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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
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到着

 王国軍キシール元帥率いる9個師団がアテニ湖水地方の南端に到着したのは5月15日のことである。ヤロスワフ解放が4月18日だったため、実に1ヶ月弱の行軍だった。

 その間、キシール軍団は特に敵襲を受けることはなかった。


「幸運と思うべきか、それとも罠だと思うべきか……」

「どうしたのエミリア?」


 高等参事官エミリア少佐は各部隊の激励をして回る途中、近衛師団所属のサラ大尉に出会った。暫くは歓談に勤しんでいたものの、ふとした瞬間、エミリアが不安を口にしたのである。


「帝国軍は予備兵力として合計10個師団を用意しているはずです。しかし、帝国軍はなぜかその予備兵力を投入していません」

「……それは、前に言ってた命令系統がどうのこうの、じゃないの?」


 ザレシエ会戦において、帝国軍総司令官ロコソフスキ元帥が戦死した影響はたしかに大きかった。命令・情報系統が分断、攪乱されたために、帝国軍は王国軍に各個撃破され続けていたのだから。

 だが元帥戦死から既に1ヶ月。既に帝都ツァーリグラードも前線で起きている事態を把握し始めている頃だ。だとすれば、命令系統の再編、作戦の変更、そして予備兵力の投入をしてくるはず。

 それに現在、アテニ方面における王国軍と帝国軍の戦力比は18:20と拮抗している。このままずるずると持久戦、そして消耗戦となれば、帝国軍にもかなりの損害が出ることになる。一つの軍事小国を滅ぼすために、そんな損害を覚悟してまで予備兵力投入を渋る意味が、エミリアには理解できなかった。


「罠かもしれない、ってこと?」

「えぇ……ですが。我々相手にわざわざ罠を仕掛けるでしょうか?」

「どういうことよ?」

「……帝国軍は全体の兵力では我々を上回っています。我々が如何に個々の戦場で勝利を挙げようと、全体兵力で下回るシレジアの負けは必至です。だとすれば、帝国軍はその数の有利を生かして、ただ圧倒的な物量で踏み潰してしまえばいい。なのに……」

「なのに、帝国軍は動かないわね。どうやらこの1ヶ月、奴らはアテニに閉じこもっているようだし」


 サラの言う通り、帝国軍はアテニ湖水地方に1ヶ月間閉じ籠っている。

 これが帝国軍が寡兵であるのならばまだ彼女らにも理解ができただろう。戦力が少ないから、攻勢に出れず、防御に徹していると。

 だが先ほどエミリアが述べたように、帝国軍は数で勝っている。

 数で勝る帝国軍が、シレジアに侵略してきたと言うのに、この1ヶ月間は消極的すぎた。この間行われた戦闘と言えば、ウィグリ湖畔の戦い程度のもので、あとは小規模な部隊同士による小規模な戦闘だけだった。

 ウィグリ湖畔の戦いを除くと、この1ヶ月間の戦死者数は両軍合わせて1000名にも満たない。

 その結果、王国軍は湖水地方外縁部に重厚な防御陣地を築き上げることに成功している。つまり帝国軍は、敵に防御の時間を与えてしまったと言うことになる。


「……彼らは、何を考えているのでしょうか」



 このエミリアの疑問に答えるためには、時間を10日ほど戻す必要がある。




---




 それは、5月4日午前11時10分。

 東大陸帝国帝位継承権第一位、皇太大甥セルゲイ・ロマノフが護衛を引き連れて帝国軍5個師団が駐屯するリダに到着した。


 セルゲイは到着早々、この軍団の指揮官であるマルムベルグ大将の下へ駆けつけた。


 マルムベルグ大将は予想外の来客に一瞬狼狽えたものの、すぐに事前に決められていた皇帝の策を思い出し、なんとか平静を装うことができた。


 セルゲイはマルムベルグに対し、帝国軍軍令部総長クリーク上級大将の名で「帝国軍総司令官がミリイ・バクーニン元帥が指名された」こと、そしてさらに「マルムベルグ軍団合計5個師団を前線に投入し、シレジア王国を僭称する叛徒共を討つべし」という指令を伝えた。

 この指令には、具体的な作戦案や侵攻案があったわけではない。「軍団長の臨機応変な作戦によって対応すべし」という極めて抽象的な文が書いてあっただけであった。

 そのため、軍令部からの指令を伝え終わったセルゲイは、そのまま形式上の上官であるマルムベルグ大将に意見具申をしようとした。だがそれよりも一瞬早く、マルムベルグは事前に策定していた作戦をセルゲイに披露した。


