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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
150/496

読了

 5月26日。


 オストマルク駐在武官ユゼフ・ワレサからの報告書を、レギエルの仮司令部内にある執務室で読み終えたエミリア王女は、その内容の濃さから思わず溜め息をついた。


「ユゼフさん、暴れすぎじゃないですか……?」

「それ、エミリア殿下が言う台詞ではありませんよ」

「どういう意味です?」


 言うまでもなく、エミリアはこの戦争で最も活躍している佐官であると言っても過言ではない。それを差し置いて、他人の暴れっぷりのみを注視するエミリアの言動に、マヤは思わず笑ってしまったのである。


「それはともかく、これでオストマルク帝国による『非難声明』の発表は時間の問題かと思われます」

「オストマルクが曲がりなりにもシレジアと手を組む。となれば東大陸帝国のみならずリヴォニア貴族連合やカールスバート共和国に対する牽制にもなり得ます。我々は政治的・外交的優勢を確立できるというわけですね」

「えぇ。それにオストマルク国内で同盟論が主論となれば、旧シレジア領の帰属問題解決の一助となるやもしれません」

「ですがそれは、すべてはこの戦争が終わってからの話です。今は後顧の憂いがなくなったことを喜び、今後の作戦を考えましょう」


 エミリアは毅然とそう言ったが、マヤはそれを聞いて静かに首を横に振った。


「考えるのは後にしましょう、エミリア殿下」

「……なぜです?」

「それは、その、面と向かって言うのは心苦しいのですが……」


 言いたいことをはっきり言うマヤにしては珍しく、彼女は言うべきか言わざるべきかの判断に迷っていた。エミリアは、ここは主君としてマヤに発言を促さなければならない。そうしなければ、もしかしたら重大な問題を引き起こすかもしれない。

 そう考えたエミリアは、先ほどと同じく毅然とした表情で彼女に言う。


「大丈夫です。言ってください」


 エミリア王女に発言を促されたマヤは、十数秒悩んだ後、意を決して主君にある質問をぶつけた。それはエミリアにとって、いや世の全ての女性にとって重大な問題だったと言えよう。


「殿下、前回湯浴(ゆあ)みをしたのはいつですか?」

「…………」


 その質問をぶつけられたエミリアは明確な答えを見つけることができず、ただ自分の腋や着ている服の臭いを確認することしかできなかったと言う。




---




 さて、軍隊における沐浴もくよくの問題は割と厄介なものである。


 ユゼフの言う前世世界と違って、水の調達というのは魔術でなんとかなるためそこは問題にはならない。問題は、いつでも好きな時に湯浴みができるわけではない、という点にある。

 湯浴みは、兵の士気と衛生上の問題に関わる重要なものである。特に後者は厄介で、窮屈な軍靴と軍服を着続けている関係上、色々な問題が湧きあがるのである。その問題を書き連ねると酷いことになるのでここでは述べないが。


 それを防ぐためにも、できれば5日に1回は沐浴をすることが望ましいとされている。


 水を浴びるだけなら、別段工夫は必要ない。服を脱いで頭から水球(ウォーターボール)を掛ければいいだけである。軍隊で圧倒的多数派の男性兵は、数少ない女性士官の目など気にせず急に脱いで水浴びをする光景が多発する。警務兵、もとい憲兵の目が厳しいためそのまま女性士官を襲ったりはしないのがせめてもの救いだ。

