ジン・ベルクソン
高等警察局内は薄暗くいかにも秘密警察の拠点、といった雰囲気だ。
俺らはひとつひとつの部屋を見て回る。表向きは賊の捜索、真の目的はジン・ベルクソンの発見だ。途中に「拷問室」っていう部屋があったのは見なかったことにしよう……。
そして目的の人物は、7番目の部屋に居た。
「間違いないです。ジン・ベルクソンです」
アンダさんはそう言ったが、表情は暗い。なぜなら、ジン・ベルクソンの身体は見るに堪えない状態だったからだ。
上半身は裸で、何回も鞭で打たれたような傷跡がある。手枷、足枷もしっかりされており、自由な行動はほぼ不可能。よく見れば手の指の爪は何枚か剥がされているようにも見える。
目を瞑りたくなるような光景が、そこにはあった。
拷問を禁止する帝国法はない。科学捜査なんて夢のまた夢だろうし、拷問が手っ取り早いのは、この世界では仕方ない事なのだろう。
でも、それがわかっていたとしても、納得できない部分もある。
「マニンさん。枷を外してくれますか?」
「……理由をお聞きしても?」
「尋問をするのに枷が邪魔だからです」
無論嘘である。ジン・ベルクソンの痛みを少しでも和らげようと思っただけだ。俺もフィーネさんも治癒魔術を使えない以上、俺に出来ることはこれくらいだ。
マニンさんは渋々、俺の言うことを聞いてベルクソンの枷をすべて外した。権限がこちらにある以上、彼はこっちの言うことを聞かなければならない。なぜベルクソンを尋問するのかという抗弁も許されない。
俺はベルクソンの前にまで来て、そしてそこに座る。正座でね。
「ジン・ベルクソン。いくつか質問をしたい」
「……」
反応はない。ただの屍のように、なにも言わない。いや、既に目は死んでいる。
「最初に言っておくけど、私は君を害するつもりもない。君が望むのなら、私は君の味方になろう」
「……」
やはり反応はない。というか、こっちを見ない。当然か。信じろという方が無理だ。
「……では、質問その1。総督府を襲ったのは君か?」
「……」
反応なし。黙認なのか、それとも黙否なのかはわからない。
「その2。もし襲ったのが君だったら、なぜそのようなことをしたのだ?」
「……」
またしても反応なし。微動だにしない。
「その3。……貧民街での生活は、寂しかったか?」
「…………」
少し、反応があった。俺に対して目を逸らしたのだ。
寂しかったのだろう。
それは俺も思ったことだ。あの日、貧民街の地面に横たわってみてわかったこと。
あの冷たい地面の上で何日もの間寝ていた。誰からの支援もなく、知り合いもいないこの異郷の地で。
寂しかったはずだ。
愛の反対は憎しみではなく、無関心である、と誰かが言ってた。
確かマザー・テレサの言葉だっただろうか。俺にとっては遠い昔の人間だが、この世界の人間にとっては未来人だ。たぶん。
そして誰からも無関心に扱われた人間は、その孤独感から「どんなことをしてでも自分の存在を認知してほしい」と願うようになる。
それが、凶悪な事件として全国報道されることが、前世でも稀にあったことだ。
社会から孤立した人間は、何をするかわからない。それは社会の監視を逃れるからだけじゃなく、単に寂しくてやってしまう、というのもあるのだろう。
悪いことをすることでしか、自分の存在を証明できない。
ジン・ベルクソンの場合はどうだろうか。
孤独故に、なにか悪いことをしようとするのは因果関係はある。でも、民族運動に直結することはない。
たぶん、いや恐らく、あることが関係してるはずだ。
「質問その4。君は貧民街で、この後ろの男に会ったね?」
俺は後ろを振り向かずに、親指でその男を差した。真っ先に反応したのはマニンさんだった。
「ワレサ次席補佐官、貴方いったい何を……」
「複数の人間の証言もあります。その人が貧民街に来ていたと」
それを聞いたマニンさんは心底不機嫌な態度をした。直接顔を見たわけじゃないけど、そういう雰囲気を感じ取った。
「何をバカなことを言っている。そんなことは嘘に決まっているじゃないか」
「そうですか?」
「当たり前だ。私は貧民街になど行かないッ! これ以上適当なことを言うのであれば、ここから出て行ってもらう!」
マニンさんはそんな権限もないくせに俺に命令してきた。第一適当ってなんだよ。
「心外ですね。私は事実しか申しておりません」
「何処がだ! 私は貧民街などと言う糞溜めには……!」
「いつ、私がマニンさんのことだと言いましたか?」
「……なに?」
俺は適当に指差して「この後ろの男」と言っただけだ。
「私は、後ろにいるアンダさんに言ったんですよ。そうですよね、アンダさん?」
「当然ですよワレサ次席補佐官。自分は貧民街出身なのですから」
「それはそうでした。ついうっかり」
事前に決めた台本通りに、アンダさんと俺は一見バカな会話をする。最も、バカみたいな顔をしている人間が1人いますね?
