特権
「ベルクソンさん。立てますね? 足を拷問で切り落とされた訳じゃないでしょう?」
「あ、あぁ」
俺がそう促すと、ベルクソンさんはノロノロと立ち上がった。身長は俺と同じくらいだ。ふむ。もしかしたら同い年かもしれないな。
「よし。では行きましょう。私の手を握ってください」
「……は?」
「いいから。私だって男と手を繋いで一緒に歩きたくはないですが、それが君の助けになるので」
彼は頭に疑問符を並べつつも、俺の言うことを聞いて手を握ってくれた。男どうしで手を握って歩き出す俺ら。間違っても俺はホモじゃないぞ?
「では一緒に歩きましょう。歩いて外に出ます」
「……それだけか?」
「それだけですよ。簡単なことです」
ベルクソンさんと俺が一緒に歩くだけで、彼は自由になれる。
でもベルクソンさんにとっては少し辛いかもしれない。裸足かつ、足の爪も剥がされてる。尋常じゃない痛みを彼が襲っているはずだ。
「おい、待て! どこに行くつもりだ!」
ベルクソンさんの少しでも痛みを和らげるためにも、会話をしながら歩こう。ちょっと周りが五月蠅いのは、まぁ、その、なんだ。賑やかし要員ということで。
「質問その7。年齢はいくつですか?」
「ま、待ってくれ。質問はさっきので最後じゃ……」
「あれは嘘です。で、何歳ですか?」
「……16だ。あと10日で」
「おぉ、私と同い年ですか!」
「……何?」
「私も今年で16ですよ」
「えっ?」
彼は意外そうな顔をした。いやだなぁ、どっからどう見ても健全な15歳にしか見えないでしょう? フィーネさんなんてあの能力と落ち着いた雰囲気で俺より1歳年下なんだよ? それと比べたら俺なんてまだマシじゃないか。
「ワレサ次席補佐官! 待ちたまえ!」
「では質問その8。同い年だと分かったので、敬語やめていいですかね?」
「……あぁ、それは構わないが」
「許可を得たから敬語やめたけど、どうした? なんか歯切れが悪いけど?」
「いや、あ、アレは良いのか?」
「アレって?」
俺がそう聞くと、ベルクソンは恐る恐る指差して「あれ」と短く答えた。
その指先に居たのは、ムンクの叫び、もといマニンさんだ。さっきから本気で叫んでるのだけど、顔は無表情のままだ。すげぇ怖いんだけど。
「……アレは放っておいて。小鳥の囀りとでも思っていればいいよ」
「は、はぁ……」
マニンさんはそのまま俺たちのことを止めようとしてくるが、フィーネさんやアンダさんが巧妙に進路妨害をするためなかなか割り込めないでいる。
じゃあフィーネさんを拘束すればいいじゃないか、と思ったのだろうが、当のフィーネさんは「私関係ありません」という風で歩いているからマニンさんは手が出せない。それに今はフィーネ親衛隊も周りにいるし……って、フィーネさんいつの間にか人気高くなってない?