「我々は北回りに行軍し敵を避け、アテニ方面軍団と合流する」


 マルムベルグの命令を聞いたセルゲイは驚愕した。この無能者は何を言っているのか、というような表情をしている。


「セルゲイ・ロマノフより大将閣下に意見具申の許可を」


 その発言を聞いたマルムベルグは、皇太大甥の手前はっきりと拒絶することはなかった。だがその顔は明らかに拒否の表情であり、そしてそれは黙って俺の言うことを聞いて死ね、とも取れる表情でもあった。

 だがセルゲイは、上官からの明確な拒否がなかったため自らの作戦案を提示した。


「叛乱軍は寡兵で、アテニ方面においても彼我の戦力差は約2:1と聞いております。その状況下で、さらなる戦力集中を図る意味を、小官は見出せません」


 戦力を集中すればするほどその軍団の攻撃力は飛躍的に高まる。だが、一方で限界があることも確かである。

 これはかつて、シレジア王国軍総合作戦本部長ルービンシュタイン元帥が高等参事官エミリア少佐に指摘した事でもある。


「では、貴官はどうすべきだと?」

「はい。ここは南の街道を利用し、叛乱軍6個師団が展開しているというギニエに向かいます。そしてそこで、我が帝国軍と対峙しているであろうこの叛乱軍の後背を討ちましょう。友軍が呼応すれば、理想的な挟撃戦が可能です」


 リダは、王国軍が展開するギニエから約10日程行軍した距離に位置している。馬を最大限に使えば2日もかからない。

 王国軍は、現在アテニ湖水地方に無数に存在する湖と湿地を有効に使い、さらには馬防柵や落とし穴等を築き上げて帝国軍20個師団をアテニ湖水地方北東部に閉じ込めている。

 無論このまま待っていれば国力に勝る帝国軍が勝つことは自明の理だが、だからと言ってこの状況で放置することはセルゲイにはできなかった。消耗戦となれば多くの将兵と物資が天へと召されることになり、勝てたとしても帝国にとって重大な損失になると考えたからだ。

 だからこそ、セルゲイは短期決戦に挑み、王国軍を速やかに壊滅させようとしたのである。


 だが、このセルゲイの思いがマルムベルグの心に届くことはなかった。

 マルムベルグにとってセルゲイは政敵であり、協力する義理を感じなかったからである。


「貴官の提案は却下する」

「……ッ! なぜですか!」

「既にこの作戦は貴官が到着する前に決定されていたことだ。今更作戦を変更するのは非合理的だ」

「しかし!」

「黙れ、セルゲイ少将。この軍団の指揮官は私だ」


 セルゲイ・ロマノフは皇太大甥である。だが、帝国軍という組織の中では彼は一介の少将でしかない。

 少将は、大将の命令を聞かなくてはならない。


「当初の予定通り、我々は北回りで総司令官バクーニン元帥の軍団と合流する。良いな?」

「……了解しました」


 ある意味において、セルゲイは幸運だったかもしれない。

 マルムベルグがその気になれば、今すぐセルゲイ指揮する1個師団を出撃させ、王国軍ラクス大将の軍団約6個師団を攻撃しろ、と命令できた。この命令をされた場合、セルゲイの年齢は17で止まることは疑いようもなかった。

 だがそのあからさまな愚劣な命令を、マルムベルグは出す勇気がなかった。終戦後、セルゲイを無為に戦死させた罪を着せられる可能性があったからだ。


 セルゲイは、セルゲイの責任で名誉ある戦死を遂げなければならない。

 マルムベルグはそう思うと、旗下の部隊を北に移動させるべく準備を始めた。



 帝国軍がこの1ヶ月間動かなかったのは、セルゲイ・ロマノフが前線に立ち、そして王国軍が重厚な防御陣地を築き上げ、そしてそれに果敢に挑んだセルゲイが串刺しにされることを、帝国軍の高級士官が望んでいたからである。




 大陸暦637年5月16日。

 帝国軍25個師団と、王国軍18個師団が、シレジア北東部アテニ湖水地方に集結した。


 後に、大陸の歴史に大きく刻まれることになる「アテニの血戦」が、今この時始まろうとしていた。

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