「どうしてマニンさんは、必死になって否定したのでしょうか。マニンさんに質問してないのに『自分は貧民街に行ってない』なんて」
「…………」
「どうしました? 急に黙るなんて」
マニンさんは黒だな。彼は貧民街に行った。彼曰く、糞溜めみたいな貧民街に。
にしてもこんな簡単なことに引っ掛かるなんて、こいつ秘密警察の才能ないな。コネで出世した口だろうか。
でも放っておくと、適当な言い訳を思いつくだろう。「自分は勘違いしただけだー」とか言って。その前に言質を取らなくてはならない。
「質問その5。ベルクソンさん、マニンさんに初めて会ったのはいつですか?」
気がつけば、ベルクソンさんの目は少し生気を取り戻していた。
さっきの茶番は、マニンさんを弾劾するためのものではない。ベルクソンさんに、俺が高等警察局と対立する人間だと明確に認識させるためだ。
「尋問を中止しろ! さもなければ、お前らも民衆煽動罪で告発するぞ!」
はいはい少し黙ってくださいねー。てか、それ言っちゃうと自分の立場危うくなるだけですよー?
マニンさんのこの一言がトドメになったのか、ベルクソンはようやく口を開いた。
「……2月の下旬だ」
「おやおやそれは……」
確定である。クロスノ総督府襲撃事件は3月20日だ。なのに、2月下旬にマニンさんとベルクソンさんは会っていた。
にしてもベルクソンさん意外と声低いね。
尋問を続ける中、マニンさんその他はギャーギャー騒いでいる。でも、いつの間にか他のクロスノ警備隊の人間が高等警察局内に入ったことから、もうひっちゃかめっちゃかだ。
俺は構わず、質問を続ける。フィーネさんとアンダさんが証人だ。どんどん喋りたまえ。
「どこで会いました?」
「……貧民街。俺が1人でいるとき、この薄気味悪い顔した男が来た」
「何を話ました?」
「協力してほしい、と」
「協力とは?」
「クロスノ総督府を襲撃すること、そして逮捕されること」
「目的は聞きましたか?」
「いや、何も。だが逮捕されてからは、この通りだ」
孤独を感じてる中、ベルクソンさんはマニンさんに出会った。
マニンさんは、自分を必要としてくれていた。だから彼の言う通りに行動した。
俺も、貧民街で寝転がってベルクソンさんの孤独を追体験してる時にフィーネさんに話しかけられた。アレはまさに天使降臨の瞬間だった。ベルクソンさんにとってもそうだったのだろう。たとえ相手が気味悪い顔をしていたとしても。
そして彼はマニンさんに利用されて総督府を襲い、そして予定通り逮捕されて、そして予定外の拷問を受けた。人間不信にもなるだろうな、それは。
だが、今俺は十分な証言は得た。
「最後の質問だ。これからどうしたい?」
「……」
無言だ。でも、さっきとは違って悩んでる様な顔だ。
「さっきも言ったけど、君が望むのなら私は君の味方になる。なんでも言うと良い。出来る範囲で、助けよう」
「……」
ベルクソンさんは暫く無言だった。悩んでいるのか、それとも言って良いのか、俺が信用できる人間なのかを考えているのか。
そして彼が言ったのは、酷く単純なことだった。
「ここから出たい」