「質問その9。好きな食べ物は?」
「え、いや、特にないが……強いて言うなら南海料理かな」
南海料理、この大陸ではイタリア料理のことを指す。俺も好きだよパスタ。シレジアで一番うまい料理は南海料理だと思うわ。
「質問その10。嫌いな食べ物は?」
「山羊乳だ」
「おう、即答だね」
「まぁな。嫌いだからな」
「でも山羊乳じゃ飲み物じゃない?」
「山羊乳を使った料理も嫌いだ。例えば山羊乳乾酪とかな」
「なるほど」
山羊乳か。馴染みはないな。そもそも牛乳も飲まなくないし。
気付けば俺たちはいつの間にか高等警察局どころかクロスノ駐屯地の敷地からも出ようとしていた。
そしてマニンさんその他高等警察局員数人に回り込まれて、進路を塞がれた。
「ワレサ次席補佐官。これ以上の狼藉はどうか慎まれたい」
「嫌だ、と言ったら?」
「貴官に拒否権はない。おい、そこの軍人!」
そこの軍人、と呼ばれたのはフィーネさんでもアンダさんでもなく、駐屯地入口にいたクロスノ警備兵だ。例のフィーネさんに惚れてたロリコンさんだね。
「なんでしょうか?」
「駐屯地内の緊急事態宣言はどうなった?」
「それなら先ほど解除されました。侵入者は1人だけと確認されましたし、その侵入者も既に駐屯地外へ逃走した模様です」
ロリコンくん。半分外れだ。侵入者はまだギリギリ駐屯地内にいるよ。しかも目の前に。
と、言えるはずもない。重要なのは今は「有事」でなくなったことだ。
「そうか、ありがとう。ではワレサ次席補佐官。帝国刑事法第11条第2項により、その男の身分引き渡しを要求する」
有事でなくなったことにより、国事犯の扱いは高等警察局が優先されるようになった。
でも、想定内だ。問題ない。
「嫌だ、と言ったら?」
「その時は貴官を、民衆煽動罪並びに犯人隠匿、拉致、その他諸々の罪で逮捕する! 残りの人生、楽に歩ませるわけにはいかん!」
だとさ。ケッ。
どうせベルクソンを開放したところで俺を逮捕する気なのは目に見えている。その手に乗る者か。
するとフィーネさんが後ろからやってきて、コッソリとベルクソンに耳打ちする。
「ワレサ次席補佐官の合図で、ベルクソンさんは馬車に向かって全力で走ってください。強行突破します」
「だ、だが……」
「自由になりたいのであれば、指示に従ってください」
フィーネさんの声には珍しく熱がこもっていた。彼女も本気のようです。
そして彼女は前に出ると、今度は打って変わって冷たい声で、この場にいる全員に言った。
「どうやら私たちは関係ないようなので、失礼いたします」
彼女はそう宣言した。高等警察局の人間は、それを「ワレサの身の保障について一切関知しない」と受け取ったようで、マニンさんの顔は少し笑っていた。
フィーネさんとアンダさんはそのまま駐屯地入口近くで待機させていた馬車に乗り込む。アレは、俺がクロスノに来る時に使っていたシレジア大使館の公用馬車だ。
「ワレサ次席補佐官、ベルクソンの身柄をこちらに。これが最後通告だ」
もしこれ以上引っ張るなら逮捕しちゃうぞ☆ ってことだな。はいはいそうですかそうですか。
「お断りします」
「そうか。案外君はバカだな。よし、拘束し……」
だが俺は、先手を打った。好きにさせるかこの野郎!
「火球!」
「はっ!?」
俺が魔術を発動させた瞬間、隣のベルクソンは、いやその場にいた全員が驚愕した。「部外者が基地内で魔術をぶっ放すなんて非常識極まりない!」って感じだ。
突然の魔術に驚愕した高等警察局員は、哀れにも腰を抜かしていた。火球は誰にも当たらなかったが、俺らの進路を妨害する者が一時的にいなくなった。
「よし、走れ!」
俺がそう合図すると、ベルクソンは一瞬戸惑ったものの、意を決して馬車に向かって走り出した。
足の爪が剥がれ、そして裸足で走るのは辛いだろうし、1ヶ月以上も拘禁されていたから心配だったが、彼は予想外に速く走り抜けていった。
馬車に到着した時、ベルクソンさんはアンダさんの手を借りながら遂に馬車に乗り込むことに成功した。
これで八割方作戦は成功した。後は俺が逃げるだけだ。
だが、既に高等警察局員は体制を立て直している。逃げる隙はない。
「ユゼフ・ワレサ! 貴様を傷害未遂の現行犯で逮捕する!」
マニンさん、怒りの逮捕執行。他の局員も俺の周りを囲んで拘束しようとしている。こんな人数相手に戦えるほど白兵戦に強くはない。サラさんじゃあるまいし。
だが、拘束される気はさらさらない。
「お断りします。マニンさん」
俺は、毅然とした態度で――毅然としてるよね? 自信無いけど――そう反論した。
「何を言う! 貴様の罪は明白だ!」
罪は明白。そうだな。俺もそう思うよ。で、それが何か問題?