 女性士官も、人目を気にして水浴びをすることは多い。その時、女性憲兵や他の女性士官の厳しい警戒の中で水浴びをしなければいけないため、心は休まないだろう。

 なお、これは用を足すときも同様の問題を孕むのだがここでは関係ないので述べない。


 だが、温水は残念ながら魔術では召喚できない。水球と火球(ファイアボール)を組み合わせてお湯を作るしかない。

 温水の適温は、水球何発に対して火球何発が望ましいか、というノウハウの積み重ねは既にある。

 問題となるのは、場所の確保だ。


 それなりの温水を溜めることができる広さ、そして女性兵の入浴を男性兵から覗かれないようにするための警戒がしやすい場所。そんなものが野戦場にあるはずもない。

 できるのであれば建物の中が最適で、公衆浴場があれば百点満点である。



 で、話はエミリア王女の湯浴み問題に戻る。


 場所の確保は問題なかった。仮司令部のあるレギエルには、幸い公衆浴場が設置されており、警備上の問題は解決している。温水確保も問題ない。


 問題は、エミリア“王女”という身分の女性の身体保護である。ここで言う身体保護は、身の危険だけでなく、貞操の危険や「下賤なる一般男性兵がエミリア王女の生の肢体を見る」という危険という意味も含んでいる。


 と言うわけで、5月26日におけるレギエルの公衆浴場は、王都シロンスクにある賢人宮(フィロゾフパレツ)並の厳重な警備が敷かれることになった。またエミリア王女と同行して湯浴みを行う者は、侍従副官マヤ・クラクフスカ中尉、近衛師団第3騎兵連隊所属のサラ・マリノフスカ大尉のみとされた。

 その際、エミリア王女の親衛隊長エマーヌエル・バラン准将は公衆浴場を警備することになった親衛隊及び女性士官、女性警務官らに対し、以下のような極めて過激な通達をしたと言う。


「武器を所有し、公衆浴場に無断侵入をしたものは即刻斬殺せよ。なお、武器を所有すると疑われる者、無断侵入をしようとしたと疑われる者に対しても、これと同様に処置すべし」


 これは、事実上無差別殺人を認めたものである。

 実際にはこの通達はエミリア王女自身の「流石にそれは可哀そうですから、一時的な身体拘束で許してあげてください」という発言によって修正が加えられることになった。


 この日、公衆浴場に対して強行偵察作戦を実行した勇敢なる偵察部隊、男性兵348名、女性兵8名全員が警務隊と親衛隊に拘束されたのは、また別の話である。




---




「なんだかすみません、みなさん……」

「大丈夫よ! むしろ王女なんだから、これくらいは当然よ!」


 公衆浴場に入館が許された女性士官らは、脱衣所で2か月間寝食を共にしてきた軍服と下着を脱ぎ捨てていた。エミリアはマヤに手伝われて、サラは豪快に、である。

 ちなみに替えの下着は事前にマヤが用意しているため、そのまま捨てても問題はない。が、それに関してサラがひとつ要望をした。


「あ、マヤ。私たちのその下着は後で焼却処分しといて」

「……? それは構わないが、なぜだ? このまま捨てても問題なかろう?」

「いや、前にユゼフが言ってたのよ。『世の中には女性が履き続けた下着だけで興奮する変態がいるから、使用済み下着の行方は気をつけろ』とかなんとか」

「その変態、まさかユゼフくん本人だったりしないよな?」

「んー、わからないわね。私もそう思って、マヤと同じこと言ったけど『中身の方が良いに決まってるだろ!』って叫んでたわよ?」

「……ある意味、男らしいのかそうでないのか」


 ちなみにサラは気づいていなかったが、その台詞を吐いていた時のユゼフは僅かに鼻血を垂らしていた。


「でもそのユゼフさんの発言は、下着に興味がないわけじゃない、とも取れますね?」

「……エミリアの言う通りね。今度会ったら鳩尾殴っておくわ」

「あらあら、手加減してくださいね?」

「善処するわ!」


 善処する、と言うサラが本当に善処した例はないと、この時サラ以外の2人はほぼ同時に思ったそうだ。


「ところでサラさん。ひとつ聞きたいのですが良いですか?」

「ん? 何?」

「その、どういう経緯で下着の話になったんですか……?」

「…………内緒」


 サラは顔を真っ赤にしながら顔を背け、供述を拒否した。

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