないに決まってる。なら、今までいくつか作戦案を出してきたエミリアの方が、この作戦案通りやすいと思うわ!」
「……いいのですか?」
「いいわよ!」
「…………。わかりました。私が責任をもって、司令部に上申します」
こうして、彼女たちの作戦が出来上がった。




