心の温泉
この大陸の公衆浴場は、どちらかと言うとユゼフの言う前世世界における小さめの水浴施設に近い。お湯の温度もぬるく、もしユゼフがこの場に居たら「あと8度上げろや!」と叫びながら平泳ぎをしたことは間違いないだろう。
が、彼のそんな特異な出生秘話を知らない若き女性士官たちは気にせず久々の沐浴を堪能していた。
「あぁ……生き返るわね……」
入浴劈頭、ややオジさん臭い台詞を吐くのはサラだった。彼女は半身浴が推奨されるこの公衆浴場において首までドップリお湯に浸かっていた。
だが、今日に限ってはそれを咎める者は居ない。この場に居るのは、気心の知れた親友たちだけである。
だが、サラはあるものを見つけるとしばし不機嫌になった。不審に思ったエミリアが彼女に話しかける。
「どうしました?」
「んー、いやね。マヤの身体が気になってね……」
サラが先ほどからジロジロ見ていたのは、エミリア王女の補助をしつつ自らも沐浴を堪能していたマヤである。
「私の身体がどうかしたのか?」
「……むむむ」
「?」
彼女が見ていたものを正確に描写するのであれば、サラはマヤの胸の脂肪の塊を凝視していた。数秒して、マヤはサラの視線にある先にあるものを確認すると、くつくつと笑いながら問いかけた。
「そんなに羨ましいのかい?」
「そういうわけじゃないけど……どうしたらそうなるわけ?」
「どうしたら、と言われても別段努力をして大きくしたわけではないからな。それに不便だ」
「そうなの?」
「あぁ。気づけばこんなだ」
「ふーん……」
サラは言葉の上だけでは納得していたが、態度と目線は明らかに不満顔そのものだった。
「もしかして、好きな殿方の好みが私みたいな女だったのかな?」
「どうしてそうなるのよ!」
「違うのか?」
「違うわよ! 第一、まだ確認して」
「ん? 好きな殿方がいるのか?」
「い、いないってば!」
サラは怒りと恥ずかしさを6:4くらいの割合で顔を赤らめ、そして誤魔化すかのようにそのまま鼻の部分まで身体をぶくぶくと沈ませていった。一方のマヤは全ての事情を知っているような趣味の悪い笑いを浮かべていた。
この不毛とも言える話題を打ち切ったのがエミリア殿下である。
「なに下品な話をしているのですか。もう少し淑女らしく振舞ってください」
ちなみに、この3人の中で一番胸が慎ましいのはエミリア王女その人である。
その後十数分に亘って会話に花を咲かせていた彼女たちだったが、ふとした瞬間エミリアは小さな溜め息を吐いた。その溜め息は誰にも聞こえないような小さなものであったはずだが、耳聡いサラはそれを聞き逃さなかった。
「どうしたのエミリア、元気ないわね?」
「あぁ、いえ、大丈夫です」
「大丈夫な人が溜め息吐くはずないでしょ。ほら、言いなさいよ」
「うーん……」
エミリアはしばし悩んだ。
それは言うか言うべきかの悩みではなく、今ここで真面目な話をしてしまっては楽しい雰囲気が消えてしまうのではないか、という悩みだった。
だが、やはりそれを目敏く見抜くのはサラであった。
「エミリア!」
「へっ、はい?」
「言いなさい!」
「……はい?」
「エミリアの話だったらなんでも聞くわ!」
ただなぜか言葉で伝えるのは下手なのは、彼女のどうしようもない欠点である。
でも、サラのその欠点を誰よりもよく知るのはエミリアだった。
「わかりました。少し真面目な話なのですが……」
エミリアは、サラの言動に深く追及することはなく、自分が抱えていたその悩み事を打ち明けた。彼女の言う通り、その悩み事は真面目なもので、そして少し壮大なものだった。
エミリアの悩み事は、この戦争について。
ユゼフの努力によって外交的には好転している。だが軍事的には不利なまま、政治的には微妙であるこの状況。どうすればいいか、彼女は沐浴の最中にも考えていた。
所々マヤが補足を入れつつ、エミリアは長く話した。途中髪を洗ったり、体を洗ったりを挟みながら、彼女は親友に悩みを打ち明けていた。
そしてサラはその悩みを真摯に受け止めた。普段なら眠くなるような話だが、彼女は頑張ってその話を聞いて理解した。
気づけば数十分間の湯浴みは終わり、再び彼女たちは脱衣所に戻っている。
替えの下着と軍服をその身に纏いながら、悩み事を聞き終えたサラが最初に放った言葉はこんなことだ。
「エミリアは考え過ぎね」
「そうでしょうか?」
「そうよ。私なんてあんまり考えてないもの」
「私としては、もう少し考えてほしいのですが……」
「んー、普段はユゼフとかエミリアに投げてるから。勿論、自分の職責に関することは、自分で考えてるけど」
自由奔放に見えるサラだが、その実考えているのも確かである。ただ周囲の人間が考え過ぎ、という面もある。
「もう少し緊張を解さなきゃだめよ。そういう時に、意外といい案というのは浮かんでくるものよ」
「……そうなのですか?」
「そうよ? まぁ、エミリアは考えるのが仕事かもしれないけど。でも、たまにはいいじゃない」
思えば、エミリアはいつも何かしらのことを考えていた。
5年前のあの日、あの戦争の時から、エミリアはずっと考えていた。
自分でも、何も考えない日を作った方が良いと思ってはいたが、結局十分もすれば彼女は思考していた。
「エミリア。10日に7日くらいは休む日を作りなさい」
「……え、そんなに?」
「そうよ。そうすれば、真面目なエミリアのことよ。いくつかの休みの日を仕事に充てて釣り合いを取ろうとする。そしたら、多分本当に働くのは10日に7~8日くらいは働くでしょうね。残りは休み!」
「はぁ……」
「その休みの日は、私とマヤと遊びましょう! 何も考えずにね!」
この発言には、多分にしてサラの個人的な欲求が含まれていた。
サラも、士官学校時代から遊ぶことよりも訓練を重視し、そして軍役についてからも仕事と戦争ばかりだった。
年頃の女子としては、同じ年頃の友人と遊びたかったのである。
そして同様の事は、エミリアも微かに思っていたことだ。
「せめて、10日に1日にしましょう」
こうして、エミリアの悩みは1つ解決した。
肝心の、長々と話した真面目な悩み事については何一つ解決してはいなかったが。
 