俺は開き直って、懐からある物を出す。俺の最後のカード、そして最強の切り札。外交官の身分証だ。
「私は、シレジア王国外交官ユゼフ・ワレサです」
「……それがどうした?」
マニンさんのバカには通じなかったようだが、俺を囲んでいた一部の局員は気づいた。俺が「外交官」であること、それが何を意味するのか。
「外交官である私の身体は、エスターブルグ条約第29条において『いかなる方法によっても抑留・拘禁することができない』と定められている。よって私は条約によって規定された正当な権利をここに行使する!」
「……ッ!」
外交官だけが持つ最強の切り札。それが「外交特権」である。
外交関係における諸規定は、全てエスターブルグ条約によって明文化されており、この条約は大陸に存在しているすべての国が批准している。これは最近できたばかりのラスキノ自由国や、敵の多い東大陸帝国でさえ例外ではない。当然、オストマルクもシレジアも批准している。
この外交特権の中でも最も凶悪なのが「外交官の不逮捕特権」だ。
つまり外交官は何をしようと、例え殺人しようが強盗しようが轢き逃げしようが食い逃げしようが街歩く女性のスカートを捲ろうが、帝国治安当局は外交官を逮捕することができない。
「だ、だが、こんなことは許されない!」
「知りませんよそんなことは。私は明文化された条約による正当な権利を行使しただけです。異論がおありなら、後日改めて正式な外交ルートで抗議なさればよろしいかと」
外交官がある罪を犯してそして外交特権で逃げたら、外交官の逃げ得になる。それをなんとかする方法が1つある。
それは、「外交官待遇拒否」を発動することである。これはまぁ、簡単に言うと「この外交官全然信用できないんだけど!?」ということだ。
今回の場合、まず帝国政府がシレジア大使館を通じて「ユゼフ・ワレサとかいうクソガキが好き勝手やるので外交官資格を取り消すか本国に帰ってもらうかしてください」と通告する。
そしてシレジア大使館は本国にその旨を通知して審査をし、そして本国外務省が「じゃあユゼフ・ワレサは本国に戻ってきてね」と命令すれば、俺は本国に帰らなければならない。
一方、一定期間経っても本国召還命令が出なかった、もしくは拒否された場合は、帝国の治安当局が俺を一般人扱いで逮捕・拘禁できることになっている。
この「外交官待遇拒否」も、さっき言ったエスターブルグ条約で規定されている。
じゃあ今目の前にいるマニンさんが「外交官待遇拒否」を通知すればいいのか! とは残念ながらならない。
なぜなら、「外交官待遇拒否」の布告権限は外務省にしかないからだ。
そして今回、俺は外務大臣クーデンホーフ侯爵や外務大臣政務官リンツ伯爵、その娘フィーネさんを味方につけている。そして外務省と内務省は、シレジア問題で対立している。
どう考えたって俺に「外交官待遇拒否」は来ないだろうよ。それに「もし内務省から正式に要請があったら、外務省は拒否するようにと伝えておく」とフィーネさんに言われた。だから俺の身の安全は約束されたも同然だ。
マニンさんに今できることは、黙って俺に道を譲る事だけだ。
「じゃ、私は行きますので」
「ま、まだだ! 補佐官が乗る前にあの馬車を接収して……」
「それも拒否します。あれはシレジア大使館の公用馬車です。公用馬車の不可侵権も、エスターブルグ条約で定められています」
だから馬車の中に居るベルクソンも安全だ。馬車の中はシレジア王国と言ってもいい。
マニンさんはそれ以上俺に反論することはなく、静かに道を開けた。
23時50分。
俺とベルクソン一行は、安全に駐屯地を脱したのである。
……死ぬかと思ったわ。




